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書くということ。

前略。
よく"感想を"とか"紹介を"とか言われるでしょ?
(唐突にすみません💧)
なーんか、それなー、って思うんです。
答え決まってる現場多いというか。
定型やなーと、思うんです。
なんやろ?そうじゃなきゃいけない感じ?みたいな。

別に、本は自由に読めばいいです。
これは絶対。
授業や学校は、授業だから。こいつがたぶんややこしい。
それ、読書じゃないからね。大丈夫。
タメになる本を義務で読むのは読書じゃないから。
まして読後に"感想"なんて、ワタシが思うことなんだから、それぞれに決まってるんです。
なぜなら。

それぞれが、
歩んできた時間が、重ねた経験が
違う
から

見える景色も感情も手触りも、これまでの自分の"知ってる"に紐づいている。

ワタシ、ハイジのオンジがすげー好きなんです。
(注:「アルプスの少女ハイジ」というアニメのおじいさん)
おばあさんとお母さんを支え学校にいけずに働くペーターを、かわいそがるか知らんが何もしない街の人と違い、"大将"と呼んで一人前に扱い仕事を頼み、人間として当たり前のリスペクトと年長者としての若者への生きて働く経験の伝承とフォロー。
たまに発する言葉の深さや優しさに、心がギュッとなります。
この話をすると。
「は?おじいさん関係ないし」とか。
「わざと変わった話で狙わなくても」みたいな人が出る。

見聞きしたものから何が残るか、何を思うかは、見聞きした人の側に100%あるんです。
別に主人公がわからんわけでも、ストーリーが読み取れんわけでも、まったくない。

たぶん。
子どものときの、尖ったワタシには(笑)。
おだやかに暮らしながらも、オトナの都合や矛盾に苛立っていたんでしょう(笑)。
しかし。

では、どんなオトナになればいいのか。

きっと、あれだけはイヤこれだけはイヤと思うにつけ、ではどうすればを自問する日々だった。
えらいやん!思春期のワタシ!(笑)

文句ばかり言うオトナにもなりたくないなら、なにをどうするかは超大事。
きっと、オンジは、そんなワタシにひとつの答えを見せてくれるキャラクターだったワケです。

ついでに言うと。
このアニメは超有名な感動シーンとして「クララが立った」エピソードというのがあります。
(注: 知らん人は検索してみてください。ごまんと出ますわ。)
クララが立てるようになる少し前に、リハビリのつらさに耐えかねたクララをハイジが「意気地なし!」と罵倒するシーンがありますが。
ワタシは何度見ても
「あ゛⁈💢」となります。
お前なんも知らんくせによく言うなー💢と。
ワタシは過去にかなり大きな膝の手術をして、2ヶ月ベッドですら起き上がれず、3か月目にやっとベッドから降りてリハビリをはじめた経験があります。
足は動かさないと、文字通り、動かなくなります。
チカラの入れ方がわからず、冷や汗だけが出て、最終医者に上から落とすぞとマネをされ咄嗟に神経が戻ったりしました。
そのあとも、リハビリは、本能が全力で嫌がる曲がらない意志を崩すタメに、ひたすら膝立ちやデカい石吊したり、マジこれ拷問で見たけど?みたいなマジ涙流れまくるヤツでした。
もうね、痛いとはなんぞや、です。
簡単に小走り出来るまで一年くらい、もうずっとなにやら痛い。
こういう痛みみたいなものを。
知らないヤツ=ハイジはね、意気地なしと、言うワケです。
意気地とかの、問題ぢゃねーんだよ💢です。
ずっと動かさない足は、もうなにがしんどいかわからないくらい、痛い。
そして、たかだか普通に歩けるまでの24時間365日は、驚きと苛立ちと絶望に満ちています。

ね?
そんなこと言われても、でしょ?
知らんやん、でしょ?

だから、ワタシには、ワタシの経験や感情から、ワタシだけが持つ感想があるんです。
間違いなんかじゃなく。
人はそれぞれなんです。


さて。
「銀河鉄道の夜」という、学校で習う超有名な宮沢賢治作品があります。
ぶっちゃけ幼いのに年齢からは読書幅がムダに広い当時のワタシには、トーンが重いにファンタジー強めな作品という印象しか残りませんでした。
しかし、この世にはじめて出てきたワープロをオトナからもらったワタシは、一文字ずつ文字を並べる時間を、知っていました。
だから、主人公が学校帰りに印刷屋で文字拾って病気のおかんを支えていたクダリの、バイトの途方もなさには同情し、パンの耳と角砂糖のつらさには、マジか…と急なリアリティで思っていました。
このね。
すごい有名なお話にね。
すごい感想をくれた作品、小説が、あるんです。
えー、マジか…。
ひと言の感想なのに…うわー、そんな…。
「金曜日の本屋さん」名取佐和子著なんですけど。
(ごめんなさい、文庫3冊シリーズのどれかちょっと今わからないんだけど。巻末に取り扱い書籍一覧があり、それに「銀河鉄道の夜」があればそれです(笑))
その作中ではほとんどしゃべらないけれど、絶妙なタイミング頃合いで、そっと縁の料理を出してくれる男の子。
その子が言った感想なんですけど。

もし自分がいたら。
パンの耳と角砂糖とミルクで、もっと美味しい料理を出してあげれたのにって。

うわー…って、なりました。
マジか。フレンチトースト! 
あー…。ほんまや。ワタシだって知ってるのに。

やさしい。すごく当たり前にやさしいんだ、と。

常に"誰かのために"、料理をしてる人なんですよね、この人。
常に今あるもので、今目の前にいる人を、出来る限り幸せにしたい料理人の目線。

誰かのためとか、
人のためにとか。
言うのは、カンタンなんです。
では、
具体的に現実的に、
自分には何が出来るのか、が問題で。

あー。明らかに、生き様が当たり前みたいに、
目の前の人の今一番幸せになる料理を出すこと
そういう答えを持ってはる人の、ひと言で。

同じ作品に触れた者として、ワタシの中身がないんだわこれは…と、読み直したりした次第です。
ちなみにこの「金曜日の本屋さん」は、子どもや本を読まない女子高生や通りすがりの人も、絵本やマンガで意見を言ったりします。
よろしければぜひ。
ワタシはこのシリーズで、絵本やら小説やら(マンガは得意(笑))さんざん借りたり買ったりするハメになり至福でした(笑)。

自分の、
今ある今までの人生の、
短かろうが長かろうがそのときに
"感じられたこと"が、
次の自分への意味や意義なんで。

どうせなら。
どこでみたかわからない優等生じみた時間の無駄じゃなくて。
評価とか成績とかと無関係に。
いまの自分と向き合うために、
また他人を知るために、
感想を書いたりみたり、してみてください。

受験には1ミリも役に立ちませんが。

楽しいです😊
感動したり泣いたり笑ったり怒ったりできます。

違う考え方や感じ方や
見えてた世界と違う世界をまた
見てください😊

世界の読書会が、自由でありますように。



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