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ありがとうの価値

昔付き合っていた男性(仮にMとする)は、全くといっていいほどお礼を言わない人だった。
誰に対してもというわけではなく、むしろ他の人には積極的にお礼を言っていたような気がする。わたしだけが滅多に彼の「ありがとう」を聞いたことがなかった。

余談だが、わたしの家族はお互いに軽率にお礼を言う。リモコンを取ってもらっても「ありがとう」。ケーキを一口もらっても「ありがとう」。盛大に誕生日を祝ってもらっても「ありがとう」。
特に意識したことはなかったし、他の人と比べたことはないけれど、家の中で「ありがとう」と言わない日はないとは思う。

Mと付き合っていた当時、わたしも彼も学生だった。
結婚という言葉はまだ少し遠くて、けれど共通の先輩が数人立て続けに結婚した、なんて話も聞こえてくる年齢ではあったので、少なからず意識はしていた。
だからというわけでもないのだけれど、週末は彼の家で過ごし、料理をしたり洗濯をしたりと我ながら甲斐甲斐しく家事をしていた。
しかしそんなわたしに、彼が労いの言葉をかけてくれることはほとんどなく、まして感謝されることもなかった。

ある日、その事で喧嘩になった。
これだけ一生懸命やっているのに「ありがとう」も言われないのは寂しい、と言ったわたしに、彼はこう言った。
「そんなに頻繁にありがとうって言っていたら、ありがとうの価値が下がるでしょ」
聞けば、M家ではよっぽどの事がない限りはお礼を言ったりしないそうだ。家族が家族のために働くのは当たり前のことで、お礼を言うような事じゃない。それに、特別な時に特別な気持ちを込めて言うために、感謝の言葉は軽々しく使うものじゃないのだと。

正直わたしには意味がわからなかった。安かろう悪かろうの大量生産叩き売りをしているわけでもあるまいし。そう思ったけど口にはしなかった。批判もしなかった。ただ、それが彼の価値観なのだな、と思って心に留めておいた。

それから程なくして、わたしから別れを告げた。主な原因は別の事にあったけれど、思えば「ありがとう」に対する価値観の違いを感じたあたりから、もう先は長くなかったのだろう。
価値観はそれぞれだし、何が良くて何が悪いという事でもない。けれどわたしは、小さな事にもお互い感謝しながら生活していける人と一緒にいたいと思う。

もしも「その時」がきたときに「もっと気持ちを伝えていたら」なんて思いたくない。必ず同じ明日が来る保証なんて誰にもないのだから。

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