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酒呑みの言い訳は論破できるのか

僕は普段よく酒を飲む方で、飲み会だけでなくひとりで飲む日もあわせると連日飲酒になってしまうことがよくあります。

意識的に酒を飲まないようにする日も作るため、シラフで寝た方が睡眠の質も高く、読書をする時間も取れて、酒を飲まない生活の方が生産性の高い暮らしを実現できることはよく理解できています。

しかし、仕事を終えて自宅に向かっている時や、休みの日にやるべきことが終わりそうなとき、美味い酒の味わいや香りが脳内をよぎってしまい結局のところ酒を飲んで一日の終わりを過ごすことが多いです。

ビールでも日本酒でも焼酎でも、どれも酒の味が好きであることも辞められない理由のひとつではあります。酒を辞めるにも酒が美味すぎるわけです。

しかし、酒を飲むようになったのは20代の後半からで、僕が胃がんの治療をひととおり終えて回復期に差し掛かったころだったと思います。

当時の僕はがんを取り除くために手術で胃を全摘出していたので、禁酒どころか食事もままならない療養生活を続けていました。

胃の摘出手術をする際に、僕のがんは胃の上部にあったことから、転移を防ぐために食道の下部も切除しています。

この食道の切除によって、食事を飲み込むときにのどに詰まらせてしまう現象がよく起こります。これは今でもよく起こっているので治療やリハビリの努力でどうにかなるものでもないようです。

そのため、食事は柔らかくて嚙み砕いても美味しく食べられるものを自然と選ぶようになりました。一般的な食事もすることはできますが、普通に比べると時間を多くかけて食べるので、食べ終わる時にはほとんど冷めてしまっていることも珍しくありません。

また、食事を何とか済ませることができても、食後にダンピング症候群という眩暈や動悸がしてしまう手術の合併症が発生します。これは食べた食事が胃を介さずにダイレクトに腸に送られることで血糖値が急激に上昇して起こる胃の摘出の副作用です。

特にごはんや麺類など、炭水化物を含む主食を食べた時にこの症状が顕著に起こってしまう傾向があります。ごはんをたくさん食べるとその分ダラーっとしてしまい横にならずにいられない状況になるのです。

こういった傾向があることから、炭水化物の量はできるだけ少なめにして、高たんぱくな食べ物を好むようになりました。そして僕の細い食道を詰まらせない柔らかいものや小さく噛み切りやすいものを好みます。

また、これらの制約から、自然と固形物を摂取することにリスクを感じるようにもなってしまいました。主食を食べる時は冷めてしまうご飯をたくさんの時間をかけて食べなければならないうえに、副作用が出てグダグダとしてしまいます。

それに比べると、どうしても酒を飲むことの方が手っ取り早くて美味しい食事を済ませることができるのです。

酒に合う食べ物と言えば、例えば豆腐のように柔らかいものがあります。豆腐は切除された僕の食道でも、すんなり通り過ぎてくれます。冷やっこならば元から冷たいのでゆっくり食べて冷める心配もありません。

シラフで食事をすると合併症のリスクを伴い、酒を飲むときには症状に苦しむことがない。これを比較して考えると、どうしても酒を飲むことを選んでしまいます。

これが僕の「酒呑みの言い訳」です。言い訳に周りが共感しづらい病気の理由を連ねているところがタチの悪いものだと思います。自分で組み立てたロジックがただの言い訳であることは自分でもよくわかっています。

しかし、人間は基本的により手っ取り早いもので快楽が得られることを求めるのだと思います。

それが社会的にイメージが悪かったり、自分自身の健康などに損害を与え得るとわかっていても、快楽を求める心理的バイアスが働き、自分の行動を社会的にも生物学的にも、何とか正当化するべく説明を組み立てるようです。

酒でもタバコでも、筋トレでもマラソンでも、ギャンブルでもホストやキャバクラ通いでも、どれも人に快楽を与えるものであり、中毒性を伴う点が共通しています。

快楽がベースにあるものを辞めることは難しいものです。酒を辞めてほしい人が周囲にいる場合は、その人が紡ぎだす「酒呑みの言い訳」の強固なロジックを崩さなければなりませんが、論破できてもそういう人はまた新しい言い訳を紡ぎだすに違いありません。

僕はぐっすり寝たい時と、本を夜な夜なじっくり読みたい時には酒を飲みません。あとは、どうしても白いご飯を食べたい時は酒を飲みません。

「酒呑みの言い訳」は論破するのではなく、辞めたらどんないいことがあるのかを示してあげた方が効果があるかもしれません。

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