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失われたやりがいを求めて|労働の疎外と仕事

あらゆる場所で「仕事のやりがいが感じられない」「仕事のモチベーションがなくなった」という話をよく聞きます。

こんなにも社会は豊かで便利になったにも関わらず、人はなぜ仕事に対してのネガティブな感情から抜け出せないのでしょうか。

現代において私たちが仕事を選ぶ基準は人それぞれで、報酬や福利厚生、自己実現ややりがい、求めるものはさまざまです。もちろん正解はありません。

そんななか、仕事のやりがいを失ってしまう感覚は、多くの人が一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

今回は、仕事におけるやりがいを考える上で重要となる、「労働の疎外」という概念を紹介します。

自然と陥ってしまう「労働の疎外」という現象を知っておくことで、会社という組織において自分がどの様に働き、どの様にやりがいを感じられるのかがわかるようになります。

この記事を通じて、仕事のやりがいに対して新しい視点を持ってもらうことができれば非常に嬉しく思います。


「労働の疎外」|仕事は構想と実行から成り立っている?

「一日中ただただ目の前の作業を同じ様に繰り返し続けて働き、その作業が誰の役に立っているのかわからない。」

「夢や野望を胸に抱いて入社したが、希望する仕事は全然させてもらえず、いつも同じ作業ばかりさせられている。」

この様な経験のある人は多いのではないでしょうか。よく聞く話でもあると思います。

労働者が自分の仕事との関係を失ってしまい、仕事におけるやりがいや自己実現を果たせない状態というのは、組織に所属して仕事をしている人には頻繁に発生する状況です。

実はこの現象を経済学の観点から分析して「労働の疎外」と呼んだ人がいます。資本論の著者カール•マルクスです。

マルクスが考える本来の労働というのは「構想と実行」から成り立っているといいます。構想というのは、どの様なものを作るかを考えることで、実行は文字通り仕事の作業にあたる行為です。

「構想と実行」は現代の言葉で表すと「設計と実装」または「デザインとエンジニアリング」と呼んでも良いかもしれません。

「労働の疎外」|単調な作業を続けるとなぜやりがいを失うのか?

「労働の疎外」という概念は、この「構想」と「実行」が分裂して離れていってしまうことで発生します。

専門化された作業によって、労働者は自分の役割を超えた全体像を見ることができなくなり、単調な作業を繰り返すことになってしまいます。

任されている仕事の全体像がイメージできていないまま、とりあえず作業を続けてしまっている状態になり、知識もスキルも身に付かないまま機械の様に作業を続けるようになってしまいます。

しかし、マルクスは本来の労働の在り方は、もっと豊かなものだと言っています。

「構想と実行」が結びついている状態では「労働の疎外」は発生せず、自分の作業が全体の成果に結びついているとイメージしながら、成果を感じて豊かに働くことができるのです。

労働の疎外が発生する前の時代には、職人仕事が主流でした。職人は、ひとつの仕事をひとりが全てやり遂げることができ、自分の作業の全体像を把握することができました。

自分で釣った魚を自分でさばいて盛り付け、食卓に運んで誰かに食べてもらい「美味しい」と言ってもらいながら料金を受け取ったら、それは本当に嬉しい仕事の成果だと感じるはずです。

つまりこの「労働の疎外」を発生させずに仕事に取り組むことができれば、やりがいを感じながら働くことができると考えられます。

仕事をする場合はしっかりと構想を練って全体を意識し、その構想に貢献するように作業を実行していくことで、豊かな労働を実現できるようになるはずです。

さて、それでは「労働の疎外」が発生しやすい労働環境とはどういった企業でしょうか?

そう、大企業です。

「労働の疎外」|なぜ仕事は機械化されてしまうのか?

「労働の疎外」が発生する原因の一つに、仕事の細分化と機械化があります。一つの仕事を分割し、専門化された作業に分けることで、生産性が向上することは明らかです。

経済学の父であるアダムスミスが提唱した理論で、今では常識となっています。

会社の規模が大きければ大きいほど、この「労働の疎外」は顕著に表れて加速していきます。大企業は多くの場合、生産性の向上を重視するために仕事を細分化し機械化を進める傾向があり、そして大企業は仕事を細分化して機械化する能力と資本力を備えています。

こうして、人間は組織のなかで機械化してしまうこととなり、やりがいを感じられないまま働き続けてしまうのです。

大きな組織で自分の作業にやりがいが見いだせないという人は、自分の作業が機械化させられて「労働の疎外」が生じているかどうか、自問してみてください。

豊かなやりがいのある仕事に出会うには

「労働の疎外」とやりがいのことだけに着目すると、大企業で働くということは機械のように作業することを意味し、魅力がないように映ってしまうかもしれません。

しかし、もちろん小規模な会社で働く場合にもデメリットが存在します。一般的には多くの人が大企業への就職を望んでいることからも、既に周知のことでしょう。

小さな会社には技術や経験の蓄積が少なく、給与も高くありません。倒産の可能性もあることから安定性が低いとも言えますし、人材不足も頻繁に発生します。

それではどうすればいいのか、その回答は労働者の判断によりますが、いくつかの提案をして締めくくりたいと思います。

大企業でもやりがいを感じ続ける思考法

マルクスの価値観で組織と個人の働き方を考えると、どうしても「巨大企業に搾取されていく労働者」という構図から考えが離れなくなってしまいます。

しかし、ひとくちに大企業と言っても本当に様々な会社が存在します。大企業のもとで豊かな労働を実現している労働者ももちろんたくさんいます。

過去に、社会貢献を直接的に唱えなくとも、大企業は自然に社会に貢献している、という記事を書いたことがあります。

記事ではアフラックとマクドナルドの例を出し、大企業がいかに社会に貢献しているのかを説明しました。

大企業での仕事は、実際に行う作業こそ機械的かもしれませんが、会社が取り組んでいる社会的課題を知っておくことで、労働者は仕事の全体像を把握でき「構想と実行」を結び付けながら、仕事のやりがいを保つことは可能になるはずです。

小規模な組織で働く

しかし、どれだけ会社の取り組みを知って全体像をイメージできても、やっぱり実際の仕事が与える影響を実感できないと辛い、という人には小規模な組織で働くことを勧めます。

僕自身は現在、小規模な100人前後の会社で働いています。入社当時は30人程度だったのでこれでも大きくなってきているところなのです。

新卒で入社した時は大企業とまではいかなくとも、数百人単位の規模の比較的大きな会社でした。しかし病気の経験がきっかけでその会社は退職してしまい、やむなく小さな会社から社会復帰をしていくこととなったのです。

小さな会社で働きはじめてからは、今のところ「労働の疎外」の様な現象は起きておらず、自分の作業が全体に影響を与えていることを実感しながら豊かに働くことができています。

もちろん、安定や高報酬という魅力は手に入っていませんが、機械の様に働くより自分の働き方にはあっているように思います。

さて、今回の記事では答えのない問いを考えてみました。

人間は仕事にやりがいを求める生き物ですが、そのやりがいを失わない様に、どういった組織でどの様な意識を持って働くのかは、読者のみなさんの決断と行動に委ねたいと思います。明日からも一緒に頑張っていきましょう。

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