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  • 吉屋信子に関する調べもの。

    吉屋信子に関して色々過去に調べたり書いたりしたことをまとめて置きます。

最近の記事

地の果まで①最初の洛陽堂版のあとがき

 さて「地の果まで」。  これは吉屋の長篇メジャーデビュー作どす。大阪朝日新聞の懸賞小説で入賞したんですね。まあ「長篇」としては処女作と言っていいです。  読む方法としては『朝日版全集』第2巻が一番手っ取り早いし読みやすい。現代仮名遣いだし。改変もないし。  この話は、まーそれこそ何度も何度も色んなところで再版されたり、時には雑誌の別冊付録小説として収録されることもあったくらい、あれこれ刷られてるんだけど、意外な程にテキストの乱れは無い。  初出は大正九年の『大阪朝日新聞』

    • 吉屋信子を調べる際の伝記等について

       さてまず吉屋信子について調べるとする。  そんで、作品よりまず人物として見る場合、伝記だの評論が必要になったりする訳だけど、このひとに関しては、基本的にでかい伝記が二つあるのだ。  吉武輝子の『女人 吉屋信子』と、田辺聖子の『ゆめはるか吉屋信子』ね。  個人的には前者をおすすめする。  理由は二つある。 1.吉屋のパートナーである千代の生前に直接吉武氏は取材できたこと。  当人の生の声が反映されている。それでに二人の関係についても同性愛と明言している。  手紙の数が

      • 「少女期」もしくは「乙女の曲」/さりげなく少女は存在を消された

        >美緒ちやん、ユミは飯村久美子になりました。いまは、これを打明けて、学校でも、幼い日からのお友だちの貴女とまた仲よく肩を並べられるのです。うれしくてなりません。いつか学校でユミでない久美子として押し切らうとしてゐたときの、暗い悲しい気持は二度と繰り返ずにすみます。明日は、新しい父と母に連れられて、この海岸から帰京し亡くなつた久美子さんのお墓へお詣りし、お花を捧げて、久美子さんの身代りとして、御父様と御母様によい娘になることを誓ひます――、いづれおめにかかつてからお話いたします

        • きのふの愛を捨てんとて/『少女ペン書翰文 鈴蘭のたより』(宝文館 大正13年)の最後の文章

           正確にいえば、少女小説ではなく、「文例」なんですね。  だけど、その文例そのものが手紙文ストーリーになってるという……  引用↓。 *** 先生私(あたし/以下同)は平安な微笑を思うて此のお話をお届けいたします。先生私は灯すころ河岸に沿うて家へと帰路に急ぎました。あの時、先生はまだ奥様と御いつしよに恐らくあのバルコンの上から私の後ろ姿を見送りながら何かのお話しに耽つてゐらしつたと思ひます。 瓦斯が青くボツーと燃えてゐる街道にゆくまで私は裏道を歩きました。小さい流れ、そ

        地の果まで①最初の洛陽堂版のあとがき

        • 吉屋信子を調べる際の伝記等について

        • 「少女期」もしくは「乙女の曲」/さりげなく少女は存在を消された

        • きのふの愛を捨てんとて/『少女ペン書翰文 鈴蘭のたより』(宝文館 大正13年)の最後の文章

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        • 吉屋信子に関する調べもの。
          4本

        記事

          「少女小説」。

           さて今回は吉屋の「少女小説」です。  吉屋以前にも無い訳ではないです。つか結構あります。与謝野晶子は「童話」の一環として書いてた時もあるし、林芙美子はお金が無くなるととりあえず少女小説を書いて日銭を稼いだんだそうな。  まあ正直、あーんまり吉屋、っーよりは、当時の投稿文章エッセンスを形にしたような「花物語」以前は「少女小説」が熱狂的に愛されることはなかったんじゃねえかと。  その「花物語」は「基本」52作の短編集。  「だいたい」『少女画報』や『少女倶楽部』に掲載されたも

          「少女小説」。

          童話「銀の壷」と「黄金の貝」

           童話について、つづき。  吉屋の童話は割と擬人化された動物やら昆虫やらをキャラにした短篇が多い。  その中でも長篇(といっても連載された童話、という程度の長さ)の中で、気になるのが二作。  一つは「銀の壷」。  もう一つが「黄金の貝」。  まず「銀の壷」。これが今一番手軽に(……)読めるのか、『日本児童文学大系6』(ほるぷ出版)。  市立図書館に…… あるかなあ。県立ならまあ入っていると思いたい。児童文学、という観点から。文学部的なものがある大学図書館なら入っている確率

          童話「銀の壷」と「黄金の貝」

          最初は童話からでした。

           さて。  吉屋信子は少女小説! その後家庭小説! なんですが、実のところ最初に投稿で活字化されたのは童話でした。  そんでもって最初にまとまったのも童話です。  明治43年。まだ女学生の頃です。  で、当時の童話雑誌『良友』とか『幼年世界』に定期的に載る様になって。その辺りで浜田廣介から文章指導を受けたとか。  これがだいたい大正9年まで続くんですね。ちなみに「花物語」は大正7年から。平行してやっていた時期もあるってことです。  その辺りの研究は研究者の中では山田昭子氏

          最初は童話からでした。

          初期吉屋信子の「理想の女性」。

          >雑誌「新家庭」より若き処女の描ける理想の女性の題のもとに答へを求められて感ぜしもの――  私自身、一個人として求め憧れてゐる『理想の女性』がございます、それは私に取つて唯一人あればよい『理想の女性』です。  さて、その『理想の女性』とは?  それは、私を又なき最愛ないとしき恋人として愛をそゝぎ身も魂も私の為に捧げて惜しまぬ女性です。その人は世のあらゆる異性の手を捨てゝ同性の私の許にのみ願つて来る女性です。周囲のあらゆる反対や障害の柵を飛び越えて―― 私に対する愛のみ一

          初期吉屋信子の「理想の女性」。

          吉屋信子という作家をご存知でしょうか?

           知るひとは知る、という作家なんですよね。  ここ数年、百合文化がまたぱーーっと広がりましたな。  百合ないしはレズビアン系の女×女のエンタメというのは、まあともかくぱっとしなかったんですよ。あるこたある。だがしかし必ずしもぱーっとは広がっていないというか。  戦前の少女小説のそれは男女共学でない中でのそれだし、少女マンガにしたって70年代半ばからもう男女恋愛がひたすら中心になってしまい。80年代からやおい~BLという流れが出てきて、これがまたいろーんなパターンの恋愛事

          吉屋信子という作家をご存知でしょうか?