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白いカーネーション、その後

幼稚園生くらいの頃に花屋さんで 
「白いカーネーション」
を見かけました。

可憐で、美しくて、
すいこまれてしまいそうで、

「これがほしい」と母に言ったら、

「これはお母さんがいない子の
カーネーションなんだよ」

と言われ、
買ってもらえませんでした。

当時の私には、
「母親がいる」
ってことがあたりまえだったから 

「母親がいない子がいる」
「母親がいるということはあたりまえではない」

っていうことが、とても衝撃でした。


時はながれて…

私の結婚が決まり、
大切な友人に電話で報告をしたら
「おめでとう」と言ってもらえませんでした。

なんでなんだろう。
私ののろけ話を
いつも楽しそうに聞いてくれていたのに。 


私の結婚式の数日前に、
彼女から電話がありました。

彼女のお母さんが亡くなったとのこと。

彼女のお母さんは末期の癌を患い、
壮絶な闘病生活を送っていました。

気がついた時には
かなり進行していたそうです。


気がついてあげられなかった、
自分の花嫁姿を見せられなかった、

…と、彼女は自分で自分を追い詰め、
責めていました。

私は彼女に
うまく言葉をかけることができませんでした。


私の結婚式が終わったある日
彼女から連絡がありました。

彼女が私を
ごはんがおいしいお店に連れていってくれて、
豪華で素敵なお花のアレンジメントを
結婚のお祝いに、と、
私にプレゼントしてくれました。

食事代も彼女がだしてくれて、
「お金はこういう時のためにあるの!」
と。


私は彼女の気持ちによりそいたかったけど、
大切なひとを失う気持ちは私にはわからなくて、

可愛いお線香を探して彼女に贈りました。


彼女のお母さんの命日が
母の日のあたりだった気がするので、
母の日のカーネーションをみるたびに、

当時の彼女は
どんな気持ちで
店頭に並ぶ花を見ていたんだろう、

あたりまえのように
赤やピンクのカーネーションが
店頭に並ぶ母の日ってなんて残酷なんだろう、

って
つい偏った見方をしてしまうのです。


そしてさらに月日がながれ、
あれから10数年がたちました。

実家の父から
「カーネーションが届いたよ」
と、LINEがありました。

昨年カーネーションを受けとった母は
もういません。

友人のお母さんと全く同じ癌でした。

彼女は20代前半でこの体験をしていたのだと
当時の彼女と自分を重ねては
胸がぎゅっとなりました。

もう母はいません。

それでも
赤やピンクの華やかなカーネーションを
遺影の母におくりました。

白いカーネーションを
おくる気持ちに私はなれなかった。

きっと母は
華やかなアレンジメントが好きだし。


カーネーションって
とてもかわいらしい花なのに
どうしてこんなに胸がぎゅっとなるんだろう。

「家族」「心身の健康」は
あたりまえなんじゃない。

「あり」「がたい」ものなんだ。

そんな気持ちを呼び起こす
美しくて切ない
カーネーションの季節。


私にできることはほんの些細なことですが,何かこころに響くことばがあったなら,何かお役に立てることがあったなら,嬉しく思います。