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「ア、秋」

1,梶井基次郎「雪後」

まずは、一年を通して、暇になれば太宰治か梶井基次郎の電子書籍を開いている、そんな私なのである。

「雪後」という、梶井基次郎らしい文体で描かれてはいるけれど、しかし梶井自身が一歩後ろに下がったような、彼にしては特異な小説がある。先日の夜、スタバでその何回目かを読んでみた。小説の冒頭で、主人公の行一が奥さんに話してあげたという、ロシアの短編作家の噺が登場していて、印象に残っていたので紹介したい。

冬のロシア。「乗せてあげよう」と少年が少女をそりに誘う。長い傾斜を二人で乗った橇が滑っていくと、上がった速度と風に乗って「僕はおまえを愛している」というささやきが少女には聞こえる。なだらかになって橇が止まると何事もなく、あのささやきは空耳だったような気がして、少女はもう一度橇に乗りたいと少年に訴え、坂を登る。滑り始めて速度が出ると、また「僕はおまえを愛している」と聞こえるような気がする。もう一度、もう一度、と何度試みても同じだった、泣きそうになりながらも二人は別々になり、そうして大人になって離ればなれになってしまった。

思春期になるかならないかの少女の、淡くも敏感な恋の気持ちを描いた一話だ。チェーホフの短編だそうな。

「おまえが好きだ、ずっと好きなんだ」

私は「雪後」を読みながらも、夜スタバで視線をくうに向ける。私もまた、こんなひっそりとした囁きを、秋のひんやりとした風に紛れさせて、別れたあの女の耳元まで、そっと運ぶことができたのなら、そしてどこかの誰かの腕の中、彼女はやおら顔を上げ「うん?いま誰かあたしを呼んだ?」と辺りを見回してくれたらいいのに、などと不埒な想像をしてみたのだった。

2,遠藤周作「影に対して」

太宰治と梶井基次郎しか読まないなんて書いちゃったけど、本当は嘘。そんな事は決してなく、多種雑多な本をやたら乱読する私なのである。
さてこのnoteにも時折寄稿して下さっている、例えるなら、立花隆亡き後の現代日本における「知の巨人」とも言うべき、猪瀬直樹先生。
みなさん勿論ご存じだろう。元東京都都知事にして学者でありと言う異色の作家。
先生の最新記事は、作家遠藤周作が脱稿しながらも封印させた未発表小説が、最近刊行されたことにふれ、毎日を飽食安穏と暮らす若い君たち(ごめん!)、に向けて、ひとつの問題を提示したものだった。

またこの記事の中では、NHKの番組「ETV特集 封印された原稿」も紹介されており、運良く再放送を録画できたので、こちらも見させてもらった。

こりゃあすげえ小説らしいと、鼻の穴をフガフガと膨らませて、私はすぐ購入し読み始めた。紙の本だと、買っちゃおう、いやもったいない、などと、とつおいつ悩み、尚且つ手元に届く頃には熱も引いちゃってるしね、でも電子書籍化されていると、ビビビと電磁波が脳を駆け抜けた瞬間に、即買い即読みができるのが、タイムリーで良い。また、私が暮らす寓居はと言えば、大きな地震がこようものなら、溜まってしまったたくさんの本の重さに耐えきれず、本棚の下に寝ている私もろともグシャリと潰れてしまう、そんな陋屋ろうおく荒ら屋あばらやなので、命が惜しい私は、なるべく電子書籍を購入するよう心がけている。ミニマリストではなく、我が家が茅屋ぼうおくなだけ!

影に対して
副題は「母をめぐる物語」

遠藤周作という作家は知っていても、なかなか読むまでに至らなかったという自らの読書遍歴に、まさに地団駄踏むほどに、それはそれは素晴らしい小説であった。登場人物こそ勝呂と言う別名だったけれど、もうそのまま遠藤の父母をめぐるいきさつが書かれていた。
ETV 特集の方は、小綺麗にまとめられていて、見ているこちらの捉え方、解釈の隙間が貰えなかったけれど、小説では「じゃあ読んでいるあなたはどうだろう」と言う問いかけを、読者に向かって絶えずしているような、不思議な読後感を持った。

小説では、価値観の合わない父母は離婚をするのだが、再婚をし、平凡を正義としてサラリーマンとしての「生活」を生きる父と、貧しい生活と病気の境遇をおしても、それでも音楽を極めるべく彼女だけの「人生」を生きようとした母が描き出される。
その中で、勝呂(遠藤自身)も、軽蔑している父に養育してもらいながら、一方で、母から人はどう生きるべきかの薫陶を受け続ける。そんな成長期を送り、そうして今現在は、妻子がいて、時には臨時収入に嬉々とする「平凡な生活」を眼前に広げている。
つまり小説の中では、父と母の相反する姿が、「平凡な現実生活」と「人としての生き方」として対峙され、そんな二律背反した二つの考えに、若き遠藤周作が煩悶するようすが、繰り返し繰り返し描かれている。 
テレビETV特集では、そのどちらもありで比較にはならないかのような、安逸な答えを引導させていたが、それは単純な二者択一でもないし、ましてや二者迎合でもない。なぜなら2011年の東北大震災を経験した私たちには「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」が、人にとってどれだけ大切なのかを知ったはずだからだ。3月11日午後2時45分までの当たり前の生活が、一瞬にして消え去り、何万と言う命を奪い何十万と言う家屋を飲みこんだ事実を前にすれば、人としてどう生きるのかを、今の我々に自問する事は出来ない。

答えは、ないのだ!

さて、読み終えて、私は、遠藤周作「沈黙」を即買い即読みはじめたのは、言わずもがな!!

3、斉藤幸平「人新生の『資本論』」

翌朝、捲った新聞には、斉藤幸平「人新世ひとしんせいの資本論」の広告。
なに、40万部だと!電子版もあるじゃん!
次はこれだ。これしかない。(Kindle ポチッ!)