《舌染红尘》中国語エッセイ翻訳チャレンジ 4 二锅头

 話によると、原始社会にはもうお酒があったそうだ。私の考えでは、人類に欲望と悩みが現れた時にお酒は同時に現れたのじゃないかと思う。
 もし人生を私とあなたが競い合う球技の試合だったとしたら、酒はまさにそのチアリーダーといったところだろう。彼女たちは美しく熱心にひたむきな愛を注いでくれる。あなたの代わりに相手チームの四角いゴールにボールを入れることはできないが、あなたが大敗した時も変わらぬ愛であなたを強く抱きしめてくれる。情け容赦のない敵や、厳しいルール、そして薄情な観衆を少しの間だけ感覚を麻痺させあなたを慰めてくれる。
 現実は少しも変化がない中で、その一瞬、気持ちを支えてくれる。束の間この世の中の煩わしさを放り捨て、自分の中のユートピアに浸り、残酷な真実から目をそむけ、一時の幻想を抱き一息つく。


 私の一番最初の記憶は、父が白酒を飲む時に、いつも箸の頭を盃の中にちょんとつけその箸をしゃぶっていた。この”おしゃぶり”飲酒が十数年続き、私の飲む量はずっとお箸も大小程度をこえなかった。だから酔っぱらう事なんて言うべくもない。本当に酒を飲んで酔っ払ったのは北京中央美術学院で研修していた時のことだ。
 北京での研修以前、私は家から遠く離れてこんなに長く過ごしたことはなかった。大学まではずっと地元の学校だったし、卒業しての働き始めた時も同じ町だった。北京での研修が始まった最初の数週間は大興奮だった――だって今までにない新鮮な刺激だったから。だけど、その後だんだん気が付いてきた。週末も家に帰れない。家ははるか遠くの場所で、半年間は家族とも会えない。私は慄然として、望郷の念を感じそして家族を思った。
 当時の私は大学を卒業したばかりで失恋を除いては、挫折らしい挫折は一つもしたことがなかった。だからこの手のホームシックは相当に堪えた。同じ寮に私より一つ年下の麗霞という女の子がいたのだが、彼女の状況も私と似たようなもので、お互いに同情しては、いつも故郷の些細な光景について語り、話はやがて郷里の美味しい食べ物に及び、そんな時は余計に涙と涎が同時に出てきたものだった。そしてある週末の午後、ついに私たち二人はこっそり売店で二鍋頭をひと便買ってきたのだった。二鍋頭は好きで買ってきたのではなくって、ただ紅星二鍋頭しか売店に置いていなかったのだった。

 さて酒を買った後に、これは肴もいるなと思った私たちは、食堂にひとっ走りして鶏レバーの煮込み(卤鸡肝)を買ってきた。寮に戻ってから扉に鍵をかけて私たちは飲み始めたのだった。
 初めての白酒は全くその恐ろしさを知らず、白い茶缸(蓋つきマグカップ)を酒杯の代わりにして、一気に半カップも飲み干してから鶏レバーを一口つまんだ。二鍋頭はとても飲みにくくて、小さい頃の父のお箸の酒とは全く別物だった。その強烈なるアルコールの刺激から逃れようと、瓶を閉めた。まもなく二鍋頭一瓶は、たった四分の一を残すのみとなり、私たちはすっかりできあがってしまって、大笑いしながら、筆で酒瓶をたたきながら大声で歌いだし、寮の静寂を破り寮生を驚かせてしまった。彼らはすぐさま班長に連絡した。班長は可及的速やかにやってきて、あくまで紳士的に我々の門をたたいた。それから恐る恐る扉を開けたのだった。私たちは彼の頭が扉からのぞくと、「出てけ!!」と怒鳴りつけると筆を洗うために使っていた、広口のガラス瓶を扉めがけて投げつけた。瓶の中にはまだ筆を洗った後の墨で真っ黒の水が入っていたが、それが玄関わきのキャビネットの上で炸裂して、白い壁と床にしたたかにぶちまけられた。幸いなことに班長は瓶の直撃は避けられたものの、中の液体まではそうはいかなかった。墨をかぶってまるでアフリカの人のようになってしまった。私はというと瓶を叩きつけた後にそのまま意識を床に突っ伏して失い酔いつぶれたのだった。夜半に目覚めるとまるで滝のように嘔吐した。まるで前世食べたものをすべて吐き出したような気分だった。私は自分の命に誓ってもう酒は飲まないし、鶏レバーも食べないと思った。
 だけど、私たちが次に酔っぱらう機会は思ったより早くおとずれた。それはだいたい一年後に起こった。研修の最後の学期、北京中央美術学院での一年はまるで夢幻のごとく過ぎ去り、私は既に地元に帰りたいとも思わなくなっていてこの町のルールに従って生活できるようになっていた。だけどこれから安定した職を離れ、また知らない街で北漂(北京の戸籍を持たないまま、北京で生活したり就活する人たちをこう言った)しなければならないのは、やはり心細かったのだ。それだけじゃなくて、麗霞は一人の北京の男の子を愛するようになっていた。二人はもうすぐ離れ離れになって、多分もう会うこともない。こんな気分のもとで私たちはまたお酒を飲んだ。あれはまさに薔薇の満開の時期で、私たち二人は夜のパーティーの残り物のワインを数本持ってきて、運動場に出かけた。そして、運動場のベンチに腰掛けると何もしゃべらずにワインの栓を開けて瓶のまま飲みはじめた。初めて酔っ払った時の理由より、今度の酔った理由はよっぽど困惑と絶望が強かった。本当の現実はいつだって人を無言にさせる。やけ酒は回りが早いもので、ほどなくして麗霞は泥酔して大きなエンジュの木の下に横たわると、声も出さずに涙をこぼした。私は彼女の横にひざまずくと大声で泣いた。あとでその様子を目撃した同級生に聞いた話だと、彼は麗霞が死んで私がそれを悲しんで泣いていたのだと思ったそうだ。

 この酔いが醒めた後、私はもう酒をやめようとは思わなかった。私はこの人生はおおよそ酒と切り離すことはできないものだとわかったから。のちに北京、海南、広東を転々とする私だが、そのそばにはいつも酒があった。さらに言えばそれだけではなくて、その後酒に酔った理由はに比べて、あの時酒で忘れようとした悲しみは、ただ若者の軽薄さに満ちた悲しみの演出に過ぎなかったのだ。


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