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#67 勉強して叱られるのは、納得がいかない

普通は「勉強しなさい!」と言われてもなかなかできず、勉強が足りないことを叱られるのだと思います。ですが僕は教師時代に、勉強していて叱られた嫌な思い出があります。みなさんの意見をぜひコメントで教えてください。いつもはポジティブなことを書き綴る僕の note ですが、今日はイヤイヤ全開です(2歳児か!)



嫌だった剣道部顧問

2000年に最初の大学院を修了して教職に就くと、部活の顧問は文化部+運動部で2つ持つのが通例と知りました。大学時代から写真を趣味としてかなり本格的にやっていたので、まずは写真部の顧問となりました。並行して受け持ったのが剣道部。出身高校では3年間授業で剣道をやっていたので、こちらも内容がわかっていて安心しました。

僕が勤めていた学校は、小学校が共学で、中高が男女別、大学でまた共学になる形でした。ここで問題となるのが、生徒が多感な時期を過ごす中高が男女別で、男女の学校の雰囲気がかなり違っていたことです。僕のいた女子校からは「男子はいい加減」との評価が、男子校からは「女子は厳しすぎる」との評価が一般的でした。剣道部は小学校から大学まで合同の大所帯部活だったので、問題が生じます。
「うちの学校(=女子)の考え方に合わない……」

伝統的な格技は「新しい時代の価値観」との折り合いが難しい

僕は自分のいた女子校の現代的な考え方に賛同するタイプだったので、小学校から大学までの保守的なタテ社会を強調するような雰囲気が、とにかく嫌でした。僕は好きではないことには体が動かない人なので、対外試合の引率なども半分以上は遅れて行きました(だって体が動かないので、仕方ないのです)。大概男子校の先生も来ていて、代わりに受付などを済ませておいてくださいました。おそらく「あいつ、とことんいい加減な教師だ……」と思われていたことでしょう。


生徒に学ばせたくない価値観

剣道部顧問のイヤイヤ度がピークに達したのは、その悪名高い(部員の間でもそうでした)夏合宿!練習の厳しさもさることながら、何より嫌だったのはその食事時間でした。小学生から大学生までの部員に引率教員、さらに年長の有段者監督陣までが一同に介して食事をします。
 驚いたのは、教員以上はなんと飲酒あり!(普通ですか?)毎日の食事で大学生部員(男女共)が食事中気を配り、先生のグラスが空くと「お注ぎします!」とビールを注ぎ、お茶碗が空になると「おかわり入れます」としなければなりません。それを横で中高生が見ているのです。あれ、今でもやっているのだろうか……

ご飯は生徒も先生も自分でよそえばいいと思う

みなさんはそんな光景をどう思いますか?今の60代以上の方なら「そうやってタテ社会を理解して、社会に出る準備をするんだ」と思われる方もいるかもしれません。僕はそうは思わなかったのと、そうではない新しい社会に対応した教育をするんだ、という信念を持っていたので、「こんな風景を生徒に見せるなんて、教育的に最悪だ!」と思っていました。実は女子校の先生の中には同じ意見の人がそこそこいて、剣道部の伝統を苦々しく思っている、と話してくれました。

*     *     *

休み時間は、自由なはずじゃ……

「こんなのイヤだ!」が爆発したのは、昼休みのことでした。引率教員は、練習中は安全管理の意味もありずっと道場で練習を見ています。しかし昼休みは生徒も教員も「束の間の休息」です。
 夏休みの宿題を持ってきて勉強している生徒もいたので、僕もじゃあ、と長らく勉強したかった参考書を持って行き、昼休みを利用して勉強していました。休憩場所は和室だったので、他の先生方は寝転がってマンガ雑誌を読んでいた人が多かったと記憶しています。すると、

ササキ先生、何勉強されてるんですか?
それ、英語にも剣道にも関係ないでしょう?

と言われたのです。その時僕が勉強していたのは、(驚かれるかな?)音楽理論の基礎を固めるための「楽典」でした(ヘッダ写真の本です)。好きなものは中学時代から変わらず「英語と音楽」でしたが、修士を取った英語と比べて音楽は理論的な部分が弱かったので、スキマ時間を利用して勉強していたのです。それが男子校の先輩教員には面白くなかったようです。

ジャズの自由な即興演奏は高度な理論に支えられている〜理論武装は必須

はい、そうですが何か?

僕は引かずに、昼休み中は引き続き楽典の問題を解き続けました。その時やっていた箇所は記憶では「拍子」の部分。4分の3拍子と8分の6拍子は約分してしまえば同じですが、音楽的には異なる、それを楽譜から読み取るという内容だったと記憶していて、その時勉強したことはその後の音楽業界での仕事や今でもとても役立っています。

マンガ雑誌を読みながら寝転んでいていいなら、興味の対象の勉強をしていてもいいはず(マンガを読むことは決して否定しません、自由時間ですから)。思うに、何らかの小説を読んでいたなら何も言われなかったはずです。僕がやっていたことが、「娯楽」に属することではなく「関心がよそに向いている」のが気に入らなかったのでしょう。これはおそらく、会社で昼休みに業務に関連のない内容の勉強をしていても、同じような反応をされる職場が多いのではないでしょうか。


多様性というならば

価値観や社会構造が大きく変化しうる今後の日本で、持続可能性を持って社会を運営しようと思うならば、「〇〇の仕事をしているなら、他のことに興味・関心を持ってはいけない」的な発想は改める必要があります。経理部にいる社員が夜間大学院で技術系の勉強をしたり、公務員が土日に個人として業務内容以外の研究論文を書いたり、自動車のセールスマンが休日にアロマオイルについて調べてブログを展開したり、どれも素晴らしいことです。

こういうと「他の関心事を追求するのはいいが、本業に支障がない範囲で」という決まり文句が登場して、「支障がない範囲」がどんどん拡大解釈され、結局は「他のことはやるな」になってしまうのが日本文化なような気がします。僕は、「多少支障が出るくらいは許容範囲、どんどん興味があることを追求してください。あなたの支障は僕がカバーし、僕の支障はカバーしてくださいね」でいいと思います。そういう土壌から、豊かなシナジー効果が生まれるはずです。

*     *     *

note 知り合いの中に、体調を崩されて教職を休職し、その間に note を始めて教職のあり方やご自身の教職以外の仕事の可能性について積極的に考察されていた方がいます(現在は復職なさっています)。伝統的な価値観では「休職中は、余計なことはせずに休息に専念しなさい!」なのでしょうが、僕はそうは思いません。ああやって先生が休職中に考えて書いて発信したことは、きっと後年活きてくると思います。応援していますよ!

「何かを知りたい、学びたい、発信したい」という気持ちが、何よりも尊重される社会になりますよう。

今日もお読みくださって、ありがとうございました🎼
(2023年10月7日)

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