【韓国映画】『ファイー悪魔に育てられた少年ー』これは間違いなく愛の物語だ。
韓国ドラマや映画をよく見るのだが、自分の感想を詰め込んだ備忘録のようなものがあればいいなと思い、noteを使って書いてみることにした。
今回は、2013年に公開されたヨ・ジング主演の映画、『ファイー悪魔に育てられた少年ー』について書いてみたいと思う。(若干ネタバレなところあり)
以下、あらすじ。
今回、ヨ・ジングは『5人の父親』に”愛情をかけて”育てられた少年ファイを演じている。
映画を見る前にポスターを見た時は、この5人の犯罪者集団がファイを本物の犯罪者に育て上げていくような話だろうなという予想をしていた。
それが、実際に見てみると、ファイは父親たちに”愛情をかけて”育てられている。本当の父親のようにファイを大事にしている。これがこの映画の異常さであり、肝だなと私は思った。
愛情をかけて育てられたと言ったが、その愛情は"彼らなりの"愛情だ。
ファイは犯罪のスキルを父親たちにみっちりと仕込まれていて、父親たちそれぞれの得意分野(射撃、ドライビングテクニック等)を習得。そして、その腕もピカイチだ。どれだけ離れた場所からでも狙撃が出来るし、軽トラックで警察を振り切って逃げることも出来る。
けれど父親達とは違い、人を殺めた経験は無かった。
ある時までは。
ここで、映画のサブタイトルついて少し話をしようと思う。
『悪魔に育てられた少年』というのは邦題で、原題は「괴물을 삼킨 아이」=『怪物を飲み込んだ子』というタイトルが付けられている。
この原題のサブタイトルが、この映画にとって非常に重要なものではと私は思うのだ。
(何故これを変えてしまったのか。残念すぎる)
映画の中で、ファイにだけ見える”怪物”が出てくる。家の地下室に潜むその怪物を、ファイは幼い頃から酷く恐れている。
その怪物を何と捉えるかは、見た人によって様々な解釈があるだろうと思う。恐怖心、人間としての心、自分の中にある自分を飲み込んでしまいそうな何か。
作品の終盤でリーダー格のソクテ(写真真ん中)は「怪物になれば、怪物が消えるんだ」と語る。実は、ソクテ自身も過去に”怪物”に怯えた経験があったのだ。その怪物は、ある事件をきっかけに、ソクテには見えなくなったのだが、それは何故なのか…。
実を言うと、この映画を見るのは今回で二回目だ。一度目は原題を知らずに見たせいか、ファイのことをただただ哀れに思い、なんて悲しい物語なんだという感想を抱いた。
けれど「怪物を飲み込んだ子」という原題を知って見た二回目は、ファイが「怪物」になっていく様子を、ヨ・ジングの演技の端々に、そして脚本に感じとることが出来た。
ファイを演じたヨ・ジングは当時15歳。15歳でこの心理的な振り幅の大きい役を演じ切るとは凄い。
最終的に、ファイは父親達と対峙していくことになるわけだが、皮肉というか何というか。ファイは彼らを殺そうと、彼らが教え込んだスキル全開で向かってくるのだ。
それにも関わらず、不思議なことに彼らのファイに対する愛情は薄れない。本当に、最後の最後まで。この点は、この作品の特異点ではないかなと思う。
韓国語の話になるが、ファイは彼らのことを「お父さん」と呼ぶ。ここで注目したいのが、ソクテと他4人の呼び方の違いだ。
ファイは他4人の父親のことは「아빠(アッパ)」と呼ぶが、ソクテのことは「아버지(アボジ)」と呼ぶ。アッパの方がやや砕けた言い方で、アボジの方がアッパよりも丁寧な言い方だ。
つまりアボジと呼んでいるソクテは、ファイにとっては他の4人よりも上の存在。実際グループの中でもリーダー格ではあるが、ファイ自身もどこかソクテにだけは恐怖心を抱いている。だからこそ、ソクテに褒められ認められるのは、"より"嬉しい。こういう言葉の違いにも色々な関係性が見て取れる。
最後にこの作品の見どころをまとめてみる。
インタビュー映像も日本語字幕付きなので、ぜひ見てみて欲しい。
今日はここまで。
読んでいただいてありがとうございました。
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