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三角形のその先に【SF?ショートショート】

 目が覚めた。
 目覚めでぼやけていた視界が、次第に目に映るものの輪郭をはっきりとしていく。目の前にあるのは俺の両足だ。俺は椅子に座っていて、床を見下ろす格好になっている。

 頭をあげると、正面の座席と向かい合っていて、そこには女性がうつむいて座っている。彼女も眠っているようだ。
 ここは電車の車内だ。彼女の頭の後ろ、車窓からは、外の真っ暗な景色がのぞいていて、暗がりの中に街灯か何かの小さな明かりが、点々と浮かんでいる。まだ頭がはっきりしないが、たぶん仕事帰りの電車の車内で眠りこんでしまったようだ。
 ふと彼女の腰のあたりに目をやる。彼女の膝上までしかないスカートから、両のふとももがあらわに伸びていて、その健康そうで魅惑的なふとももの柔肌と、スカートの裾は整った三角形を作っていて、その三角形の奥に目が吸い寄せられる。
 いかんいかん、と思い目を逸らす。彼女の両隣にも人が座っているじゃないか。でもよく見ると、両隣の彼らも眠りこんでいるようだ。それを確認したからというわけではないが、できるだけ前を向こうとしつつも、ちらと三角形を見ると、三角形の奥の暗がりが、私の目を真っすぐに見据えている。
 真っ暗できれいに整った形の三角形。その奥は、見えそうで、決して見えることはない。そこに何があるのかわかりきっているはずなのに、もっと過激なものはいくらでも見てきたはずなのに、バレるととんでもなくまずいのに、そこから目を逸らすことができない。なぜなのか。人類の(雄の)進化の過程のどこかで、何か黒い三角形の隙間があったときにそれを覗き込んだ個体のほうが生存に有利に働いたか、あるは突然変異か、何か知らないがそういったものから目を離すことができないように、遺伝子に深く刻み込まれてしまったものと推察する。

 突然、彼女の首がかくんと動き、とっさに視線を外す。そのときまずいことに気づいた。俺の右隣に座っているのは俺の妻だ。背筋を冷たいものが走る。数秒間硬直。でも隣の妻は、何も言わなかった。バレなかったか、と思ったが、妻も寝ているようだ。うつむいてすうすうと寝息を立てている。
 ほっと肩の力が抜けるとともに、視線が三角形へ戻ってしまった。妻のことは心から愛している。妻を悲しませるようなことはしたくない。下着なんて、妻のものをいつも洗濯して畳んでいるから見慣れたものだ。とはいえ、とはいえだ。隠されているものを見たくなるのは、これまた遺伝子レベルのあれなのである。三角形の奥は、めったなことでは見えないので速やかに諦めるべきという事実は、これまでの30何年の人生で学んだ最も有意義な知識のひとつだ。と同時に、宝くじは買わないことには当たらないし、何事もやってみる勝ちがある、というのもこれまた大切な知識だ。

 三角形のあまりに強大な重力は光をも飲み込み俺の目線も吸い込まれる。その奥は真っ暗な闇に塗りつぶされ、3つの辺は強固な輪郭をもって、光が一筋でも通過することを阻む。すぐ奥に何かがあるような気もすれば、どこまでも無限の闇が続いているようにも思える。祈りはどこまでも届かないが、代わりに脳裏に浮かぶのはせめてもの慈悲、漆黒の奥にあるのは、白き普遍的な輝きだろう、いややはりあの暗さ、すべての波長の光を飲み込む黒体のような漆黒ではーーー

 そのとき、からんからんと乾いた音が聞こえてきて、その音は俺の右脚で止まった。視線を正面の三角形から外して足元にやると、転がってきた空き缶が俺の脚にひっかかっていた。ごみだろう、拾おうとしたときに、体が何かに引っかかって思うように動かず、その拍子に空き缶は俺の脚から離れて、来た方と反対側へゆっくりと転がっていった。
 俺の左のほうへ転がってゆく空き缶を見る。それはからんからんと音を立てながら、俺から離れていく。空き缶は、向かい合った座席の列の間のちょうど真ん中あたりを、どこまでも止まらずに転がっていく。どこまでも、どこまでも。向かい合った座席の列は、ずっと遠くまで続いていて、遥か遠くで点に収束している。からからという音は小さくなっていき、やがて、空き缶は見えなくなった。
 空き缶のやってきた側、俺の右側へ目をやる。そっちも、無限に続く座席の列が続いていた。座席には、ひとつの空席もなく人が並んで座っていて、ひとり残らず一様にうつむいて眠っている。みな、肩から腰にかけてベルトをしている。
 自分の胸元に目をやると、そこにもベルトがあった。さっき体がうまく動かせなかったのはこれのせいだ。周囲の光景は、寝起きでぼやけた脳に氷水をあびせ、思考が急速に冷まされていく。おそろしいことを思い出そうとしている。
 身じろぎしたそのとき、何か小さなものが胸ポケットから滑り出た。その白い錠剤が、かつんと音をたてて床に落ちたとき、思い出した。

「みなさま、一列にお並びください」
 俺は人の列に並んでいた。星間移民列車に乗り込む人の列だ。おれの前には妻がいた。妻と無数の人々と共に、長い長い旅路に出かけるところだった。
「あまりに長い、絶望的に退屈な旅路です。でもご安心を。みなさまには、旅の間は冬眠状態になっていただきます。その間は、お腹は空きませんし、退屈な時間を感じることもありませんし、歳もとりません。ずっと若々しいままですよ」
 それはいい。寝て起きるだけで新しい生活というわけだ。そのとき、俺は隣の列の、ひとつ前に、きれいな女性が並んでいることに気づいた。その整った後ろ姿、特に、ぴっちりとした服につつまれた、はりのあるお尻に気を取られた。何十年何百年か知らないが、その間この若々しいお尻も変わらずそこにあり続けるに違いない。すばらしいことだ。
「そのために、先ほどお渡しした錠剤は、今、1錠、そしてもう1錠は、電車に乗り込んだあとに、必ずお飲みになってください。でないと、旅の途中で目を覚ましてしまいます」
 俺は目をお尻に釘付けにしたまま、錠剤を1錠飲むと、あまったもう1錠を胸ポケットに入れた。
 電車が出るとき、あなた薬飲んだ?と妻に聞かれた。さっき飲んだから大丈夫。そう俺は答えた。

 電車は真っ暗な闇の中を走り続けている。車窓の外、電車のやや進行方向側に、3つの明るい星が、ずっと位置を変えないまま、遥か彼方で輝いている。
「窓の外、右手に見えますのは、3つの恒星が形作る三角形の星座です。その三角形の向こう側、それが私たちの目的地です」
 誰のためか分からない、合成音声の車内アナウンスが流れてくる。今日も、いつまでも先の見えることのない、真っ暗な三角形がぽっかりと俺の目の前にある。

〈終〉

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