確認男 夜桜の下の男女編

「今日、楽しかったですねー」
 会社の後輩のみなみちゃんは、公園の街頭に照らされている夜桜を眺めている。
 桜を見上げているみなみちゃんの目も街頭に照らせれていて、初めて夜桜を見たみたいに輝いていた。
 桜なんか目もくれず、みなみちゃんの顔に見とれていたら、不意に目が合って焦った。「いやー、楽しかったね」なんて、ありきたりな相づちを打った。

「そうねぇー」
 みなみちゃんは、会社の花見という名の飲み会の後で酔っ払っているのか、先輩の俺に対して何のためらいもなく言った。普段聞き慣れた敬語ではない、みなみちゃんとの距離が縮まった気がした。

 かく言う俺もそれなりに酔っ払ってしまった。酔いが冷め始めた時には、後輩の藤森が必死で確保した、桜の下の宴会場はなくなっていた。
 場所を間違えたのかと思い、周りをうろついていたら、同じく置いていかれたみなみちゃんと二人っきりになった。
 花のないただ親父が騒ぐだけの花見から、可愛い後輩と二人きりの夜桜デートの急展開に、まだだいぶ酔っているのかなと疑ってしまっている。

「いや、でも、気づいたらもう、みんな帰っちゃったよね」
「そうだねぇ。もう夜だし」
「でも、夜桜もいいねぇ」
 桜なんて、飲み会の時はまともに見てなかったが、今は桜しかまともに見れない。もちろん夜桜は綺麗だが、今の俺は純粋に桜の美しさに感動できるほどの余裕はない。
「ねぇ。また違っていいですよね」
 桜を見るふりをしながら、横目でみなみちゃんを見ると、何一つ曇りのない目で桜を眺め続けていた。
「うーん。いや、ほんと。みなみちゃんがうちの部署に来てくれてホントに良かったよ」
 酔った勢いで、俺は先輩ぶりながら心の奥に秘めていた思いを伝えた。
 酔って調子のいいことを言ってるわけじゃない。普段から声にしていなかった本音だ。

 まず、うちの部署で20代は、俺と後輩の藤森だけだった。それに周りはほとんど男。紅一点なんて言葉が似合わない40代の女性社員が一人いただけだ。
 そんな、男臭い部署に、半年前にみなみちゃんが来た。
 みなみちゃんの異動は、どのメーカーの空気清浄機よりもうちの部署では遥かに効果があった。
 二日酔いで出勤してくる係長や、加齢臭がキツイ課長を始めとした、男性社員が、みんなこぞってポマードや香水までつけだして、部署では甘い匂いがするようになった。
 例外なく、俺も今まで生やしていた顎髭を剃り落とし、髪もオールバックにまとめるようになった。藤森も、今までは眼鏡なんかつけてきたこともなかったのに、メガネを掛け始めたりしていた。

「ほんとですか? えーうれしい!」
 部署のヒロインは桜から目線を外して、少し俯いた。
 そんな姿を見せられると、俺までも照れてきて、「なんか、今日の花見も楽しかったなぁ」と話を元に戻してしまった。ホントなにやってんだ、俺。

 そだねー、と言いながらも、みなみちゃんは桜を見てはいない。俺に顔を見せないようにしているのか、桜とは逆の広場の方を見ていた。

「でも、部長とかどこ行ったんだろう?」
 みなみちゃんと二人きりになったことに有頂天になって、忘れていた。
 こんなところ、見られたら、抜け駆けだと言われ、干されてもおかしくない。そう思うと、さっきまで浮かれていたこの状況が、一気に恐ろしく思えた。
 以前、藤森がみなみちゃんをデートに誘ってから、やたら残業をさせられていたのは記憶に新しい。「告白したらスキンヘッドな」とまで、脅されたとか。

「多分、二次会でも行ったんじゃないですか? どうなんだろう?」
 みなみちゃんは、この状況の危険性について全く察していない。のんきに首なんかを傾げている。最高だな、おい。

「え? そうなの? 探しに行ったほうがいいかな?」
 上司達がここにはいないと、安心すると同時に、二人同時に遅れて二次会に行ってもドヤされる気がして、行くなら早く行かないと、と思った。

「いや......」
 俺が急ぎ足で歩き出した瞬間に、みなみに手を掴まれた。

「え?」
 思わぬ制止に止まって振り返った。
「もうちょっと行きましょうよ。2人で」
 みなみちゃんは上目遣いで照れくさそうに笑っていた。

 みなみちゃんの、「2人で」がエコーがかかったように俺の中で響き続けた。
 「えっ?」思わずニヤけてしまった。聞き間違いだろうが、本当に言ってたのかこの際どっちでも良かった。もう一度みなみちゃんの口から聞きたくなって確認した。「2人で?」

「みんなさっき、まだまだ行くぞーとか言ってたので。多分みんな行っちゃったと思うんですけど」
 俺の策略は虚しく散った。「う、うん」と、期待をスカされて縮こまった。

「でも、みんな気づいてないかと。みんな酔っ払ってて」
「うん、あっそっか。え、でも......」
 あのエロオヤジ達が、みなみちゃんを簡単にここに残していくとは考えれられなかった。それだけ酔っていた可能性もあるが、その酔いが冷めたときが恐ろしい。俺は再び恐怖に襲われた。
「え、行かないと。なんか、え、中田来てないな、星野来てないな、なるかもしんないけど、大丈夫?」
「え、じゃあ。2人よりも向こうのほうがいいんですか?」
 みなみは平然と、私は2人でいたい、みたいなニュアンスで聞いてきた。それと同時に、引き止めるように、みなみの俺の手を握る力が強くなった。華奢な割には握力が強い気がした。

 これで、うん、なんて言える訳がないじゃないか!
 俺は犬みたいに必死に首をブンブンと横に振りたくなった気持ちを抑えた。
こんな一択しかない質問があるかよ。
 俺は落ち着いて、「え、それはないね」と当たり前のように答えた。
 これが当たり前の返答。世の男性は100%そう答える。

「じゃあ、いいじゃないですか」
 みなみは俺の手を握ったまま、歩き出した。
「ふーん。そっか......」と親に引っ張られるボーッとした子供のように俺は引っ張られるがまま、歩いた。

「えっ、えっ? えっ?」
 フッと我に帰った瞬間に、疑問が溢れた。そして、心の声も漏れた。

 今、俺.....手繋いでる!?
 さっき、上司たちを探しに行こうとした俺を、止めるために手を掴まれたと、思っていたが、よく見てみたら、ガッツリ恋人つなぎになっている。
 もう自分の、触覚が信じられなかった。
 視覚と触覚がズレている。もう俺は馬鹿になっている。

「え? ごめん!」
「なに?」
 大きくなった俺の声に驚いたのか、振り向いたみなみの顔は少し不安げだった。

「勘違いかな。ちょっとまって.....」聞くのが途中で怖くなった。でも、確認せずにはいられなかった「今、なんだろ? .....手を握ってくれてる?」
「......うん」
 みなみは俺の確認に戸惑っていた。むしろ引いていた気もする。
 でも、自分の視覚と触覚を信じられなくなった今、自分の聴覚を信じて、みなみの声で確信を得たかったのだから仕方がない。

 自分の手が握られている確信を得た俺は、気づいた。
 二次会に行こうとする俺を引き止めて、わざわざ二人きりになることを選び、かつ、恋人つなぎをしながら夜桜を見る。
 もうこれは勝ちパターン。
 大勝利確定間違いなしじゃねえか!
「これ、そっか」つないだ手とみなみの顔を往復する。そして、確認した。「えーっと。ど、どして?」

 俺の聞き方がおかしかったのか、みなみは思わず吹き出して、手で口元を隠した。
「だからー、好きだからですよ!」
 照れ笑いしながらも、みなみははっきり言った。

 大勝利確定。俺はたった今、みなみと付き合うというゴールテープを切った。
 今の俺は、100m走ならダントツの1位でフェニッシュして、興奮冷めやらぬまま走り続けている状況。野球なら逆転満塁ホームランを決めて、ホームベースまでゆっくりと走るだけの状況。
 もう、これ以降の確認はウイニングランでしかない。

「え? 俺を?」
 俺はウイニングラン確認をした。
 だって、今このときしか、この確認はできない。人生で一度だけだ、みなみにこの確認をできるのは。

 まさかの確認に、みなみはさっきとは打って変わって、狼狽し、「えっ、あっ」と今日はじめて動揺が言葉に出た。
 そして、少ししてから、観念したように、「うん」と頷いた。
 このときも、みなみの俺の手を握る力が強くなった。

「......よっし」と完全に心の言葉が、すぐに声に出た。

 みなみの手がどんどん熱くなっている気がした。頷いてから俯いたままで顔は見えないが、耳は真っ赤になっている。
 そんなみなみをもっとイジメたくなった。もっとこのウイニングランを楽しみたかった。
「えっ......どういうところが?」

 そう確認した瞬間、みなみの手の力が痛いくらいに強くなった。




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