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限りある毎日を、どれだけ慈しむことができるだろう。映画『PERFECT DAYS』感想

映画『PERFECT DAYS』を見ました。
淡々と流れる主人公の日常を通して、自分の人生を撫でられているような、温かい気持ちになりました。せっかくなので、新鮮なうちにこの思いを書き留めておきます。
ネタバレを含んでいるので、まだ見ていなくて気になる方はそっとお戻りください。


映画「PERFECT DAYS」感想

何気ない日々の積み重ねって、全然何気なくない

主人公の平山は、毎日の生活を大切に過ごしています。
例えば、朝起きて布団を畳むこと。
育てている植木に水をやり、愛でること。
玄関を出て、今日の空を見上げること。
車の中で選んだカセットテープを流すこと。
トイレ掃除の仕事に一生懸命、取り組むこと。
お気に入りの神社で、お昼ご飯を食べること。
美しいと思う景色をフィルムカメラにおさめること。
湯舟につかってリラックスすること。
行きつけのお店で、いつものご飯を食べること。
寝る前に、本を読むこと。

全部、どうってことない、日常。
そこに流れるのは平山の、いや、私たちの日常である。

なんだってない、どうってことない日常。
でも、なんだってある、どうってことある日常。

なんだってないと言えるのは、蛇口をひねれば水が出てくるように、変わらず今日がやってくると思っているから。たとえ終わりがあること知っていても、どこかずっと続くような気がしているから。そしてときに傲慢に、ああだったらなぁと他人の芝生を青くし、自分の芝生を枯らしてしまう。

しかし、その流れる日々をちゃんと見ようとすればするほど、その尊さに気づかされる。どこまでも続いているような、限りある毎日をどれだけ慈しむことができるのか。それが生きるということだと、語りかけられているような気がしました。

毎日の積み重ねが、人生になる。さぁ、どうやって過ごそうか

印象に残ったシーンをひとつ挙げると、行きつけの居酒屋のママの元夫と平山のやりとりです。
元夫がある疑問を持つのですが、彼自身も平山も答えがわかりません。この元夫は末期がんを患っているため、知らないまま終わっちゃうのかなと寂しそうにつぶやきます。そこで平山は「今、確かめましょう!」と声をかけるのです。

このシーンを見て、ドキッとしました。
それは、「このまま終わっちゃう」と聞いて、私も同じかもしれないと思ったから。結局、人生は毎日の積み重ねでしかない。私は、未来の自分に期待して、やりたいと思っても理由をつけて後回しにしていることがあるけれど、この先もやらないのではないか。
ということは、わたしの人生このまま終わっちゃうのかな。それはいやだな。と強く抵抗している自分がいました。

同時に「今、確かめましょう!」と誘う平山を見て、そっか、今やればいいんだと思えました。自分で勝手に制限をつけないで、ひょいっと越えてしまえばいい。頭で考えているから難しいだけで、身体を動かしてしまえば、意外と簡単なのかもしれない。そして、それが自分を大切にすることに繋がる。生きているから、まだ間に合うよ。と優しく背中を押された気持ちになりました。

映画にならない今日を生きよう

この映画のサブタイトルは「映画にならなかった、平山の353日」。
その名の通り、私たちの今日は決して映画にはならない。それでも、この1日をどう捉えるかは、自分の気持ち次第で決めることができる。
隣の芝生はいつだって青い。だからこそ、その青さを見つめるより、自分の芝生に水をやり愛でていきたい。そんな生きることの強さとやさしさを教えてくれる時間でした。

※サムネイル画像は以下の公式Xより拝借させていただきました。


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