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#94 敬意の表し方にも、ダイバーシティ

ここ数日で、貴重なことを学んだ。人に敬意を表すにはいろいろと違った方法があり、それは文化や言語のみならず、職業にも影響を受けるということだ。このことが分かって以降、視野が開けた気がした。


敬意を感じる時

みなさんはどんな時に、「この人は自分に敬意を払ってくれている」と感じるだろうか。ここでいう「敬意」は「尊敬」とは多少異なって、「その人の考え方を、たとえ自分の考え方とは違っても、認めて受け入れる」意味だ。人間の尊厳は、相互敬意で成り立っていると思う。

ここ数日の友人とのやりとりで、「敬意を感じるきっかけ」には異なる要素があることを知った。これまでも薄々気づいてはいたが、改めて理解したという感じだ。僕が知っている限りの「敬意の表し方」をまとめてみたい。


1)相手に不快な思いをさせない

まず最初は、日本的なものから。どんな場であれ、相手が不快な思いをしないように配慮し、気を遣い、相手が快適に過ごせるようにする。確かに、そういう対応をされて「自分は敬意を払ってもらっている」と感じる人も、特に60代以上の世代では多いかもしれない。相手が全く興味のない話題について話しても、話を合わせて場が白けないようにするというような対応が典型例だろう。ちなみに僕は、そういう対応をされると、敬意を感じるというより、むしろ居心地が悪くなる。

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2)相手に関心を示す

筑波大学の学生だった頃、夏期特別授業で、ハーバード大学の英文学科の教授がやってきた。多くの学生が講義を聞き、最後にその教授は「質問がある人?質問がないということは、何も理解してなかったということですよ」と言った。日本的には、「全部理解したから質問がない」だが、特にアメリカでは正反対で、「ちゃんと理解したなら、質問があるはず」という考え方になる。僕は最初に手を挙げ、質問した。先生は何度も「質問ありがとう」と言ってくれ、僕以外に質問は出なかった。先生は悲しそうな顔をしていた。

欧米文化では、相手に関心を持って「いろいろ質問すること」が相手への敬意だとみなされることが多い。その人を尊重する、つまりその人の考え方を知る、そのためにはいろいろ質問する。黙っていることは、「あなたに関心がありません」を表し、敬意がないことを意味する。
 つい先日、ある友人から「ササキさんは、なぜ〇〇したの?それに、△△したのはなぜ?」とたくさん質問された。僕は嬉しくて仕方がなかった。なぜなら、「質問してくれる=関心を持ってくれる」ということであり、上のハーバードの先生のように、敬意を示してもらったと感じたからだ。もちろん正反対に、「何も聞かずにいてくれること」を敬意だと感じる人もいるだろう。

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3)ひたすら相手の話を聞く

先の投稿「#76 焚き火のにおいと一期一会」で登場した中国人の友人は、このタイプだった。僕が、「いろいろと悩んでいて、話したい」と言うと、「あなたの話は、全部聞く」と最初に宣言してくれ、ユニクロでの買い物中に約1時間別行動をした時以外は、2日間で合計12時間、要所要所で上で書いた「質問」をしながら徹底的に僕の話を聞いてくれた。
 正直呆れてしまって、「どうして君は、僕の話をそんなに聞いてくれるの?」と聞くと、キョトンとして「だって私は、あなたの友達だから」とだけ言われた。もちろん長い目で見れば家族が一番話を聞いてくれているのだが、「聞くと決めたら徹底的に聞く」という彼女の姿勢は竹を割ったようで清々しかった。お礼も兼ねて、明日の夜、日本食屋さんに一緒にウナギを食べにいく。

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4)相手の発言を引用する

これが、一番最近気づいた「職業病的」敬意の表し方だ。学術研究では、自分の研究テーマについて過去になされた研究を、まずは徹底的に洗い出す。いわゆる「先行研究レビュー」だ。この部分がちゃんと書けているかどうかで、論文の質を推しはかることができる。
 最近知り合ったある友人は、僕の note の過去記事をかなり念入りに読み込んでくれ、話した時には、「あの記事でササキさんが〇〇と言っていたように……」と僕の過去の文章を引用して話してくれた。その友人も研究畑の人だ。自分がどんな形にせよ過去発信したものを読み(=相手への敬意)、そのエッセンスを頭に入れて、話す時に引用する(=「ちゃんとあなたの考えを理解していますよ」というサイン)というのは、研究に携わる者にとっては、最高の敬意に感じられる。

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5)相手を超越して包み込む

最後に、上のどれでもない、言うならば Greatest Love of All な方法がある。この種類の敬意を感じた経験はこれまでにそう何度もないが、違うことで悩んでいる時に、全く同じ言葉をアドバイスとして頂いたことがある。「全く違うことで悩んでいる自分に、同じ言葉を投げかけてくれ、それが救いになる」、これは上の全ての方法を超越した敬意だと思った。ビートルズ Let It Be の歌詞の、“Speaking words of wisdom” の “words of wisdom” に近い。

少し脱線する。「超越」とはいい響きだ。すべての障害を、空中で乗り越えていくイメージだ!数学で「超越数」と言えば、「代数方程式の解にならない数」で、世界の法はそういう数が担っている。2大超越数を挙げると、円周率 π と自然対数の底 e(ネイピア数)。この二つの数がなければ、現代の主な科学技術はほぼ存在しない。多くの時系列データのモデリングに三角関数は不可欠で(π が必要)、e を底とする指数関数は微分しても変化しない特殊な関数となり、展開すると実は三角関数と結びつく。
 人間の感情も、こうした「超越した敬意」がその根幹部分で支えているのだろう。数学から哲学に目を移すと、アメリカの代表的な超越主義哲学者、ブロンソン・オールコットの娘ルイザ・メイ・オールコットは『若草物語』を著し、40年後に『赤毛のアン』を著した、ルーシー・モード・モンゴメリと共に世界中の女性に勇気を与えた。キレイに割り切れる整数だけでは、世界は成り立たない。


上の2〜5には、具体的なモデルとなる友人がいる。本当にありがとう。研究に行き詰まって悩んでいる時に、これほど自分を助けてくれる人に囲まれているということは、とてもしあわせなことだ。きっと論文を国際会議に通すことより、価値のあることに違いない。
 以前勤めていた会社でイタリア人上司に言われた通り、クリスマスが近づいたら、自分が感謝する人々のことを思い浮かべる時間を大切にしたい。

今日もお読みくださって、ありがとうございました☕️
(2023年12月1日)

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