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「こうあらねばならない」価値観について

「お母さんなら怒らずに子供を見守らなくてはならない」

「お母さんなら母性があって当たり前」

「奥さんなら旦那を影で見守ってなければならない」

「ダンサーならこう言う立ち振る舞いをしなくてはならない」

「女性なら女性らしく微笑んでいなくてはならない」


全部私が言われてきたことなんですが、多分皆さんも似たようなこと言われてきたことがあるのではないでしょうか。



私は幼少期から「こうしなければならない」を押し付けられることにとても違和感があって、大人になるにつれてやっとそれについて言語化が可能になりました。言語化できるようになることでとても楽になったし、同じような気持ちの人々と共有ができるようになったことで安心感が得られるようになりました。


みんな意外とネガティブなことを思っていても、「これを言ったらイメージが・・」とか「嫌われるかも・・・」と表には出さないものですもんね。

。それが「日本人の良さ」と唱える人もいます。

でも、思うんです。



別によくね!?????



別に誰かを批判しているわけでもないし、傷つけるわけでもない。

自分の心を見つめてさらけだすのって悪いことなんでしょうか。


むしろ私は「こうせねばならないと思っている、そしてそれを自分正義として押し付ける」のは大きくなると戦争につながっていくのではないかと思うのです。

なぜならみんな戦争をしている人たちは「自分達、もしくは自分の正義のためにいいことをしている」とそれぞれが思ってやっているわけです。みんな自分を「善」だと思っている。

でも世の中は同時代に生きていたとしても、宗教も価値観も生活様式もそれぞれが違うのに同じ地球という星に住んでいるわけなんですね。



違って当たり前やーーーん。


また、時代によって価値観自体も変容するわけです。

例えば、スパルタ共和国時代は人殺してこそ正義であったり、男児はそのために生まれてきたようなもの。小さな頃からすぐに母親から離されて戦争のための軍人を作るのです。それに合わせて女性も「強い女」が求められていたとか。

今ではあり得ない話のようですが、でもその当時のその国の人たちにとってはそれが「ねばならない」こと。

そう時代とともに変わっていくとはそういうことなんです。


そして今は「多様性」の時代。

いろんな人がいていいじゃない!

自分と合う人を見つけて仲良くしたらいいし、地縁血縁以外で価値観の結びつきによってできるコミュニティってとても大事だと思いますよ。そうすれば、自分も満たされるし本当の意味での「他人は他人、自分は自分、でも他人の変わったところも尊重できるよね」ってことに繋がるのではないでしょうか。

みんな仲良くしましょうよ〜





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