帰ろうのその先

先日藤井風さんの帰ろうを、自分の経験に紐づけて解釈した記事を投稿した。その後日談をここに残しておこうと思う。

つい数時間前、約2月ぶりに母から連絡があった。父が救急に行ったとのこと。弟が病院に連れて行ったので、心配だからそばにいてほしいという電話だった。

結果、現時点で大きな問題はないという事で一人暮らし(可愛いネコもいる)の家へ向かう。

正直なところ、いつかは実家に帰らなければという義務感に苦しめられていたので、帰るきっかけになれたのは良かった。帰っても帰らなくても苦しい実家って何なんだろう。

帰り際、父は今まで自分の言葉で私や家族を傷つけてきたから反省して気をつける、と言った。何回目だろう、この話。なら対策を講じてほしい。そして、自分のことはいいから母のことは大事にしなさい、と、これも何回目かのお願いをされた。

私は冷たい人間だと自負しているので、忌憚なく本音をここに書くと、

お前らいい加減自分の人生に責任持てよ。

なぜ私に母を託すのか。なぜこれまで傷付けた分母を大事にすると言えないのか。なぜ、私に大人の役目を背負わせ続けるのか。あなたたちは自分の苦しさにいっぱいで、私の気持ちに向き合ってくれたことなどないのに。

私は苦しみをあなたたちに分かってもらおうとするのは諦めた。生きづらくても誰かや何かのせいにするのはやめようと決意した。なのに。

帰り道、車中で繰り返し「帰ろう」を聴きながら、私は私のために泣いた。あなたはかわいそうだと、今までの私を労ってあげた。

あの傷は疼けどこの乾き癒えねど もうどうでといいの 吹き飛ばそう

何度も繰り返し自分の心に刻んだ。辛すぎて自分の人生と向き合えないのが私の両親だったのだ。私はそれを無理に許す必要も、期待に応える必要もないと思った。ただ、そういう人たちなのだと受け止めることにした。

私の心が帰る場所は、ネコの待つ一人暮らしの家だ。大事な友と心から共有できる時間だ。私にはもう帰る場所がある。


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