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性別という役割から解放されたい

 近頃、日本の性差別の実態が浮き彫りになるような報道が続いていてうんざりする。
 まだそんな意識でやってたのか、と思う反面、どこかでその事実を知っていたような気がしている自分もいる。それほどまでに日本の性差別は社会に浸透しているのだと思い知らされる。無知でいた自分も、きっと同罪だ。

 女性は家庭に入り、男性は外に出て働く、という固定概念は、女性を抑圧していると言われがちだけど、一方で男性のことも不自由にしているのではないかと思う。

 一定以上の収入がなくてはならない。ある程度の年齢までは途切れずに働かなければならない。家庭よりも仕事を優先するべき。…などなど。男性に求められている全時代的な役割を、重荷に感じる男性もいるだろう。

つまり、みんな辛いんだなあ、と思ったわけだ。
じゃあなんでこんな仕組みや考え方を続けてるのか?というのが甚だ疑問なのだけれど。しかしなってしまったものは仕方がないので、できるところから変えていきたいなあと思う。

私がゆくゆくフリーランスになりたいと思っているのも、大半がそういう理由だ。夫になるであろう人と、二人三脚でやっていくためにどうしたらいいのか考えた。散々考えて思った。私にとってのベストはフリーランスになる事だと。

 私がある程度の収入を得られていれば、夫になるであろう人が、例えば病気になった時だって「少し休んだらいいよ」って言ってあげられるんじゃないか。
その逆だってもちろんあるだろう。それぞれ、その時にできる方が支えていけばいいと思っている。

  兼業ライターをはじめてから、どうしても時間配分がうまくいかず、それ以前よりも家事が行き届かなくなる事が増えた。彼は特に何も言わないまま、以前よりもいろいろの家事を担ってくれるようになった。私は「ごめんね」と謝ったのだけど、彼は「謝る事なんてないでしょう」と言った。「一緒に生活しているんだもの」と。 
 一緒に暮らしているんだから、やれるほうがやればいい、というのは確かにそうで、それまで「女だから私がやらなくちゃ」と意識することもなく思っていた自分に気がついた。そういう意識が、染み付いているなあと思った。

 自分を呪うのはいつでも自分自身で、その呪いを解くのもまた自分自身だ。

 とりあえず、性別で押し付けられる役割から解放されるために、まず自分を許す勇気を持ちたいと思う。それから、身の回りの人のことも。

 そうやって一つずつ呪いを解いていくことだけが、「社会」なんて大きなものを変える唯一の方法なのかもしれない。

「スキ」してくれた貴方には向こう1日の幸せを約束します!