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舞台「ねじまき鳥クロニクル 2023年版」観劇感想(詳細版)

最初に

『世界の中で、人類が冒してしまう悪行や悪意(舞台上では綿谷ノボルが象徴するもの)を押し留められるものは、いったい何なのか?』
インバル版の「舞台 ねじまき鳥クロニクル@2023年」では、その問いが作品(=実)の核(=種)となり、村上春樹さん原作の小説のエッセンスとしてインバルさんとアミールさんが抽出した概念を具現化し内包されていて
、その核は今を生きる私達に身近な人達への想いを彷彿させる。一人一人の「誰かの幸せを想う気持ち」は小さくても、そうした「誰かの幸せを想う気持ち」が集まった時、この世界には「平和」と呼ばれるものが訪れるのではないでしょうか。(今の世界情勢もあって)そう想いを馳せる日々です。

東京公演初日の観劇感想

こちらの観劇感想(詳細版)の前に。
公演の初日を拝見し、作品全体に対する第一印象を中心とした観劇感想を以前に書きました。👇こちらです。公演詳細や公式(ホリプロ)さんの関連動画等も、こちらにまとめてあります。

自分が舞台から受け取った作品のテーマや、舞台版の「ねじまき鳥クロニクル」から感じ取ったストーリーなどを書いてあります(舞台版は原作からのエッセンスの集結なので、原作とは若干違う部分があります)。こちらを御読み頂く方は、出来ましたら上記の初日感想を読んで頂いてからの方が話がつながるかな?と思います。宜しければ、どうぞ。


以下、作品の内容に触れています。
舞台未見&原作未読の方は、御注意下さい。

一応、場面の順番に従って場面毎の感想を・・・と思いながら書き始めましたが、結構、途中で(どっちが先だっけ?)という場面もあったりしましたので(汗)、まぁ、思い出した順ということで、御容赦下さいませ。
(※ 配信で順番を確認して是正することも考えたのですが、映像で見返すことで<劇場で感じたもの>が上書きされるような気がして、ここを書き終えるまでは見ないでおこう・・・と思い、確認・是正は行っていません)
また、個人の感想です。


場面毎の感想

※見出しの『タイトル』は、各場面(シーン)を私が勝手に心の中でそう呼んでるだけですので、正式なものではありません。

※文中で「この写真」と書いている箇所がいくつかありますが、場面の参考に、作品の公式HPの中で「GALLERY」に集録されている舞台写真を参考にさせて頂きました。
公演終了後も現時点(2024.04.28)では閲覧可能でしたので、そちらも併せて見て頂くと伝わりやすいかな?と思います。



『ミュージシャン』

まだ幕も降りていて客電も点いている劇場の中、大友さんが奏でる音と共にミージシャン(成河さん)登場。「ねじまき鳥クロニクル」の音楽は日々アレンジが異なるそうですが(大友さん談)、特にこの冒頭の場面は「アレンジ度が高い」そうで(成河さん談)、私が拝見した中では東京公演の前楽が一番個性的に感じられて私は好きだったかな~と思い出しながら書いてます。千秋楽の開演前、前楽がこうだったのなら東京の千穐楽はどうなるんだろう?とワクワクしてたんですが、千穐楽は逆に初心に戻るかのようなスタンダードだったように感じたのですが、勘違いでしたら、ごめんなさい。

そうこうするうちに、ミュージシャンが、照明、もっと暗く・・・と語り、客電が落ちていき、ねじまきの世界に入っていくわけですが、あのライターの火、熱くないのかな?と思う方々も多いかと思います。
ネタバレですけど、火は(恐らく)本物で、火傷しないように手の方に耐火材を貼ってらっしゃったようです(石綿的なもの)。初演の時は、煙は出なかったような?気がするので、煙が出るようになったのは今回の再演からじゃないかな?と・・・。
劇場内の空調による風の向きが基本「客席⇒舞台上」だったようなので、客席に居ても焦げるような匂いはしてこないんですが、もしかしたら大友さんたちのエリアではしていたのかも?しれませんね。でも、煙という視覚的な効果によって、焦げた匂いや火傷の痛みを頭の中で感じてしまう(=自分の中の体感や記憶と繋がってくる)という効果があったのではないでしょうか。

作品全体に通じている「痛み」と「苦しみ」、そして「共感」。
あの煙が立つことで、初演時より、(うっ・・・)と、五感で感じるものが増したように思います。


『首吊り屋敷』

笠原メイちゃんが住んでるお家は御近所から「首吊り屋敷」と呼ばれている(今で言う事故物件でしょうか ^^;)いわくつきの家で、庭には枯れた井戸もある。
そこで、姿を消した飼い猫(この時はまだ猫の名はワタヤノボル)を探しにきた岡田トオル(渡辺大知さんの方)とメイちゃんが出会う。

ホリプロ公式HPより引用 笠原メイ役:門脇麦/撮影:田中亜紀

16歳にしてはペシミスティック(※厭世(えんせい)的であるさま。悲観的。)で大人びた考え方とする一方、自分の中に自分ではどうにも出来ない「グシャグシャ(だったかな?)」を抱えていて、どうにか、そのグシャグシャを自分の中から追い出したい。追い出したいけれど、自分でもどうにも出来ない状態に苦しんでる。彼女の中の心の痛み苦しみは、他人に解って貰えない類の痛みなんだろうな・・・と思う。
メイちゃん自身、そのグシャグシャが凄く嫌なんだけど、反面、どこかで、このグシャグシャと自分は共存していかなきゃいけない関係なんじゃないかと漠然と察してるようにも感じて。嫌なのに捨てられないものを抱え続けなきゃいけない苦しみを、もしかしたら理解してくれるかも?しれない存在だと岡田トオルの中から直感的に感じたから(後の場面に通じる話ですが、岡田トオルには人を癒す力があって、自分のグシャグシャに苦しんでいたメイちゃんだから)こそ、メイちゃんは岡田トオルに淡い想いを抱いたんじゃないかなぁ・・・と感じた再演でした。

初演の時の首吊り屋敷の由来のシーンとは大きく変わり(初演の時は亡くなった女優さんとして銀さんが井戸の中から登場なさってました)、再演では井戸の中から風が舞い上がり、この屋敷に居ついてる幽霊たちの長い髪がたなびんですが、この場面が美しくて。(昔あったCMの「綺麗なお姉さんは好きですか?」を何故か思い出すんですよね笑)
私、再演初日にこの場面を初めて見た時、この時点で既に気分が凄く舞い上がりまして、でも、美しいだけじゃなくて、メイちゃんとトオルさんが話してる間、(彼らが井戸に投げた小石が)井戸から手だけ伸びてきて、そっと(小石が井戸の縁に)戻される・・・その幽霊のコミカルさが、インバルさんらしくて、これまた好きです。(その小石を戻されてるのは皆川さんで@皆川さん談、他2人の幽霊は鈴木さんと渡辺さん、綺麗なお姉さん御三方でした)


『岡田家のリビングと謎の女』

現在、無職の岡田トオルは妻クミコから、いなくなってしまった飼い猫を見つけて欲しいと頼まれてる。妻クミコにとって、猫はとても大切な(初日感想で書きましたが、猫はネコであって猫ではないものであり、二人の間の互いの想いを象徴する)存在だから。
ここで繰り広げられる岡田トオルと妻クミコの会話。二人の会話の中での心のスレ違いを具象化するかのようにダイニングテーブルが伸びて、二人の距離(=心の距離)は離れていく。美術も担当されているインバル・ピントさんらしい面白さ。
ちなみに、初演の時は、テーブルがシュッと伸びては止まり、シュッと伸びては止まってましたが、再演は、脳トレの変化探しのように徐々に徐々に伸びていって。妻クミコと岡田トオルの間にケンカのような決定的な事があったわけじゃなく、小さなすれ違いや気付かなさが、徐々に徐々に、当人達でさえ気付かない緩やかさで互いの心を離してしまったことを感じさせているようでした。

この舞台自体が八百屋だし、八百屋舞台で傾いていないように見えるように実際のテーブルや椅子の脚の長さは客席側と舞台奥側でも違うのかな?と想像したり、置いてあるラジオが固定されているわけでもないのにテーブルが伸びても一番上面にあるはずのラジオの位置は変わらなかったり、未だに理屈が解らない不思議さがあるんですが、実際のモノを間近で拝見して謎を解明したい欲にかられる場面です。
※ラジオですが、ラジオに糸のようなものが付いていたので、テーブルが引っ張られる方向(今回の場合だと舞台上手側)に一緒に動かないように、何か中央部分(ここは伸びないので)とラジオは糸のようなもので動かない(でも、そのあとの場面で直ぐに外せる)ように細工されていたのかなぁ・・・と?推測するも謎のままです。

いろいろな所に仕掛けがあって、ジャケットは吸い込まれるし、色々なトオルがテーブルの下だったり冷蔵庫からにゅるるん・・・と現れるのだけれど、ダンサーさん一人一人の動きも面白くて、両目が8個くらい欲しい場面ですよね(笑)
皆様、簡単そうに自然に動いてらっしゃるけど、普通だったら絶対出来ないだろうな的な動きの面白さでした(これは、この作品全般どの場面も、そうでしたよね)。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀

猫探しを頼んだ妻クミコがリビングから出ていった後、壁付の電話が鳴ります。謎の女からの電話。トオルは心当たりが無いけれど、でも彼女は岡田トオル(渡辺大知さんの方)のことをよく知っているという。
そして、謎の女は岡田トオルに「何も考えるな」と無思考へと誘惑します。

その壁付電話の左横の壁に、もう一人の岡田トオル(成河さんの方)が現れる。その動きは、まるで鏡のようで、最初のうちは口の動きまで鏡合せ。この二人のタイミング(特に鏡の中として成河さんが出てくるタイミング)は、ダンサーの加賀谷さんが小さな穴から渡辺大知さんの動きを見てキュー(合図)を出されていたそうです(加賀谷さん談)。穴といっても、本当に小さな、客席からはわからないようなスリットだと思うので、「特に踊る」だけじゃなく、全員で一つの作品を創ってらっしゃったんだなぁ・・・と改めて思ったエピソードでした。

ホリプロ公式HPより引用 
左から)岡田トオル役:成河、岡田トオル役:渡辺大知/撮影:田中亜紀

後から振り返ると、この時点で既に妻クミコは兄ワタヤノボルの手中に絡めとられていて、夫である岡田トオルに「謎の女」として密かに救いを求めていたんですよね。でも起承転結でいったら「起」の時点なので岡田トオルは気付かない。
一人の人間を球体のような物体だと想像してみた時、光が当たっている方から見えた「球の形」が妻クミコだとしたら、その反対の影になっている部分から見る「球の形」が「謎の女」で、どちらも一人の人間の中に内包してるものなんですよね。現実の世界の中では、光側の妻クミコが影の部分を封じ込めているだけで。いや、もしかしたら、封じ込めている自覚さえない影が岡田クミコの中にあったのかもしれないし、観てる観客達にだって「無いこと」ではないかもしれない。

冒頭で書いた電話の内容「何も考えるな」が指し示すものは、と考えると。妻クミコの影の部分である「謎の女」は、この時点で兄である綿谷ノボルに支配されていて、悪側の人間である綿谷ノボルにとって邪魔な存在である岡田トオルを(ねじまき鳥の後継者であり、傷ついた人々を癒す存在でもあり、悪とは対立する)覚醒しないように何も考えない堕落した人間にしてしまうように指示されたのかもしれないですね。(想像です)


『加納マルタとの出会いと犬の散歩』

妻クミコの兄(ワタヤノボル)の紹介された霊媒師に猫の捜索を依頼して欲しいと妻に頼まれた岡田トオルは、加納マルタと会う。

ホリプロ公式HPより引用
左から)岡田トオル役:渡辺大知、加納マルタ役:音くり寿/撮影:田中亜紀

加納マルタとクレタは姉妹。どちらも音くり寿さんが再演版から演じてらっしゃいます。姉マルタの方は声も硬質でハッキリとした口調、妹クレタの時は声が柔らかく、客席から一見して解るように工夫されてらっしゃったように思います。
この場面は舞台空間の上層部分で岡田トオルと加納マルタの場面が続き、同じ空間の下層の部分では黒服3人が犬(かな?)を散歩させているんですが、この3人が飼ってる犬は何かの探知犬なんじゃないか?と思うほど、怪しい見た目(笑)。悪の世界にとっては、岡田トオルが「ねじまき鳥」として目覚めていくこと自体や、そうなりうる切っ掛けそのものさえ強風のような異変であって、あの強風は「流れが変わる」ターニングポイントであることを暗示してるのかな?と感じてました。

ダンサーさん御三方(皆川さん、加賀谷さん、東海林さんだと思いますが、違っていたらごめんなさい)の動きがですね、めっちゃ凄いですよね。首輪の動きだけで犬が見えるし、帽子も風に吹かれてるし(蹴っているんだろうけど蹴ってると気付けないくらい吹かれて見える)、最後は犬まで風に飛ばされちゃってる姿が見えて、そのキャンキャン犬が鳴く声が楽器から吹かれてる(多分だけど、江川さんかな?)のがですね、ほんと凄くて大好き。この場面は基本初演の時から変わってなさそうでしたし初演の時も大好きな場面だったので、残ってくれて嬉しかったです。

※ある公演の終演後、楽器の後片付け?に戻ってらしたミュージシャンの御三方と観客の皆様が少し歓談なさってらっしゃった時がありまして、面識も何も無かったのですが、どうしても犬の謎(笑)を解明したくて、お疲れのところ申し訳なかったですが質問させて頂きました。犬のキャンキャンは予想通り江川さんで、バリトンサックスで鳴き真似というか鳴いてらっしゃるそうです。上演中は客席からミュージシャンエリアを拝見しても全部が見えるわけではないので、ずっと解らなくて、教えて頂けて嬉しかったです。ありがとうございました(^^)


『加納クレタの訪問』

姉の加納マルタに言われ、妹であり助手を務めている加納クレタが岡田家を訪ねる場面。彼女は岡田家の近くに井戸はあるか?水は出ないのか?といくつかの質問をして帰りそうになったので、トオルは彼女を引き留め、クレタは「御時間ありますか?」と前置きをした後に自身の話を語り出します。

ホリプロ公式HPより引用 加納クレタ役:音くり寿/撮影:田中亜紀

ソファーに座った加納クレタが語り出すと、彼女の中の何かが溢れ出てきたかのように蠢き出す。このインバルさんらしい「にゅるるん」とした動きというか形というか、有機物の動きのような、それ自体が一つの生命体のような鼓動を感じて、ただただ見入ってしまう。
音さんの台詞と歌と、ダンサーさん達が創り出す形態や動きと、ミュージシャンの方々の音楽の3つがあって初めて生まれる表現というのかな?上手く言葉に出来なくてもどかしいですが。
インバルさんの他のダンス作品での「動きと音楽」で広がる世界も魅力的だけれど、彼女のそうした作品の中には無い要素である言葉(台詞や歌詞)が新たに加わることで、その表現が広がっていく可能性を感じた場面の一つだったように思います。(他の作品では映像とかアニメーションとのコラボレーションも試みてらっしゃったので、色々と表現の幅を模索なさってるのかな~?と拝察してました)

この青いソファーは初演の時から存在感があって。今回も背面の一部が布のみになっていて、皆様、そこから消えたり、出現したり、なさってるんですが、まるで異次元ポケットのようでもあり、面白そうだけど、でも実際に家にあったら怖いよね?なんてことを劇場からの帰り道に思ったりしてました。


『顔のない男』

顔のない男が、舞台ねじまき鳥クロニクルの中で最初に出てくるのは(ここから先に進むと戻れなくなるという場面)、このタイミングだったと思うんですが、違っていたらごめんなさい。

この観劇感想の一番最後におまけとして書いた刈谷でのアフタートークでも松岡さんが話されていましたが、今回の再演で松岡さんは「赤坂シナモン」と「顔のない男」に共通項が(観客が)感じられるように表現したいとトライなさったそうです。では、その共通項は具体的に何なのか?は松岡さんは話されませんでしたが、私は疑いもせず(勝手に)同一人物だと思ってました。赤坂シナモンが実体のある存在だとしたら、顔のない男はシナモンの意識体というか深層心理の中に入っていった時の偶像化みたいな存在かと。
松岡さんの中でだったり、アミールさんとの話の中でどういう御話になっていたのか?はわからないので、いつか再々演があって、そうした御話が伺えたらいいですね。

この場面の中でのキーワード。「戻れなくなる」という事が、何を示すのか?を考えてみたんですが、舞台を御覧になった皆様はどう感じられましたか?
私個人が感じたものは「知らなかった時には戻れない」というニュアンスでした。それは岡田トオルにとって、妻であるクミコの光と影も、自分が「ねじまき鳥クロニクル」という役目を背負ってる存在であることも、含めて。
知ってしまった後に、そうした事実から目を背けて生きていくのも辛いだろうし、現実を受け入れ、その上で互いの関係性を新たに構築していくのも大変なことではあるので、どちらを選択しても「知らなかった時」のような、のんびりと生きていた頃に岡田トオルは二度と戻れなくなるんですよね。

インバルさんの別の作品を拝見した時に上演後にトークショーが毎回ありまして、何度となくインバルさんがおっしゃっていたのは、自分の創作意図はあるけれど、それを(トークショーのような機会に)言葉にすることで、観客一人一人の想像力を狭めたくない、という想いでした。それは、アミールさんも稽古場動画で似たようなニュアンスの発言をされていたように見受けましたし、逆を言えば、インバルさんやアミールさんの創作に対して何かをお返しすることが出来るのであれば、それは自分の想像力が描いたものを表現することくらいかなって、少し話が逸れましたが、今回も改めて思っています。


『夢の中(夢の中なのかな?)』

この場面の上演台本が読みたいです(笑)
それこそ、言葉として「夢」という表現は無いので、上手&下手に一つづつある青いソファーで横になっている二人の岡田トオルの様子から(夢の中なのかなぁ・・・)と想像してるんですが、どうなんでしょ?(笑)
舞台「ねじまき鳥クロニクル」は、あくまでの舞台版なので、原作を読み返しても、そのエッセンスは抽出されているけれど原文そのままというわけでもなく、観客の想像力に委ねられる部分が多い場面もあるような?感じがして、この場面が正にそうなのかな~と思ってます。
なので、私の想像の中のタイトルは「夢の中(夢の中なのかな?)」です。

ホリプロ公式HPより引用(引用元にクレジット記載なし) 

加納クレタの言葉を借りるなら、肉体の娼婦から心の娼婦に変わった彼女と岡田トオルが、トオルの夢の中で交わった場面なんですかね???
青い洋服の女性は妻クミコ(もしくは謎の女として)、黄色い洋服の方が加納クレタ。加納クレタは岡田トオルと関係を持つことで、彼のココロの中に入っていった・・・ということなんだろうな?とは思うんですが、それが、その後の「ねじまき鳥」となった岡田トオルに何か影響を与えたのか?(助けたのか?)と考えると、そこは(舞台版の中で)具体的にはつながっていないような?気もするし、そうした部分は謎のままだったりします。私が気付いていないだけという可能性も多分にありますけどね。

その話は置いておいて。
ここで魅了されるのはダンサーさん勢揃いのダンスシーンですよね。勢揃いといっても、足先とか手先が揃うわけじゃなくて、振付の範囲で、皆様の個性が生きていて。そこが好きです。好きですし、例えば加賀谷さんの動きを見てると私より女性らしいなぁ・・・と感じるし、歌舞伎の女形もそうですが動きで表現出来るものってあるんですよね、ということを改めて思った場面でもありました。
でも、女性らしく見えることが全員に強要されているわけじゃなくて、個性が生きている状態で「魅せる」インバルさんの面白さだったり、ダンサーさん達それぞれの魅力が楽しめる場面の一つだったな~と思います。
ついつい、最後のあのポーズを同じタイミングで客席にやりたくなってしまう誘惑にかられそうになるんですが、さすがにそれはしませんでしたw


『長い話』

さぁ、ここから!間宮中尉(その当時は少尉?)の長い話が始まります。
この作品を御覧になった方々の印象に強く残る20分。ちなみに初演の御稽古の頃は50分くらいあったそうですが、調整に調整を重ねて、最終的に20分になったそうです。それでも、ほぼ、モノローグですし、途中あの姿勢ですからね、これはもう単純に、まず「凄い」という言葉が浮かんじゃいます。

岡田トオルと妻クミコが結婚出来たのは本田さんという方がいらしたから。その本田さんから遺品を託された間宮さんが岡田家を訪れることから「長い話」は始まります。その遺品とは、木製の箱に入った野球のバット(恐らくは歴代の「ねじまき鳥」を担う人物に受け継がれてきた象徴のようなもの)でした。

間宮さんから本田さんの遺品を受け取った岡田トオル(渡辺大知さんの方)は、間宮さんと本多さんの過去を尋ねます。二人はどういう関係なのか。それまでその話をしたことがなかった間宮さんは「長い話になるかもしれませんが・・・」と語り出し、話は20世紀中頃のノモンハン事件当時に遡ります。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用
上)間宮:吹越満、右上)岡田トオル役:成河、右下)岡田トオル役:渡辺大知/撮影:田中亜紀

初演と明らかに違うのは、語り出す前後と話の途中では、間宮さんを演じる吹越さんの声色や体つきが徐々に変わっていくことで(具体的には、左手の義手が岡田家のダイニングテーブルの舞台側側面に収納される時が転換点)現在からノモンハン事件が起きた20世紀中頃までの何十年間かを戻っていくのですが、再演の初日に拝見した時は(おぉ~)と驚きました。
※初演の時は、元軍人ということで、矍鑠とした老人設定だったとのこと@吹越さん談

御覧になった方々は御存知かと思いますが、あの井戸のシーン・・・吹越さんと言えども人間でいらっしゃるわけで、生理的なものはあると思うんですが(唾が溜まっちゃったり、鼻がつまっちゃったり)、そういう事があったら?、あっても?、何度となく拝見した中で、そうしたもの(現実に引き戻って心配してしまう類のもの)を感じたことがなく、ごく自然と観客はモンゴルに連れていかれちゃいますよね。皮剥ぎのギギギという音に、胃がウっときて・・・。人が、あそこまで残酷な人の殺め方を思いつくのかと、背筋が寒くなりませんでしたか?
ダイニングテーブルの照明が太陽になり、その動きが時間の経過を現わしたり、井戸に落ちた間宮さんの体に一瞬当たった溢れるような陽光が人の「生」を感じさせたり、演出と美術と演じ手と照明と音楽と観客の想像力が合わさると、こんなに表現は自由になるんだなぁ・・・と感じたり。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀

間宮さんが帰る場面で、間宮さんを見送る岡田トオル(渡辺大知さんの方)と(成河さんが演じる)岡田トオルの二人が存在していますが、本田さんの遺品である「バット」は「ねじまき鳥」と成りえる人間(後継者)の象徴であり、岡田トオル(成河さんの方)はそのバットを手に持ち、消える。そこに、加納マルタからの電話が入ります。


『二人のトオル』

妻クミコが帰ってこない。
最後の朝となってしまった日のことを繰り返し想い出しては後悔する岡田トオル✕2。その存在を、失って初めて気付くことが、あるのでしょうね・・・その心の中の声が「二人のトオル」となって現れる場面です。

ホリプロ公式HPより
引用上)岡田トオル役:渡辺大知、下)岡田トオル役:成河/撮影:田中亜紀

多分、便宜上?、舞台の中では「二人」になっていますが、心の中って色々な自分がいますよね?・・・いませんか?・・・ちなみに私の中には(自覚してるだけで)最低5人はいますし、そのキャラクターが人間でさえない存在もいます(笑)
日本語だと「自問自答」という表現になるのだと思いますが、インバルさんだと「二人のトオル」になるんだろうな、と。
初演の時は(表現したいことはわかる・・・)状態で社会情勢により公演の中断を余儀なくされてしまいましたが(すみません)、再演版では不思議と「岡田トオル」に感じる。何が違うのか?素人の悲しさで具体的には語れないけれど、アクションを起こす前の一瞬の支点への力みだったり、動きのスムーズさが途切れなかったり(途中に中継点が入らない)、色々な改善が積み重なって「自然と、そう感じさせる」ところまで到着なさったのかなぁ・・・と感じてました。あ、観劇後で、ですけどね。客席に居る時はそんなこと考えていないので。

この「二人のトオル」はインバルさんが2023年の公演グッズとして販売されたTシャツ用に直筆で書いて下さったものがありました。

公式グッズ

改めて見て見ると、成河さんの方のトオル、よく落ちないなぁ・・・って、思いませんか?
渡辺さんのトオルが手で(落ちないように)支えてるわけじゃなく、渡辺さんの胴体を成河さんの胴体と脚が挟んでいて、自分の右手で脚がズリ落ちないように渡辺さんの腰と自分の膝の間に右手を差し込んでストッパーにしてる図、でしょうか。さりげなく御二人とも大変。2020年の記憶と2023年を比較しても、この場面に関しては大きな変更は無かったような?そういう意味でもインバルさんが気に入ってらっしゃる場面なのかも?しれませんね。

ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

公演のグッズTシャツ、購入させて頂きました@グレーの方。かなりマニアック系なので外に来ていくことは無いようなきもするけど(笑)ま、記念ですかね。2020年の時に販売された猫のサワラちゃんTシャツ(今回はレモンドロップに使われている、あの絵柄です)が大好きで、あれを再販して頂きたかった(あったら大人買いしてましたw)くらいですが、今あるサワラちゃんTシャツを大事に着ていきます(あれは普通に外に着ていけるので、そういう公演グッズは良いですよね~)。

いや、大切なのは、グッズの話ではなく。
密かにポイントかと個人的に思うのは、妻のクミコが、わざわざ、いなくなる日の朝に「いかにも何かがあったように匂わせるような」オーデコロンの包装紙を開け、岡田トオルの目につくような所に捨てておいた、そのことなんですよね。
岡田トオルが知っている今までの妻クミコではない、何かが、起こっている・・・。
おっとりとした性格というか、人を疑うこともなく、ストーカー気質な部分もない夫。本当に気取られたくなかったら、もっと完璧に処分してしまえばいい。でも、そうじゃないんですよね。意識的にか、無意識にか、妻クミコは、自分が消えた、その足跡を敢えて残している。
この場面が、最終的に2幕の「クミコとの電話」につながってくるし、もっと作品全体としてとらえるならば、二人の間の想いだったり、人が人を想うという作品の核となる部分につながっていて。さりげなく、重要な場面に思えました。


『プール』

初演版から(主に演出が)大きく変わった印象がある「プール」の場面。
メイちゃんのアルバイト先で、ハゲてしまった人達の度合い(ハゲ具合?)を調べるという独特な仕事内容です(笑)
ペシミスティックな彼女は、人間は皆、死に向かって生きていると言う。この場面のこの言葉、聞く度にドキッとするんですが、私だけでしょうか? 少なくとも人生の半分は超えたんだろうなぁ・・・と思う今、私は自分の人生と、どう渡り合うのかな?と考えてしまうんですよね。自分自身も死に向かって生きているんだろうなぁ・・・と鏡の中の自分を見せられたような感じもして、聞く度にドキッとします・・・。
いつか、死ぬ。もしかしたら、明日、事故か何かで突然死んじゃう。そういうことだってあり得ない話ではないのに、普通と言っていいのかどうかは微妙ですが、日常生活の中で「自分の死」について毎日のようには考えないですよね。むしろ意識的に考えないようにしてる類の話かもしれません。
でも、世界の中には、戦争だったり内紛だったり貧困状況だったり、生と死が隣り合わせな状況な国々も多くあるし、日本だって、そうした事と無縁と思いたいのは願望に過ぎない、今はそういう世界情勢なんじゃないかと個人的には感じているし、そういう渦中の国で生きていらっしゃる演出の御二人の心情を慮ると、そのリアルさに胸が痛みます。

スタート台に座る二人(メイちゃんと岡田トオル@渡辺大知さんの方)は初演の時から変わりませんが、プールの水面の表現が大きく変わりました。縦から横へ、水面の具象は消えて想像力の中に。ダンサーさん達のバランス感覚、身体能力、改めて凄いなと。
で、この時点で、ほぼ全員?ダンサーさん達は水着姿でいらっしゃるわけですが、その直ぐ後の「オークション会場」場面でも、ダンサーさん達全員ご登場なわけで、早替え、大変だろうな・・・というか、よく間に合うな?と、そっち方面でも驚いてました。


『オークションの前に』

プールの場面の後、家に戻ってきた岡田トオル(渡辺大知さんの方)の所へ加納マルタから電話がかかります。
(訪ねてきましたっけ?電話でしたっけ?うろ覚えですみません、多分、電話だったかと・・・)
岡田トオルは、加納マルタに妻クミコがいなくなったことを伝えます。すると、加納マルタは(探してる)猫は遠い所にいて近所にはいない事と、これらの事象はまだ序章に過ぎず、これから先、(トオルにとっては義兄である)綿谷ノボルとも会うことになると告げます。その面会場所として綿谷ノボルから指定されたのがオークション会場でした。
※この僅かな場面がダンサーさん達のお着替えタイムなんでよね?多分。


『オークション』

妻クミコの兄である綿谷ノボルに呼び出された岡田トオル(渡辺大知さんの方)は指定されたオークション会場へ加納マルタと共に向かいます。

ホリプロ公式HPより引用
左)岡田トオル役:渡辺大知、中央)綿谷ノボル役:首藤康之/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用
綿谷ノボル役:大貫勇輔/撮影:田中亜紀

初演時は綿谷ノボル役は大貫さんのシングルでしたが(何と、大貫さんは同じホリプロさん主催のハリーポッターにも同時に御出演中)、再演版では綿谷ノボル役は首藤さんと大貫さんのダブルキャストに変わりました。
このWキャストが、とても対照的で、(興味深いという意味で)面白かったんですよね。
個人的に感じたものにすぎませんが、首藤さんと大貫さん、それぞれの持ち味が生きた感じがしていて。言葉にすると、首藤さんには既に悪に染まっていて(もっと言えば、葛藤や抵抗なく元々それが自分だったタイプに見受けられました)、存在自体に大きく黒々とした(空気の密度的・・・ブラックホール的な)重さを感じるんですね。大貫さんからは逆に、自分の血筋だったり運命のような「悪に飲み込まれていく」ことにノボル自身も実は葛藤や抵抗があるんじゃないか?と感じる部分がありました。

このオークションの場面も割と二人の違いを感じることが出来る場面で、ワタヤノボルは妹クミコとの離婚を簡単に了承させられると思っていたけれど、意外にも岡田トオルが抵抗してきて、岡田トオルが語る物語(下品な島の話)の暗喩に心がざわついてくるわけですが、首藤さんは、ほぼほぼ最後まで心の動揺を表には出さず(動揺していないレベル)、最初にトオルへ語る言葉(結婚に反対していたくだり)にも侮蔑が含まれているように記憶してますし、大貫さんの方は、もう少し岡田トオルの言葉が効いてるような気配がしたように感じてました。

このオークション会場の場面は、綿谷ノボルvs岡田トオルのバトル以外に、オークションの客として参加しているダンサーさん達の動きがまた楽しい場面でもありました。あの、ビシっ!と揃う瞬間が無条件にワクワクするのは、何故でしょうか(笑)あと、綿谷ノボルが落札した時にチケットのようなもの?を受け渡す鈴木さんの歩き方が好き。バトルとコミカルが共存していて、ここも目が沢山欲しい場面でした。


『クレタさん住居侵入では?(^^:』

岡田トオルがオークション会場から自宅へ帰ったら、加納クレタが家の中に勝手に入っていて、妻の服を着ていた・・・。いやいや、それは岡田トオルでなくとも驚くでしょうよ?加納クレタさん住居侵入罪でしょうよ?と(そっと)思うけれど、そういう細かい話は置いておいて(笑)
姉に御会いになりましたね?まではいいとして、何故に抱いてと言う話になるのか?も未だに謎なんですが、その前に綿谷ノボルの話が入ります。加納クレタが肉体の娼婦だった時に最後の御客として出会ったのが綿谷ノボルでした。
※ちなみに、現在は「意識の娼婦」という言葉があったわけではないような?かんじもしますが、いわゆる、深層心理の中で関係を持つ(交わる)という意味で現在の加納クレタは「意識の娼婦」と担っているそうな。
上記の「夢の中(夢の中なのかな?)」と書いた場面の黄色い洋服の女性が加納クレタだったんだろうなと話がつながってくるのかも。想像ですが。


『ホテルの16階』

と、いうことで、加納クレタと綿谷ノボルが以前使ったホテルの16階。
首藤さんも、大貫さんも、音さんも、凄いですよね。
首藤さんと大貫さんでは、それぞれの個性に合わせて若干振付が違うそうですが、どちらも凄いし、それに対応する音さんも凄いですよね。この場面はもう、二人の動きに見入っていると、あっという間に終わった印象が初演の時からありました。

ホリプロ公式HPより引用
上)加納クレタ役:音くり寿、下)綿谷ノボル役:首藤康之/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用
上)綿谷ノボル役:大貫勇輔、下)加納クレタ役:音くり寿/撮影:田中亜紀

この場面を、物語の中の一場面として捉えるのか、それとも男性と女性という性差が産み出すモノの暗喩と捉えるか、それとも、もっと(闇の力とか闇の支配とか)抽象的なものと捉えるのか、それは観劇なさった方々次第でいいんじゃないかなぁ・・・と思います。


『井戸の底へ』

現実の世界の中で、岡田トオルは綿谷ノボルに妻クミコとの離婚を突き付けられ、妻クミコからも家には戻らないという内容の手紙が届く。
何故そうした状況が起こっているのか?わけがわからない岡田トオルは、井戸の底に降りて考えたたいと思う。その井戸の底に降りていく場面がこの写真のシーンなんですが、初演の時からこの場面が好きで。ネジの螺旋のように、トオル達が降りていく。本田さんから託されたバットを持って。(一番後ろでバットを持ってるのが成河さんのトオルで、この写真だとその前に7人のトオルがいらっしゃいますね)

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀

井戸の底という表現は、現実世界と、無意識化の世界だったり精神世界をつなぐ場所(心の奥深くに降りていく)みたいなニュアンスなのかなぁ・・・と思っているんですが、どうなんでしょう?
人によって受け取り方が違うのかもしれないし。その井戸の底の世界では、自分だけでなく他の人々とも繋がれて、現実世界では会えない人にも会えるのだとしたら、井戸の底も悪くないな、と思ったり。

この場面だったと思うんですが(違ってたらごめんなさい)、「想い出が強い力を持つ」という台詞がありましたよね。想い出、記憶とも言ってもいいかもしれない・・・。特に「誰か」との「想い出」それは即ち、自分と誰か繋ぐを記憶で、その人のことを想う度に自分とその人を繋ぎ直してくれるような、そういうものなのかも?しれないですよね。
人は時の流れの中で忘れていってしまうイキモノかもしれないし、無思考状態になった場合も「想い」というものを抱かなくなってしまうのかもしれない。人が、何か大切なものを抱え、その大切なものを大切に想い、大切なものの幸せを願う。自分だけではなく、自分の周りの人達も、そして、そうした小さな「想いの輪」が広がっていった時、社会全体だったり世界そのものに「平和」というものの後姿が見えてくるんじゃないかと願うというか、それは最早すがる希望のようなものなんじゃないかとも思いますが、この作品に込められた「想い」が最初に場面となって出てくるところだったのかも?しれませんね。


『受け入れよう全て』

♪ 時間ならある・・・ここに居るよ・・・
だったかなぁ・・・歌詞。渡辺さんの歌声は、所謂、ミュージカルとかオペラなどのものとは違うけれど、魂から魂に直接届く言ったらいいのか?、頭の中を経由しないで、直接、受けて(=観客)の心に響くように感じていて(この曲だけでなく)。それは初演の時から変わらないですね・・・。

ホリプロ公式HPより引用 中央:岡田トオル役:渡辺大知/撮影:田中亜紀

井戸の底に降りて、深層世界の中に入って行く岡田トオルたち。
(八百屋の舞台を)沢山のトオルが、ごろんごろん、と、転がってくるんですが(唯一、渡辺さんだけは転がりません笑)、その中に成河さんの岡田トオルも居て(多分)、「井戸の底へ」の場面で一度、舞台の下に降りて、舞台奥に戻り、上がって、ごろんごろんの中に混ざり、客席側に転がってくる。すると、いい按配のところで渡辺さんのトオルも止まり、そこに成河さんのトオルも合流?して、二人とも横になった二人のトオルになる(この時点では、二人とも頭は上手側)。

「受け入れよう全て」というタイトルが示すものを考えてみると、この時点で岡田トオルは妻クミコに何が起こって何が理由でこうした状況になったのか(失踪したのか)は解っていないし察しもついていないけれど、たとえどんな理由であっても、僕は君を受け入れる、という想い・・・なんじゃないかなぁ・・・と思うと、この時の渡辺さんが歌う「ここに居るよ」という歌詞が切ないんですよね・・・。


『クミコとの想い出 その1』

上記の「受け入れよう全て」と繋がっている場面ではありますが、岡田トオルとクミコが初めてデートした水族館での想い出がトオルの中で蘇ります。クラゲが好きなクミコに合わせて(実は苦手だった)クラゲを見に行くトオル。で、結果、気分が悪くなる。
我慢しないで言ってくれればいいのに・・・Byクミコ。正に、そうw

二人のデート場面の後ろで、ゆらゆら揺らめく大きな海月(クラゲ)。
初演の時は、このクラゲを操っているダンサーさんのシルエットや棒も見えてしまっていたけれど、再演版では照明の工夫でかな?クラゲの浮遊感が際立って、より幻想的になったシーンだと思います。
初演の時は(記憶違いだったら大変申し訳なにのですが)クラゲを操っていたのは鈴木さんだったように記憶してるのですが、再演も(全く見えないので判らないですが)鈴木さんだったんでしょうか?凄く綺麗な動きでした。

どうして、そんなにクラゲが好きなの?と聞くトオルに、妻クミコはこう答えますよね。
現実の世の中で目に見えているのは表面の皮膚のように、ごく表層の部分にしか過ぎなくて、その底(奥?)にある物との間にあるのは、こうしたクラゲのようなものなんじゃないかと、クミコさんはおっしゃるわけですが。
彼女が発した言葉の中で、唯一ここだけが、自分の腑に落ちなかったというか、理解出来るような接点が見つからなくて、今でも、何となく考え続けてしまうというか、言葉通りの意味なのか、何かの暗喩なのか、わからない、です。そんな自分が残念。

ホリプロ公式HPより引用
左から)岡田クミコ役:成田亜佑美、岡田トオル役:成河
岡田トオル役:渡辺大知/撮影:田中亜紀

『クミコとの想い出 その2』

水族館でのデートという可愛らしくも美しい場面の後に、クミコさんの妊娠についてトオルとクミコさんの会話がトオルの中で蘇ります。

多分(文脈からの勝手な想像ですが)妊娠しないように気をつけていたはずなのに、妊娠してしまった。
トオルは、無論、自分の子供と疑わず、偶然でも授かった自分の子供なら産んで欲しいという希望もあっただろうし、妻クミコに堕胎というリスクを背負わせたくなかったという想いの両方とも本心だったんじゃないかと。

でも、既にこの時、兄ノボルの手中にあったクミコさんは、本当に夫の子供である確信、もっと言えば、トオルの子供じゃない疑惑の方が強くて「産む」という選択肢は最初から無く、妊娠を告げた時から(ならば最初から告げない方が良かったように思うけど)内心では堕胎を決意していたし、事実、トオルに相談せず堕胎したのは、妻の堕胎に賛成したという精神的な負担を夫であるトオルに残したくないという、クミコさんなりのトオルへの想いだったんだと思います。

現実の時点では、この時、二人の想いは擦れ違ってしまっているけれど、二人とも、自分より相手のことを想いやっているんですよね。
こうした身近なことだったり、もっと大きな問題が起きたとしても、相手の心に寄り添って考えてみて、どうすることがより望ましいのか?ということを、自分の望みだけでなく並行して想像したり考えてみるとうことが、一人一人にとっても、よりよく生きる上での大切なスキルであったりすることを、演出の御二人や脚本の方々は作品の中のテーマとして、こうした場面で伝えようとなさっているのかなぁ・・・と、観客もまた同じように創り手側の方に立って考えてみたり想像してみることも、思考が広がって面白いですよね。


『考えなさい!』

上記の「クミコとの想い出 その2」が終わって、一度、暗転してから・・・かな?(うろ覚えですみません)

引き続き、井戸の底のトオルX2。
妻クミコに一体何があったのか?、井戸の底に降りて、考える、考えようとする、岡田トオル(渡辺大知さんと成河さんの両方、渡辺さんは上手に頭、成河さんは下手に頭と、この場面では互い違いに横になっている)。
いつのまにやら、降りた時に使ったハシゴが無くなっていたけれど、特に慌てるでもなく、井戸の底でじっとしているトオル達。

メイちゃんに見えている(実体)のは一人だろうけれど、メイちゃんの問いに応えるのはトオルの中のそれぞれの人格(渡辺大知さんと成河さん)。
岡田トオルに淡い想いを抱いていたであろうメイちゃんは、妻の失踪中に他の女性を自宅に入れて浮気してる岡田トオルに失望したのかな・・・その状況を奥さんに知られたら奥さんがどう感じるか考えなさい!と、トオルに怒るわけですが、彼女のグシャグシャが暴走し、ハシゴも引き上げて井戸の蓋も塞いでしまう。

この時に、彼女は気付いたのかもしれない。
自分が岡田トオルの近くにいたら、いつか、バイク事故の男の子のように岡田トオルを危険な目に合わせてしまうかもしれない。それを恐れて、彼女は遠く離れた鬘工場に我が身を移したんじゃないか?と、思うんです。
自分の為ではなく、トオルの為に、なんですよね。切ない。

あ、あと、今更なんですが、この舞台の美術で一番特徴的な井戸の底のシーン。遠近法というか、井戸の底から地上を見上げたように舞台セットが見えるようになっていて、客席の御客様方の想像力とインバルさんのセンスが融合したインバルさんらしい面白さがある空間ですよね。
再演では、奥に向かうほど(地上に近いほど)苔むしていたりして。初演の時は、多分、あの苔むした感じは無かったような?記憶があるんですが、違いましたかね?


「余談」

東京芸術劇場プレイハウスの時、ロビーに美術模型が展示されていました。
一つは(視覚障害の方々への対応も含めてかと思いますが)触れられる美術模型で、もう一つは触っちゃいけない(笑)模型です。どちらも撮影はOKでした。(上の2つが触っていい模型、下の2つが触っちゃいけない模型)

両脇にあるドアっぽいものは、2幕のホテルのシーンで登場します
上の模型を上面から撮ったものです

こちらは触っちゃいけない方の模型の正面です。立っているのは、二人のトオルかな?
触っちゃいけない模型を上面から撮影したものです

はい。ここで1幕終了。休憩に入ります。

+++++(休憩)+++++


『彼女が薄れていく』

幕間が終わったものの、まだ少し、ざわざわっ・・・と、ざわつく客席。
そこに、ミュージシャンの方々が、♪ ダ、ダーーーン! と奏でた瞬間、すぅ・・・っと客席が静かになる。まるでスイッチが入ったようなその瞬間が好きだったりします。気分が上がりますよね、この始まり方。

舞台上には二人のトオル。この写真は2020年のものだけれど、2023年版というか再演の際は、登場時、上手側が渡辺大知さんで、下手側が成河さんwithバットだったような?(違いますかね?)
そして、互いに前後入れ違いながら「彼女が薄れていく」を歌い、歌い終わると成河さんのトオルだけが残って、ふらふらっと少し左右に揺れながらポテポテと歩き、ホテルに辿り着きます。
あの時歌われる歌詞、今となってはかなりうろ覚えで申し訳ないのですが、だいたい、こういった感じの言葉が並んでいた・・・かな?(違うかも?)
 渡:沈黙が舞い降りて
 成:目を開けて(上げて?)、目を閉じる
 ?:井戸の底
 成:体の延長のように、何故か知っている
  :(この静けさ)←入りましたっけ?この歌詞
 渡:彼女を探しにゆけ
 成:彼女が薄れてゆく・・・
大友さん達の音楽も素敵だったし、皆さまの歌声も、せめて音源だけでも残ってくれたら良かったんだけど・・・。映像も付けて頂きたいとか、Blu-rayがいいなんて贅沢は言わないのでw

ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀


『ホテルに到着』

井戸の底から繋がっている?深層心理の世界にあるホテルにユラユラと左右に小さく揺れながら、(まるで夢から覚めて寝ぼけているかのような様子で)トオル(成河さんの方)が到着。
待っていたのは、銀さん演じる赤坂ナツメグと息子の赤坂シナモン(松岡さん)。トオルの右頬に出来た青黒い痣は「ねじまき鳥」の(後継者の)証であり(なのかな?)、ここへ導かれる為の印だとナツメグはトオルに説明する。

ホリプロ公式HPより引用 岡田トオル役:成河/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用
左から)岡田トオル役:成河、赤坂ナツメグ役:銀粉蝶/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

当初、どこかぼんやりとしていたトオル。寝起きのような雰囲気から目覚めて「クミコを探さなくちゃ!」とホテルから出ていこうとするトオルを、彼女は此処以外の何処に居るというの?と引き留めるナツメグ。
そう、ここは傷ついた女性達を癒す為のホテル。彼女(妻のクミコ)は此処に居る、と断言するナツメグの言葉を受け入れ、このホテルに留まることを決めたトオル。
東京公演のどの公演だったか?は覚えてませんが、ある時、トオルがホテルに留まると言った時の、ナツメグの「良かった!」の口調が、まるで少女が「ラッキ~♪!」というような、とても嬉しそうな感じの時があって、その様子が銀さんのナツメグにぴったりで、とても可愛らしくて、思わず楽しくてクスっと笑っちゃったことがありました。

ホリプロ公式HPより引用 赤坂シナモン役:松岡広大/撮影:田中亜紀

さて。お次は、別名、お着替えタイム(勝手に名付けましたw)。
2021年の年末は「ローマ帝国の三島由紀夫」でパンイチ(海パン)だったし、2023年の年末は「ねじまき鳥クロニクル」でパンイチだったので、次に拝見するのは2025年の年末あたりでしょうか?w
ピンマイクの発信機?がウエストの辺りにあるから?、ホテルマンの方々がそっと支えるように&発信機が落ちないように?逆立ちが倒れないように?手を添えて下さってましたね。で、脱がし終わったら、今度は被せて、くるっと回して、ボタン止めて終了、だったかな?流れるように進みますが、全部やって下さるダンサーさん達&シナモンの連携の賜物ですよね。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀

お着替えが終わり、ホテルマンの制服?に着替えたトオル(成河さんの方)は、ナツメグから此処での役割の説明を受けます。トオルの仕事は、待っている多くの傷ついた女性達の中に入り、癒して、ほんの数日の平穏を与えること。それが深層心理での精神的なことなのか、それとも肉体的なことなのかは、ホテルの部屋の中のことなので、御覧になる御客様の想像に委ねられているのかもしれませんね。


『傷ついた女性たち』

この場面の上手下手の両側面に連なるドアの数々(全部で8扉でしょうかね・・・?)。そこから傷付いた女性達が出てきます(ダンサーさん達勢揃いなので、男女混合です)。
この時も「夢の中」同様、一定の振付はあるけれど、足先や手先が揃うようなものは求められていなくて(多分)、一人一人の個性が生きた踊り方を皆さんなさってます。例えば、場面としては「病んでいる女性」なので表情からして苦しそうだったり(演劇に近い踊り)、それを体の動きから表現なさってる方だったり、それぞれの個性と同居した動きになっているので、単純に美しいとかではなく、そこから伝わってくるのは一人一人の違いが当たり前に存在する、腑に落ちる感じでした。
兎角、協調が求められたり、多勢が主権を握る社会の中で、個性が尊重される世界は、同じ空間を共有している観ている方も、その場に居ても自由で居られますようよね。私がインバルさんの作品が好きなのは、そういうところなのかも、しれません。

ホリプロ公式HPより引用 ダンサー全景/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 ダンサー全景/撮影:田中亜紀
(記憶違いだったら申し訳なのですが、右から順番に、皆川さん、陸さん、加賀谷さん、渡辺さん
鈴木さん、川合さん、藤村さん、東海林さん)
※もしかしたら陸さんと藤村さんが逆かもしれません、違っていたら申し訳ありません

上手から登場なさったダンサーさん達(傷付いた女性達)は、トオルの治療を受ける為、下手でトオルが開いている扉の方に一人一人入っていきます。この時に、トオルの右頬の青黒い痣を触っていくんですよね。彼が癒す力のある存在だと確認するかのように・・・。

この後、舞台奥の壁が中央に寄り、客席から観ると、三角形を見上げるような空間に変わります。この可動壁は全て手動で、しかも演者さん達(主にダンサーさん達)が出番の間に芝居のタイミングに合わせて動かしてらっしゃるそうです。そういう意味でも、表でも裏側でも、皆で創ってらっしゃった作品ですよね、ねじまき鳥クロニクルは。
だからかも?しれないし、初演が中止になっちゃってからの3年越しの再演という状況もあったのかもしれないけれど、この作品を客席から拝見していると、客席と舞台の間にいらっしゃるミュージシャンの御三方も含めて、本当に皆で創っている空気感が客席にも伝わってくるんですよね。少なくとも私はそう感じてました。

傷ついた女性達の治療が一段落したトオルが、舞台の一番奥の三角形の頂点の扉からヘトヘトになって出てて、倒れ込みます。そこに、気が利くホテルマン達が、ピッチャーに入った水?とガラスのコップを持ってきてくれる。喉、乾いた?・・・ありがと~・・・丁度、飲みたかったんだ~・・・という無言の会話が聞こえてきそうな、ピッチャーとグラスでの乾杯(笑)

そのまま寝入りそうなトオルの元に別のホテルマンが1枚のポストカードを持ってきてくれます。それはメイちゃんからのものでした。
メイちゃんも(実体のない3Ⅾ映像のように)直ぐ横の上手扉から現れ、トオルの様子をみて「なんでこんなに面倒なことがおこるのかね~、やれやれ」(みたいな内容を)呟き、自分は今、遠いところにいるから、(自力で)頑張ってね~~~っと消えていく。
この時、遠く離れた所で、メイちゃんはトオルのことを心配しながら想っていたんでしょうね。この舞台の中でのポストカードは実際にやりとりされたわけじゃなくて、その全ては「想い」の視覚化なんじゃないかな?と私は想像してました。そうやって、口に出したり、直接伝えないまでも、人が人を想う時って、私達にも、ありますよね。

で、ここいらあたりから場面の順番が一層不確かになっていくんですが・・・(汗)

このメイちゃんの「遠くにいるから」のポストカード場面と、綿谷ノボルが中央からドドーンと出てきて「世界の在り様永遠に・・・」と歌い出す場面の間に、シナモンが電話機を持って上手上部からにゅるんと降りてきて下手に、にゅるんにゅるんと移動し消えていくのに影響されるかのように、トオルもまた、下手側ににゅるんと動いて消えていった・・・ような。ザ・曖昧な記憶(笑)いや、動きとかは印象的で覚えてるんですが、順番が、今一歩どころか今百歩くらい・・・すみません。仮に、この順番だったとしましょう。


『世界のありようーその1・その2』

場面としては「世界のありよう」として繋がっているんだと思うんですが、途中で間宮さんとねじまき鳥とロシア人将校(なのかな?)の争いの場面が挟まれるんですよね。この写真の場面です。なので、仮に、この場面の前を「その1」、後を「その2」とします。

ホリプロ公式HPより引用
上から)岡田トオル役:成河、間宮役:吹越満/撮影:田中亜紀

先ず「その1」。
印象的なのは、先にも書きましたが「中央どーん」の登場ですよね?何となく、ラスボス感、満載(笑)
この場面の時がイチバン、左右の壁が動いて迷路みたいな印象の空間になると思うんですが、この動く壁を動かしている方々(ダンサーさん達)はどうやって空間認識(何処まで動かして戻るか的な)してたり、タイミングを見計らっているのかなぁ・・・(目視の為の小窓があるわけでもないので)と不思議なほどだし、その間を歌いながら、壁にぶつからないように気をつけてるんだろうけど、視線は常に正面というか壁を見ない綿谷ノボル達の迷路芸と申し上げたらいいのか(笑)、壁を動かされる方々も、その壁を見ないで避ける綿谷ノボル達も、どちらもさり気なく凄いな~と思ってました。

で、間宮さんを挟んで。
「想像は危険だよ」というような主旨の言葉を間宮さんは岡田トオルに残すわけですが、それこそ勝手な想像だけれども、「想像は危険だから想像しちゃダメだよ」という(想像力に対する)否定の意味ではなくて、逆に「想像には、危険なものと成り得るだけの力があるんだよ」という肯定の意味の方なんじゃないかなぁ・・・って感じてたんですよね。
作品全部を通して「想うこと」「想像すること」の、人間にとっての大切さが何度となく重ねて語られているようにも感じられて。

そして「その2」。
その2だけじゃないかも?しれないけれど、首藤さんと大貫さんの綿谷ノボルの在り方が違って見える要因の一つは、この場面の歌詞のニュアンスの届き方なのかな?と思います。個人的な受け取り方の話になってしまうんですが、大貫さんのノボルの方には、まだノボル自身の迷いが残ってるように感じられて。自分の中の悪に微かな抵抗を感じているような迷いを(でも、同時に抗っても無駄であることも自身で解っているんですよね。それ故の僅かな悲しみも含まれているのかも・・・)。首藤さんのノボルは、元からそういう迷いはなく(過去には迷いもあったのかもしれないけれど、既に悪に染まりきっていて)、純粋悪という言葉はこの世に無いとは思うんですが(^^;)、そこが個人的には二人の個性に感じられて面白かったです。


『闇の中』

いったいどれくらい死ぬまでに・・・という歌詞で始まる「闇の中」。
2幕は井戸の底からつながっている深層心理の世界が主となるので、妻クミコを探し綿谷ノボルから取り戻す為に戦うのは成河さんが演じる岡田トオルがメインになるわけですが、渡辺さんの岡田トオルもまた、(成河さんのトオルと)心は共にあり、深層世界では特に強い力と成り得る「想い出」という力を送っているのかもしれないし、綿谷ノボルに象徴されるような悪を世界から滅ぼす為に大きな樹に止まって世界のねじを巻きたい(=人類が否応なく抱えてしまう悪心の増長を止めたい)と願う、祈りの歌、のように私は感じていました。
初日の観劇感想でも冒頭に書きましたが、原作が書かれた20世紀末よりも世界は物語よりもっと残酷になってきていて、そうした現実を前に、只、茫然と無思考化していくのではなく、一人一人が自分の大切な人達を守りたいという想いが結集していけば(遠い未来であっても)世界は変わっていくのではないか?平和に一歩でも近づいていくのではないか?その為には岡田トオルのように(本当に大切な存在の為には、その幸せを願い)「(考えること、想うこと、声を上げることを)諦めない」・・・そう、心に響く闇の中でした。


『お父さんの動物園』

ヘラジカ、大好き(^^)
初演の時からこのつぶらな瞳のヘラジカさんが大好きだったので、再演でも継続出演されて(笑)とても嬉しかったヘラジカさん。
余談ですが、ヘラジカの実物は中々見る機会も無いかも?しれませんが(現在、日本の動物園では飼育されていないようです)、剥製であれは、確か上野の科学博物館に展示されていたかも?しれません。実際に、人間の大人より大きいので、舞台上のヘラジカさんは、ほぼ実寸大じゃないかな?と思います。
ちなみに、ヘラジカの中の方々は、川合ロンさん(前足)と東海林さん(後ろ足)※ダンサーさん達の談話室にて川合さん談、だったと思うんですが記憶違いだったらごめんなさい。互いに、凄く小さな視界から舞台の床を見ているのと、動物らしい脚の運びにする為に、脚の動かす時は東海林さんが川合さんの合図をトントンしてるそうです(川合さん談)。
公演の最初の頃(初演ですかね?)は進路があまりに見えないので危うかった時(舞台から落ちそうになったのかも?)もあったらしく、現在ではステージ上に「ヘラジカさんの通り道」となる目印があって、そちらを辿ってステージ上を御二人で歩いていらっしゃるそうです。あの仕草といい、動物らしい歩き方といい、可愛らしさとリアルさが混在しながら存在していて、ヘラジカさんも観たいし、その上のシナモンさんも観たいしナツメグさんも観たくて、目が・・・目が・・・足りないと思う場面達の一つでした。

ホリプロ公式HPより引用
左から)岡田トオル役:成河、赤坂シナモン役:松岡広大 
赤坂ナツメグ役:銀粉蝶/撮影:田中亜紀

この場面(歌)のタイトルになっている「お父さん」は、ナツメグさんのお父さん(シナモンにとってはおじいちゃん)なのか、それとも、その後のシナモンのお父さんなのか、どっちなんだろう・・・と、未だに迷っていたりします(劇中、お父さんと呼ばれる人が二人いらっしゃるんですよね)。仮に、ナツメグさんのお父さんだとして。
少女だった時?のナツメグさんのお父さんは満州にあった動物園の獣医さん。満州事変?が始まり、人を襲う恐れがある猛獣(虎とか)を射殺しなければならなくなった、その時のお父さんの記憶を銀さんが演じられるナツメグさんが語るように歌われるわけですが、目が離せなくなりますよね。心の奥にある傷から歌う度に血を流されるような姿で。

「自分達が殺されつつある、その事実が納得出来ない」
この歌詞が意味するところを、最初は人間の事情で射殺される動物たちのことかと思っていたんですが、そうじゃないというか、それだけじゃ無いんじゃないかと思うようになって・・・。
満州事変だけでなく戦争の類は国と国の争いであり、多くは政府や軍部が引き起すものだけれど、それらに巻き込まれる多くの民間人(国民)達は自分達で決めた選択でも無いのに、人生を奪われたり、愛する人達と引き離されたり、自分自身の命もまた動物達と同様に問答無用で奪われかねない、そういう状況(戦時下)も含めての「自分達が殺されつつある」なんじゃないかと・・・。
今の日本は戦時下ではないけれど、選挙に関心を持たず選挙権を放棄した若者達が増えた結果(=声を上げることを止めた)、国会議員は高齢者への恩恵(=選挙時の票の獲得の為)や自分達の既得権益の為の政策しか考えなくなり、世代間の経済格差が増大してきた昨今、それもまた(血は見えないけれど)「自分達が殺されつつある」ことの一端なんじゃないかなぁ・・・と、考えさせられる場面でもありました。

ナツメグさんのお父さんも、また、ねじまき鳥だったのだと思います(パンフレットに掲載されている歌詞を読み返してみても)。満州事変で満州に残ることになり、その後、どうやってナツメグさんの夫でありシナモンのお父さんである「ねじまき鳥の後継者」に出会ったのか、どうして亡くなられたのか、どうしてナツメグさんが傷ついた女性達の治療を行う(または引き継いだ)ことになったのか、舞台版の「ねじまき鳥クロニクル」では語られません。
(※舞台上の上演台本は原作からのエッセンスの集合体なので若干違っているのと、筆者自身が原作をそこまで読み込んでないので気付いていない場合もあるかと思います)

世界のねじを巻く「ねじまき鳥」という存在が同時代に一人(後継者に継承していくもの)なのか、複数いるのか?もまた、個々人の想像ですよね。原作の物語の中では「ねじまき鳥」と呼ばれる人々のクロニクル(年代記)だけれども、実際に存在する「人」ではなくて、人類の平和の為に奔走なさる多くの人々の想いの偶像なのかも?しれないですよね。


『ポストカード(かつら工場)』

中々に、濃いと言いますが、心にどーんと来る場面が続く中、一服の清涼剤のような、メイちゃんのポストカードの場面。大きなカードで登場される場面が2箇所あって、その1つ目がこの「かつら工場」です。

岡田トオル(渡辺さんの方)に、ほのかな想いを抱き始めたかもしれない、そんな(バイクの少年に目隠しして結果的に悲惨な事故を起こしてしまったグシャグシャを抱える)自分が少し怖くなったのか、岡田トオルから(物理的にも)離れる為に元バイト先のかつら工場で働き始めたメイちゃん。
そこには、雉が飛んでた?狸もいた?ような台詞が歌詞の前にあったと思うんですが、拝見しながら(それ、八王子・・・?)と思ってました(笑)
大学がそちらの方面(の山の方)に在ったんですが、空には雉が飛んでたし、守衛さんは迷い込んだ狸を飼ってたし(冗談で、そのうちに狸汁にするwとおっしゃってました)、裏山には小さな沼もあって私の苦手な生き物も出てきたりするんです。冬になると凍りますしね~w

ホリプロ公式HPより引用 笠原メイ役:門脇麦/撮影:田中亜紀

2020年に世界が大きく変わって演劇を取り巻く状況も大きく変わった2023年に「三年後、わたしがなにをしているかなんて、だれにもわからない」という歌詞を聞くと、身につまされるものが初演の頃に比べて桁違いというか、本当に、しみじみ、メイちゃんの歌声に感じ入ってしまうんです。

メイちゃんの三年後はきっと、将来の自分が何をしているかわからないという高校生くらいの年頃の子なら誰でも抱いたことがある想いにも感じられるし、同時に「ほかの子とは違う」自分の中のグシャグシャを抱えて生まれた自分の危うさを(ほかの子のように安全なルートの中で生きていけない)自分で見据えて考えようとしているようにも感じられて、当たり前のようだけれど、人間は皆同じではない、という事に想いを馳せる時でもありました。

この物語の中で、メイちゃんが居ることの意味をですね、特に初演の時でしょうか・・・ずっと考えていたんですね。
この物語に出てくる主要人物って、私達の現実世界にも居るような普通の人といったらいいのか・・・そういう人っていないんですよね。例えば、悪の暴走を止める役割を担った人間(ねじまき鳥、この場合は岡田トオル)だったり、悪を増長させる側の人間(綿谷ノボルや、同じ血筋の岡田クミコもそうなのかもしれないし)だったり、深層心理の世界の中の人間(ナツメグやシナモン)だったりするので、客席で観てる自分達と繋がりにくいというか、共感とか体験として解るとか、そういう対象が殆どいない中、唯一、観てる私達と近い存在として、メイちゃんが居るのかなぁ・・・と思うようになりました。
少女だったり少年だった頃の、恋とも言えないような淡い想いを抱くという気持ちなら、多くの方々にも同じような記憶があるでしょうし、そこが一つの糸口となって、自分も物語の中に入っていけうようになるし、舞台版の大きな主題である「人が人を想う」という感情だったり、その大切さが、実感として感じられるようになる・・・その為の存在なんじゃないかなぁ・・・と、特に再演を拝見して感じるようになりました。

あ、再演でこの場面が変わったところ。
メイちゃんだけでなく、ポストカードを持った岡田トオル(成河さんの方)がポストカードの横に居て、一緒に歌う形に。
うん、まぁ、メイちゃんが心配している想いが届いてる(カードが実際に届いてるわけじゃなく、想いだけが以心伝心のように届いてる)という意味では具現化することで伝わりやすくなったのかもしれないけれど、観客によっては、実際にメイちゃんがポストカードを投函して岡田トオルが受け取ってるんだと感じてしまうだろうなぁ・・・という落とし穴も気になって、初演の時のようにメイちゃん一人の方が演出としては誤解が生まれないんじゃないかなぁ・・・とも思った場面でした。


『謎の女、見つかる』

メイちゃんの清涼剤効果でほっと一息したのも束の間、謎の女(お酒が飲みたいわの場面でオンザロックを御所望)、登場。
(あの御身脚は何方なんだろう・・・)(もしかして男性?だとしたら加賀谷さん以外か・・・>直ぐ後に登場場面があるので加賀谷さんではない)
などなど、イントロ部分で雑念が芽生える謎の女性。

最初に、岡田トオルに電話をかけてきた、謎の女性。この段階では、まだ、岡田トオル(成河さんの方)は、この謎の女性が誰なのか?気付いていないわけなんですが、それは自分で考えないとね、嘆く前に。
謎の女の声を演じてらっしゃるのは門脇さんらしいです(公開された稽古場動画からの推察で)。メイちゃんの声とは全く違う声色で魅力的ですよね。

この場面、謎の女のメイン(御身脚のみ)は下手奥ですが、グラスを持つ手は上手側だったり、色々な場所から色々な体のパーツが登場して、インバルさんらしい面白さというか不思議さ妖艶さがあって、好きな場面です。


『綿谷ノボルの力が増す』

妻クミコが見つからず、謎の女に泣きついてる岡田トオル(と言っては身も蓋もない)だけれど、そうこうする内に、不穏な空気が。どうやら、綿谷ノボルの力が増々増してきたらしい。謎の女も岡田トオルに「逃げて!」と危険を告げる。

再び、順番があやふやで申し訳ないのですが、謎の女の「逃げて!」の後に?、加賀谷さんがホテルマンの衣装でタップ(ソロ)を踏みながら、深層世界に何かが起こっていくことを印象付け、(おぉ・・・何かが起こる・・・)と緊張感が増しているところに、綿谷ノボルが再び登場、ラスボス感を振りまいて、退場、・・・でしたでしょうか・・・。

その途中か、その直後?に、(赤坂シナモンの意識体かもしれない)顔のない男が岡田トオル(成河さんの方)の元に来て「逃げて下さい、貴方はこの世界では嫌われている」と告げる。

※ここいら辺りは、本当に順番が違ってたら、ごめんなさい。
 言い訳をするなら、場面場面が、テーマがつながっているショート
 ショートみたいな作品なので、物語性の強い作品と違い場面の繋がりが
 覚えにくいのと、一場面毎の情報量が多くて私の脳内メモリー不足がw


『猫、見つかる』

猫のサワラちゃん。漢字で書くと「鰆」ちゃんなのかな?塩焼きにすると美味しい春の白身魚。ちょっとお高めの魚なので、もし、牛河さんが何処かで食べているのを猫の元ワタヤノボルが食べたがったのだとしたら、牛河さんは中々のグルマン(食いしん坊)なのかも?(笑)そして、猫が欲しがった魚(鰆)を上げてしまうところが、意外にも?優しいのかも。
そう、このニャンは岡田さんちで飼われていた「ワタヤノボル(クミコさんが兄に似てるということで名前をつけた)」で、猫飼いの皆様曰く、人間は猫様の御世話係だったり下僕だともおっしゃるので、そういう(人間を傅かせるという)意味では綿谷ノボルのようでもあり、確かに似てるのかも?しれませんね。

妻クミコの失踪してからは岡田トオルの目的は「妻クミコを探す」ことに特化していきますが、事の発端は、いなくなった猫ワタヤノボルを探すように妻クミコに頼まれたこと。
初日の感想にも書きましたが、この「舞台ねじまき鳥クロニクル」の中で、猫はネコであって猫ではなく、岡田トオルと妻クミコに生まれ育まれてきた二人の間の愛情とか互いの想いの具象化のような存在なんですよね。だから、兄である綿谷ノボルが妹クミコを手中に戻そうとし始めた時期から猫が姿を消し、やがて妻クミコも姿を消します。そして、岡田トオルが妻クミコを取り戻す為に井戸の底にまで降りて自分が居る深層世界まで取り戻しに来てくれた愛情や想いがあったからこそ、二人の間の猫は再び姿を現した・・・だからこその、このタイミングでの「猫、見つかる」だったのかなぁ・・・と私は思います。
ちなみに、元ワタヤノボルだった飼い猫の名前を「さわらちゃん」に名前変更したのは岡田トオルさん。あの義兄の名前は嫌だったのかも(笑)

ホリプロ公式HPより引用
左から)岡田トオル役:成河、牛河役:さとうこうじ/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 左から
牛河役:さとうこうじ、岡田トオル役:成河/撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

再演版のパンフレットにも書いてありましたが、牛河さんが着てらっしゃるこの編み込みのベストが可愛いですよね。トナカイなのか?微妙にヘラジカに見えなくもない図柄で♬
ちょっと不気味な雰囲気もしつつ(あの綿谷ノボルさんの裏の仕事をしてる人ですしね)、でも、妻クミコさんと岡田トオルさんが二人で話せるように段取りを組んでくれるところが、根っからの悪人でも無いような?感じもして、どうなんでしょうね。

舞台版には何度か小道具を印象的に扱った場面がありますが、この場面は名付けるなら「枕芸」ですかね?w
一度帰ったはずの牛河さんが直ぐまた訪ねてくる、その合図のノックに素早く反応する猫のサワラちゃん(首、くいっと上がる)。こちらは「猫芸」wですが、猫好きな方々は思わずサワラちゃんに注目しちゃいますよね(笑)

すっごく余談ですが、公演グッズとして販売していたレモンドロップの黄色い缶が初演の時の猫Tシャツ柄で凄く可愛いし、蓋の閉じ方も気持ちいいので(パチンとハマる、その加減が)大人買いしました(^^;


『シナモンの記憶』

再演の初日に拝見した時、(あ、6歳だ・・・)と思ったんですよね、この場面のシナモンの声を聴いた時。
彼が子供の頃、ある日突然、声を失った・・・というか、別の器(体?)に入れ替わってしまった時の記憶。
ホテルマンの方々が(紙の動きで)描いて下さってるのは、彼が一人で紡ぎ出すようになった「ねじまき鳥」の物語なのかなぁ・・・。彼の家の庭で見てしまったものの、その様子(カーテンとか心臓の鼓動とか)が視覚化されていて、つい、つい、呼吸を合わせている自分に気付く。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

この場面もまた、シナモン個人の記憶の話でありながら、同時に何かの暗喩になってるんじゃないかなぁ・・・と考えているんですが、「声が出なくなった」ことだったり「言葉を話せなくなった」ことは、シナモンの肉体的な事だけじゃなくて、例え話として別の視点から考えてみると・・・。
例えば、社会や政治に無関心だったり、何も考えようとしなかったり(無思考化)、それらの変化に対して自分の考えを持って、自分の言葉で自分の考えを表に出すという行為を止めてしまった人が大多数である現代社会そのものを暗示してるんじゃないか?とも、感じたりするんですよね・・・。


『パスワード』

小説の中では、確か、シナモンの部屋にあるパソコンのパスワードだったかと思うんですが(違ってたら、ごめんなさい)、この舞台版の中ではシナモンの部屋の扉にかかっているパスワードという設定に変わっていて、3回間違えるとロックされちゃうんですね。あやふやな記憶ですが、確か・・・「動物園⇒獣医⇒ねじまき鳥」の順だったかな?岡田トオルが(パスワードを)投げ掛けた順番。
正解の「ねじまき鳥」で部屋の扉が開いた瞬間、シナモンの机の上の電話が鳴るけれど、今度は受話器がなかなか取れない。インバルさんの作品の中で度々お目にかかる「まるで道具が意志を持ってるような」動きが面白くて、まるで岡田トオルに話させまいとするかのような受話器と格闘するトオルだけれど、やっとのことで受話器を取ることが出来た。その先から、聞こえてきたのはクミコの声だった。


『クミコとの電話』

受話器との格闘の末、やっと取ることが出来た時。
先ず(つながってるんだろうか?)と焦りながら確認するんじゃないかなぁ・・・と再演前半の頃は思っていたような、うっすらとした記憶。
何故って、チケットが電話予約だった時代、自分がそうだったから(笑)
なかなか繋がらない電話が繋がった瞬間って焦るんですよね、人間。台詞は一緒でも口調、ニュアンスが再演後半に向かって変わっていった部分だったように思います。

牛河さんのアドバイスに従い、妻クミコしか知らないであろう水族館での出来事(想い出)を聞き、クラゲと答える電話の先の女性が妻クミコであることを確信した瞬間、それまでの緊張感が解ける。猫が見つかったと話しかける。そして、クミコに出会えたら一番に聞きたかったであろうことを問う。
「どうして(助けを求める相手が)僕じゃないんだ?」(ニュアンス)
「その為に、一緒になったんじゃなかったの?」
妻クミコは、感情的になることもなく、諦めが混じったような淡々とした口調で「手紙に書いたことが全て。自分は治らぬ病になったと思って欲しい」(ニュアンス)と岡田トオルに告げる。

この二人の会話の間、舞台上には二人だけ。妻クミコは下手奥から時計周りに舞台上を一周するけれど、岡田トオルとは一定の距離を保ったまま。岡田トオルは姿も見えぬ妻クミコを追うかのように同じように下手奥へ消える。

クミコさんとしては、兄の力を知ってるが故に、愛してる夫を巻き込みたくなかったというところが本心なんでしょうね。あと、日常の岡田トオルは割とおっとり系で暴力とかに対して頼りになりそうなタイプでもなかったし、彼が「ねじまき鳥」であることも知らないはずだから。
岡田トオル自身も「助けられる」という確信があったわけじゃなくて「ただ助けたい」という真っ直ぐな気持ちだけなんじゃないかと。

この場面、実はとても大切というか、人が人を純粋に想う、互いの幸せを願う、そうした気持ちが、ワタヤノボルを代表とする人の悪意に対抗する大きな力と成り得ることを語っている「起承転結」の承か転に当たるのかなぁ・・・と思うんですよね。物語の大きな転換点。


『ポストカード(アヒル)』

はい、ここで再び、ほっと一息。
アヒルの人達とメイちゃんのポストカードです。
月光が透明なフィルムになって誰かを守るって想像してみると素敵ですよね。この場面はメイちゃん一人。ある程度の時間が経って、岡田トオル自身への想いから、岡田トオルの幸せを遠くから願うというような抽象的な想いに変わっていったのかなぁ・・・とも思える場面でした。
ニュアンスとしては結構切ない面もあったけれど、その中で面白かったのはアヒルの人達の鳴き声が日増しに増えていて(笑)名古屋公演の時のアヒルの人達は最大級だったようなw(アヒル、育ったらしい@大友さん)


『謎の女×3』

ホッコリタイムが終了すると(ホッコリしてるのは客席だけでメイちゃんにとっては切ない場面だけれど)、場面転換。謎の女たちが下手奥に3人並んでいる。そこに岡田トオル(成河さんの方)登場。「君はクミコだね」と問いかける。
今回の出来事の発端は謎の女から掛かってきた1本の電話だった。岡田トオルは謎の女に言う。「(君は)現実の世界では伝えられないことを電話で僕に伝えようとした。そして、君は僕に救って欲しいと願ってる(ニュアンス)」
そう言う岡田トオルに対して謎の女は「随分、自信家ね?(クミコでなく)違う者を連れ帰ったらどうするの?」と軽く揶揄うかのように返す。

謎の女のその言葉の本心は、自分はもはや岡田トオルの妻だった元のクミコには(望んだところで)戻れないんだろうなという現実を抱えていたのかもしれなくて。それならば、(戻ったところで)現実の世界で岡田トオルを不幸にしてしまう。けれど、心の片隅に(元の自分、元の生活に戻りたい)という想いがあって、その想いが消せずにいる。

最初の頃、妻クミコが姿を消した時は「何でだろう?」と訳がわからなかった岡田トオルだけれど、現実の世界で自分に見えていなかったもの、妻クミコと擦れ違っていたこと、本当のクミコそのものや内実、そうしたものに精神世界にいる妻クミコと出会うことで、やっと気付き理解することが出来た岡田トオルは、それでも迷わず、妻クミコを現実世界に連れて帰る!と心に決める。

そうした想い、言葉では無いものが両者の間に共有されたからなのか?、謎の女は岡田トオルに(ねじ巻き鳥の)バットを渡す。
そのバットは、恐らく、歴代のねじ巻き鳥達がワタヤノボルのような大きな悪を封じ込めてきた象徴であり、同時に、謎の女の中の妻クミコが夫である岡田トオルに自分を今の状況から救い出して欲しいと願った言外の想いであり本心だったのだと思う。信じて託す、というのでしょうか?言葉にすると。


『連れて帰るっ!』

そんな二人の会話の途中で、突如、大きな音がする。
謎の女(=妻クミコ)は「逃げて!」と岡田トオルに促す。
兄ワタヤノボルというよりは、もっと抽象的な「大きな悪」の力が動き出した。その緊張感が押し寄せて来る。逃げるならば今。時間は無い。

「君を連れて帰る!」と岡田トオルが叫んだその時。
悪の手先と化したホテルマン達が一斉に襲ってくる。謎の女から託されたバット1本を武器に必死に戦う岡田トオル。ホテルマン達を退けながら、そして抗いながら、ひたすらバットを振り下ろし何かに叩きつける。叩きつけ続ける。息が上がった岡田トオルが動きを止めると、背後には頭から血を流したワタヤノボルの姿が・・・。

ホリプロ公式HPより引用 撮影:田中亜紀
ホリプロ公式HPより引用 2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

戦いが終わったからだろうか?
ねじまき鳥としての役割(かつ、夫として妻クミコを救い出す)が終わったからだろうか?大きな波のような水の塊が舞台奥から客席側に向かって押し寄せてくる。イメージ的には、枯れた井戸の底に居るはずの岡田トオルを湧き上がってきた水が地上へ押し上げ元の現実世界に戻すような感じなのかなぁ・・・。


『さよなら、ねじまき鳥さん』

この物語のエピローグ。
舞台上には、小さな岩のようなものの上に岡田トオル(渡辺さんの方)とメイちゃんの二人っきり。どうやら、ここはアヒルの人達が居た、メイちゃんがバイトしてる工場の中の池の淵らしい。

あの井戸の底の戦いから、どれくらい経ったのか・・・。
現実の世界では、選挙演説の最中に脳溢血で倒れ病院に搬送された兄ワタヤノボルの生命維持装置を妹である妻クミコが外し(ワタヤノボルは死亡したのだと暗示された状況)自ら警察に出頭したニュースを新聞で読んだとメイちゃんが岡田トオルに真偽を確かめるかのように語る(ここ、ちょっと説明っぽいけど、しょうがないっかなぁ・・・と思う部分でしたよね)。

妻クミコは夫である岡田トオルに会おうとしない。
自分が関わり続ければ、夫の人生での重荷になってしまうから。
(彼女が行ったことは殺人容疑なのでしょうし、どういう事情=動機が何だったのか、それは現実の世界では理解されない事なので情状酌量の余地も無い)
そうした妻クミコの想いも今なら解る、夫、岡田トオル(渡辺さんの方)。

メイちゃんに、何か聞かれて(失念、すみません)、岡田トオルは答える。
「もっと悪いことになったかもしれないし」
「僕はずっと(妻クミコのことを)待つ」(どちらもニュアンス)

ここで思い出す「顔のない男」が中盤で語った言葉。
ここから先に進んだら、もう、元には戻れない。
日常の細かい不満や諍いはあったかもしれないけれど、夫婦二人と飼い猫1匹の穏やかな暮らしの頃の、知らなかった頃には戻れない。
でも、今の岡田トオルと妻クミコは、例え、拘置所の中と外という物理的な距離は離れていても、互いの本心、互いの想いを、言葉に出来ないところまで理解し合っていて、そういう意味では以前より強く結びついている。
共に暮らす今まであった幸せは失ったかもしれないけれど、心と心で強く繋がり、唯一無二の存在として互いを大切に想える存在が居るという幸せを得たことが、以前と比べて不幸なのか幸せなのかは二人が思うことで。

形骸的なこと、社会的な関係性(夫婦とか家族とかの枠組み)だけじゃ計り知れない「幸せ」が、人の数ほど有る。
そう最後に聴こえてくるように感じる。

最後に三人ひとりひとりが歌う「さよなら」が示すもの。
メイちゃんは岡田トオルの心配をしつつ幸せを願い、岡田トオル(渡辺さんの方)もまた笠原メイの幸せを願い「『なにか』にしっかりと守られることを祈ってる」と歌い、同じ言葉をもう一人の岡田トオル(成河さんの方)は「きみ『なにか』にしっかりと守られることを祈ってる」と重ねる。
(※ 引用元「ねじまき鳥クロニクル」舞台パンフレット)

この「きみ」は、「なにか」は、何を指し示すのだろう・・・。
それは、観る人、一人一人の想像力が描くものだし、同じ人でも状況によって変わっていくかもしれないものだけれど。
この時の私は何を想ったのかなぁ・・・と振り返った時・・・

最後の成河さんの方の「きみ」はメイちゃんという具体的な対象ではなく、もっと抽象的な存在・・・例えば、世界中に生きる人達それぞれの大切な人かもしれないし、その中には妻クミコも勿論含まれるんだろうし・・・、それは歴代の「ねじまき鳥」が願い続けてきたことなのかもしれないですよね。世界の誰もが自分の幸せを抱けるように、想う人の幸せを願えるように・・・。そうした想いが人々の中で重なり合っていけば、争いごとや戦争とか侵略とか内紛とか、人の想いが争いを諫めていけるんだということを、村上さんの原作の中からインバル・ピントさんやアミール・クリガーさんは「原作のエッセンス」として抽出し、作品「舞台 ねじまき鳥クロニクル」の中の核に据えたんじゃないかと、私は感じました。

人それぞれ、その時々で、変わっていくものでいいのだろうし、これじゃなきゃおかしいというものでもなく「自分はこう感じた」と言う話に互いに耳を傾けて、その人の一面と出会っていける切っ掛けになればいいのかなぁ・・・とも思います。

同作の初日観劇感想にも書きましたけれど、インバル・ピントさんは自らの演出意図を言葉にすることを避けようとなさいます。それは、インバルさんが言葉にすることで観客の想像力や思考力が狭められてしまうことを残念だと思っているから、なんですよね。
そういう意味でも、色々な受け取り方が出来る抽象的な表現になっている場面もあるし、ここに書き連ねた場面毎の観劇感想も私の中に生まれたものに過ぎないので、御覧になった人の数ほど感想があるでしょうし、互いに違うからこそ面白いといいますか、自分が気付かなかったことや、思いもしなかった発想を伺った時など、本当に面白いんですよね。だから、短くても長くても、言葉としての表現が上手い下手に関係なく(職業で書いてるわけじゃないですしね、それは素人の特権w)自分が感じたことを自由に書けばいいんじゃないかなぁ・・・と、私は思います。
数年前に観た作品とか、偶に自分が書いた感想を読み返してみると、面白いですよ?意外と(笑) 記憶は薄れますけど、言葉が記憶を蘇させてくれる部分がありますからね(^^)


『ミュージシャンのみなさま』

今回、音楽として使われた楽曲は全て(ですよね?)オリジナルなもので、大友さんを中心に江川さんやイトケンさんの御三方で創り上げたものだそうです。本番(上演)中も、下の写真のように客席の一部がオーケストラピットのようにミュージシャンエリアになっていて、生の芝居に生の音楽が寄り添って下さる、この贅沢感。最高~に素敵でした。再演だからこその、互いの阿吽のようなものも客席に伝わってきたりして。ミュージシャンの皆様も紛れもなく出演者の一員だったと思います。

ホリプロ公式HPより引用 左から)大友良英、江川良子、イトケン/撮影:田中亜紀



配信の御紹介

2023年の再演中(2023年11月)からずっと、書いては直し、書いては直しを続けて、舞台を客席から観た時に感じたこと想ったこと考えたことだけを言葉に落としたものが、この観劇感想です。
その途中で今から御紹介する配信が発表されたので、観劇感想を書き終わったら、開示する前に配信で内容を見返して、多分、記憶違いとかあるだろうから、そうした部分を修正してから開示しよう・・・と思っていたんですが、何と申しますか、配信を見返すのが怖くなっちゃった・・・んですよね、書き終わるまでは。実際に客席で自分が感じたことや記憶が配信を見ることで上書きされちゃうような気がして。なので、そうした正誤是正をしない段階で、一度、開示させて頂こうかと思いました。
配信先は、こちらの「TEATRE for ALL」の中にあります。
視聴時間は168時間(丸7日間)なので、その間でしたら何度でも拝見出来るようです。見てない時や寝てる時間も全て含まれちゃいますので、その点だけ御注意下さい。
これで、やっと私も配信を拝見出来ます(笑)



おまけ(ねじまき談話室@刈谷)

大千穐楽の前日(前楽ですね)の終演後、アフタートークがありました。
(2023.12.16 15:00公演終演後=18:00過ぎから約20分程度)
登壇者は、舞台に向かって下手(左側)から、松岡さん、音さん、吹越さん、門脇さん(MC兼任)。
松岡さんと音さんはグッズで販売していたTシャツのピンク、門脇さんは同じTシャツのグレー、吹越さんはまだメイクを落としてないので着替えると衣装が汚れちゃうから?ということで、稽古着らしき黒スーツ姿で御登場。
ドラマとかの勝手な印象(渋めの役柄)では口数が少ない方なのかな?と思い込んでた吹越さんが、多分、御登壇の方々の中では一番多く御話して下さって、サービス精神旺盛な方だなぁ・・・と思いました(御話も面白いです)。全体で20分程度のアフタートークでしたが、その中で伺った御話のニュアンスだけ、ちょこっとオマケに書いておきます(言葉はニュアンスです、御了承下さい)。

以下、順不同です。(御話の受取り違いがあったら、ごめんなさい)

★皆様、舞台直後とあって、ピンマイク(頭部につけてらっしゃるマイク)のままなので、ハンドマイク無しで話すのがどうにも落ち着かないとトラベル用のハミガキセットをマイク替わりに持って話始める吹越さん(笑)最初の掴みはバッチリでしたw(そして、途中からハミガキセット関係なく普通に話してる吹越さんw)

★MCの門脇さんからのお題『初演と変わったこと』や『日々進化してるところ』とか、御一人づつ、と。

★最初に吹越さん。
舞台に立つ上で普通は開演前にウォーミングアップをするものだけれど、今回の再演では「老人となった間宮さん⇒少尉時代の間宮さん⇒老人となった間宮さん」という風に「おじいちゃん」から始まるのでウォーミングアップせずにそのままいける(笑)
と、おっしゃってるのは吹越さん流の御冗談で、舞台を御覧になった方々は覚えていらっしゃるかと思いますが間宮さんの長い話という凄い場面があるので、勿論、ウォーミングアップはなさってらっしゃると思います。
ちなみに、初演の時の考えでは、間宮さんも元軍人なので、岡田家を訪ねた時も矍鑠とした姿(老人っぽくない)で演じていたけれど、再演では、現代の岡田家とノモンハン事件(20世紀前半)の頃を時空的に行き来する表現として現代では老人っぽい方がいいかな?との考えから変えられたそうです。

★音さん。
ホテルの16階のダンス。(御稽古の)最初の頃は大変だったけど、今は(踊っていて)とても楽しい。綿谷ノボル役が首藤さんと大貫さんのWキャストなので、今日で大貫さんとは最後なんだなぁ・・・と思った(前楽なので、唯一のWキャストの大貫さんは一足早く一人千穐楽でした)。クレタの鬘(金髪ロング)が踊ってる間に結構抜けて床に落ちているらしく、その後の場面のダンサーさん達から「今日は一杯(床が)キラキラしてた♪」と言われる(笑)
<吹越さん>地毛でやってたら今頃大変だったね~
<客席>(笑)

★松岡さん。
松岡さんは「赤坂シナモン」と「顔のない男」の二役を演じていらっしゃるんですが、今回の再演では、この2役の共通点(共通項?)を感じられるように表現してみた(御自分的にトライしてみたこと)。
「(実際に)やってみて選択する」ことと「やらずに選択する」ことは違っていて、今回の再演では「やって選択する」ことが出来たし、これからも(表現者として)そうありたいと思う。

※余談。これはトークでの話ではなく観劇中に私が感じただけの話なんですが、私は「顔のない男」は赤坂シナモンの(実体を伴わない)意識体なんだと感じてました。そういう意味では二役ではなく、一人なのかなぁ・・と。
ねじまき鳥の後継者(もしくは、その血筋の者)同志なら解る存在。シナモンは、顔のない男として現実世界と深層意識の世界を行き来出来たのかなぁ・・・?って想像してました。

★門脇さん。
笠原メイちゃんは、岡田トオルに恋してるのか?していないのか?それとも、そもそも恋というものを知っているのか?という辺りを再演ではアミールさんと話し合いながら進めていった。稽古場以外に「読み合わせ部屋」があって、そこでアミールさんと話し合いながら再演のメイちゃんを創っていった。
舞台稽古?で、稽古着のまま舞台に立つと、舞台衣装を着けて上演している時より3倍くらいテンションが必要なので(音さんもめっちゃ同意)、そういう時は(稽古だけど)頬にチーク濃いめに入れて気持ちを上げてく。そういう意味では、舞台衣装とか照明とかメイクで入っていける所もあるのかも?しれませんね。

★上記のお題以外に飛び出した御話 ↓

★吹越さん。
「間宮さんの長い話」は初演の稽古段階では50分くらいあった。今は20分くらい。これから何かの時に20分計らなきゃならなくなったら「長い話」がタイマー代わりになる(笑)

★吹越さん。
どうしてもツアー公演だと「ご当地ネタ」を入れたくなってしまうけれど今回の「ねじまき鳥クロニクル」では流石に(本番中は)入れられないので、舞台稽古の時に(本番で誘惑に負けてしでかさないようにw)やっておいた(笑)
商品名はすみません、忘れちゃいましたが、餃子と焼売のいいとこどりのような食べ物が刈谷の名物だそうです。
※未確認ですが、どうやらこれらしいです。

★最後に、門脇さんから作品のグッズ紹介。
登壇者の方々が着てらっしゃるTシャツとか、サワラちゃんのレモンドロップとか色々ありました。

ホリプロ公式HPより引用