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咆哮

複数のアカウントを作る癖がある。趣味や活動が多岐にわたる為、フォローした人に違うジャンルの通知で気分を害されたくないからだ。

平行線のように別人としてやっていることも、それが交差して引用することもある。例えば、ここは「冗長」「自分語り」「センシティブな内容」という感じで、他の場所で「公式発表」や「解説」などに分ける。

何の話かと云えば「公式発表」の場で、自身の背景として引用を行った。なので誰かが興味を抱けばここでの発言はイコールで結び付くことになった。

事実に対しての愚痴とはいえ、不特定多数に広く、実名でアーティストの内情を晒したいわけではない。妄信的ファンに対しての弁明や検討材料であることから、リンクのベクトルをよく検討した。

結び付きそうなそれまでの投稿は全てのSNSから消したし、タグも付けていない。ただ、ちょっとの手間で特定できると思う。それをする人が少ないだろうということや、居たとしても良いかという気持ち。

兎にも角にも、あっちの記事は相当言葉を推敲したわけで、自分の心の整理のために一度ちゃんと吐き出す必要性があると思った。


あらすじ

10年以上羨望のアーティストがコロナ禍を迎え、許可や先方の希望の上で無償のMV制作を行なっていた。

自死を決意した際に、終活の一環で相続人として遺言書に名前を書いていいかと聞いた際に「なんでも人に決めさせないでください、ずっと不快でした」と云われる。

MV等も含めたクリエイターとして有償で活動していた時期があるため、ファンではなくクリエイターというスタンスを弁えていた。しかし、先方が打合せや現場等の全てが非協力的で、世間知らずというか社会不適合というか、敬遠を剥き出しにされていた。自分の羨望を理由に我慢していたが、上記の発言により当惑等。

嫌われているのではないかという自覚はあった。無償で打ち合わせも非協力的な中で尽力して納品段階でこき下ろされたり一度も感謝も見返りがなくとも「自分が好きでやっている事なのだから」と我慢し続けていた。


半年弱、過去に例を見ないレベルの鬱を拗らせて、それまでの人間関係を文字通りに全て棄てて、外出できず人間不信で誰とも関われずにいる。数多の問題の中で、満身創痍で生き抜いてきた中で、これが最後の一線だった。

音楽というのは、できれば薬であってほしいものだ。脳が壊れそうに轟音を立てる虐待の日々の中で、深い深い自傷行為を断ち切れたのは、このアーティストが紡ぐ言葉や音楽だった。

色んな時に色んな音楽を聴くけれど「死なないでいた理由」だった上に、ファン層もばっちりそんな感じだからこそ、そのアーティストが、言葉を毒として、人を平気で殺せる人間だったと気づいたショックが大きかったのだ。利己的で他責的で視野狭窄で非人道的で庇護されて甘えを嘆く、自分が一番嫌いな人種だ。


notとして挙げるけれど、の子さんや大森靖子の客層に近いと思う。彼らは以前「(言葉の威力を知っているから)Twitterで発言するのが怖い」と二人で駄弁っていた。

靖子ちゃんは一貫して「殺してしまうかもしれないから、自分が傷つけられても優しく在ることが気高い」と謳っている。私もそのスタンスだ。それでいうと、アーティストとしての振る舞いはの子さんに近いかもしれないけれど、他者が死んでしまうかもしれない断罪はしない。

amazarashiも少し似ているけれど「自分の曲に共感する人が少ない世界であってほしい」という旨の話を聞いた。また、曲のスタンスとしても、決して尖りにしても、毒にはならないように慎重な言葉を紡いでいる。

最近は、TOOBOEやNEEやsyudou、PEOPLE1なんかを聴いている。

第二次インターネット発の彼らも、近づけば慢心からこのように扱われるのだろうかと、電車で流れる景色を眺めながらイヤホンに耳を傾け、怯える。


自分が人に苦しみを感じても、自分が人に不快感を与えることは驚くほど少ない人生だった。一言目には優しいと云われ、頑張りすぎ、謙虚、自己評価が低い、博識、寛容、達観、色々な言葉を「自分とは違って凄い人」と投げられてきた。

私は、ADDの自覚はあって、母が重度のADHDとASDを持っている。だからASDも持っているのではないかと疑っている。恐らくは誰も信じないだろう。父のNPD気質から来る学習や、虐待による察する能力でカバーしているだけなのではないかと思うのだ。

繊細ではあるから、他者は細やかな優しさと変換するけれど、共感ができない。他者のために泣くことができないし、人道や美学やメリットデメリットなんかの浪漫みたいなもんが占めているから決してやらないだけで、哺乳類の命を奪うことに、感情や道徳的な抵抗みたいなものは欠如している。

だから、謙虚でも優しさでもないのだけれど、それが生きることであって、生きることに人との関わりと感謝やマナーは必然だと思って生きてきたわけだ。

誰かを傷付けない為に、普段は大小に関わらず出来るだけ相手の苦しみに寄り添うから、比較対象を作らないのだけれど。

統合失調症の人と何人か話をしたことがある。陽性症状の時期はどうにも彼らは他責思考が強く、開き直りや、自己憐憫のようなものが顕著に見られる。

大抵は「家族や他者が理解してくれない」という話なのだけれど、聞いていると、例えば暴れて他者に迷惑をかけたり、偏見ではなく原因があるということが多い。彼らは「家族や他者が理解してくれない、薬も通院もいらない」と話すことが多い。

私はいつも「それだけ迷惑をかけていても、金銭や労力の負担を背負ってでも入院させてくれる」家族や「心配してくれたり、友人でいてくれる」他者に恵まれていることに目が向く。

そういうものに感謝が出来ずに、他責思考で不幸と嘆く人々が環境に恵まれているのを見るのが自分に取って一番辛いのかもしれない。


全体的に、神聖かまってちゃんや大森靖子系統、あとは第一次インターネット発アーティストとしての需要に対して、尖ってるのがかっこいいと思って振る舞っているのだろうなと思う。

何億回考えても、自分のこれまでの振る舞いや、彼の活動や発言の全てを加味すると「自分を曲げない自分」がかっこいいでしょ、と思ったが故の振る舞いにしか落ち着かないのだ。

それは、きっと「米津玄師になれなかった」コンプレックスと、「ニッチな信者がいる」承認欲求の過多から来ているのだろうなと思う。

あれは承認欲求への依存だろうな。他者に対しては、承認欲求や売れ線に対して馬鹿にする風潮だけれど、それもコンプレックスが故の攻撃性なのだろうかと思う。

それにしても、言葉を薬にしたがる人々の中で、わざと毒にして飲ませようとする根性にはやっぱり嫌悪感。


この記事とアーティストを結び付ける人はほぼいないと思うから許してほしいけれど、見ていて思ったのは、男や女に対する偏見が強いんだろうなという印象。バンド全体の中で。

ファンは病んだ女が多い中で、女は性であり、それを一人は穢いと感じて一人は鴨葱と感じるみたいな感じだ。

バンドマンなんてそんなものだろうとは思うけれど、クリエイター相手にもそれを適用する段階で、世間知らずというか、年齢に対して社会知らずで呆れていたのは当時から。

著作権も肖像権も知らないファンが、MADや二次創作の感覚でやってることの延長とでも思っていたのだろうと思う。フリーランスでやっていた人間が無償でやっている段階で、せめてクリエイターとして接する礼儀位は持っていて欲しかったなと。

IT業界では4桁万が動くことがザラだけれど、若くしてフルフレックスフルリモートのPMの知人が有給を取って撮影を手伝ってくれたことがあった。私からすると、彼の実際の時給や、仕事に置ける重要度での価値を換算すると感謝しかなかった。せめて感謝の意を示してほしかったけれど、彼らは「年下」というだけで、私も含めて、終始タメ口だった。

彼は彼らを知らなくて、アロマンティックだから、私の人望によるところだったけれど、彼らの「自分たちに金や時間を割くのは当然」というスタンスが崩れるところは最後まで見ることが無かった。


ファンが妄信的な人が多いのもあって、外側から「宗教」「教祖」と揶揄されることが多かった。

リンクを貼った記事にも書いたけれど「キリスト教はイエスの優しさから生まれたわけで、人間だった時期があるのではないか」「刑務所の凶悪犯が挙って洗礼で罪穢れを押し付けるのは良い事か」という疑問から、善悪二元論でない神道に落ち着いた。

このアーティストにも、ファンの自己中心の押しつけや神格化みたいなものが散見されていて、笑って流しながらも、私はずっと苛ついていた。

今のモヤモヤの方向性も「クリエイターとの関わり方」「アーティストとしての責任」であることはホッとしている。自分も周囲からは一緒くたに見られていたから。羨望を自分に強力接着剤で貼りつけて言い聞かせていたけれど、ひっかかりはずっとあって、それが決壊した。

苗字と名前や、DNAに、オラクル占いで何社もスカウトされていて、ちょっと縁がある為に割と敬虔な神道信者だ。あちらこちらの神社で宮司さんとネットにない長話を聞かせて貰ったりしている。「御朱印を貰うのは自己満足であって失礼じゃないか」とまで考えていたので、一昨年まで集めていなかった。

皮肉なのか、本気なのか、バンドのライブに賽銭箱が置かれるようになった。続いて御朱印まで作り出した。

何を祀っているのだろうか。何が神なのだろうか。自分たちに神がいると思っているのだろうか。普通にファンにムスリムとかいたらどうするつもりなんだろうか。

クリスチャン相手に「自分は神だ」なんて云ったら怖いだろうし。

「御守やお札は怖い」的な排他的な新興宗教団体が、来た時。勧誘に来た時に「神道なので」といったら「?それは明治神宮とか、日比谷の辺りの?」と返されたので「いえ、日本の古事記や皇室の広義な神道です」と返した。それに対して「私思うんですけどぉ、神様っているんでしょうか?」と返されて「他の宗教に造詣が浅い癖にガサツに踏みにじる」配慮のなさにキレそうになった。

ジハードを良しとするムスリムだったらどうするんだろうか、とか、匿名で長文の宗教学や論拠とする考古学や遺伝子学その他色々を送りつけてやろうかと思った。

過激でなくても、何を信じるかだとか、何を神と呼ぶかとか、神の定義だとか、十人十色だからこそ、それぞれが拠り所にして生き抜いてきているのになと。

勧誘に来た「伊弉諾伊弉冉や皇室を知らない人」のように、無知で浅慮な人にとっては、神の否定や断罪や一元化は折れかねないから嫌なんだよな。


こうやって、自分のモヤモヤを吐き出しつつも「本気でファンが減る」秘密についてはちゃんと守っているのは偉いと思うんだけれどな。

それも、男女のピロートークとかじゃなくて、彼らの同族との交友関係から落ちてきた話なわけで。そいつが吹聴して回っているだけで、守る義理は無い筈なんだけれどね。嘘を吹聴して回ってるなら怒らないとと、ちゃんと事実関係の確認もしておいたし。

でっかい隠し事をして、直接的に営利目的に利用している上に、それを本気にして貢ぎこんでいるファンも見てきているから見てられんなあ。

個人的には、絵音が良い曲作れれば何してても良い派だし、このバンドの誰が何だろうと良い曲やってくれればいいと思ってたけどさ。ファンの心情をわかり切った上で、貢がせて手玉に取ってるのを見ると、別に憎めない良い人なんだろうけれど、不義ではあるよなと。

種類違いの同族集いなのかしらね。


嘔吐と一緒で、もう少し吐けば頭痛が収まるかな、みたいな、もう少し吐き出せばモヤモヤや踏ん切りがつくかなと思ったけれど。

自分が、死なないでいられた理由になっていた、言葉や音楽を作っていた人が、人を殺す言葉を平気で言ってのける、吐き気を催す邪悪だと知って見抜けなかった自己嫌悪が激しくて。

別に性善説を信じるわけでも押し付けるわけでもないけれど、自分がそれを選んだことや、見抜けなかったことや、目を瞑ったことが苦しい。

困難がある度に「彼らみたいに頑張らなきゃ」と鼓舞していた癖が、今も抜けないせいで、自動思考で頭をよぎる度に胃液が逆流する。嘔吐の話をしているわけではないのに嘔吐表現多すぎるな。

別に、「世間知らずで人の気持ちが考えられないのをコミュ力とか容姿のせいにして人にモテないコンプレックスまみれの可哀想な人」と落とし込んではいる。その段階で、妄信やガチ恋や神格化等の色々からくる感情とは違うのかなと思う。

言葉選びと音楽はきっと嫌いになろうとしてもなれない。金輪際、聞かないけど。

曲当てクイズの段階で、本質は見抜いていたように思うから妄信やガチ恋や神格化と違ったのかなとか。もう一人と比べると、いくら卑屈だったり皮肉や自嘲を並べたところで、人間味というか、物事と向き合う葛藤が少なかった。自己憐憫に自己陶酔してるような節はあったんだよ。

そもそも、きっかけになった言葉自体、どれだけ振り返っても理解ができない。何を指すのか探そうとしても、気難しいのは察して、とても丁寧に接していたから驚くほど心当たりがない。周囲に訊いても首を傾げられる。

病名をカムアウトしてない精神病らしいから「見える世界が違うんだろう」と云われて落ち着いたけれど。

つーか、文体を見るだけでも「なんでも人に決めさせる」ような、無責任で他責的な人間とは結び付かないと思うんだけれどな。

どうです?

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