思い出の値段

お金がないのに働きたくない僕は今日、服を売りに行った。

先の結果から言うと、野口さんと使い道のない小銭を手に入れただけだった。

正直僕は失望した。もっと位の高いお金が手に入ると思っていた。なぜならその売りに出した服たちは今年の僕の誕生日に親戚がくれた服だったからだ。


1着5000円以上はする別に安くない代物達だし、1回も着ていなかった。貰った服を売るのはどうかと思うかもしれないが、物欲がない人間だったので大体毎年服を貰う僕にとって着ない服は一生着ないので現金に変えた方がましなのだ。お金が欲しいのなら、メルカリなどで売るのが正解なのは重々承知だが、梱包発送する手間をかける様な人間ではないのでそもそも向いていない。

1件目の古着屋で査定額1200円と出て「まさか…この店はブランドも分からないのか」と呆れ2軒目に売りに行ったが、2回目も同じような結果を提示され泣く泣く売った。たかが1000円なら別に売らなくても良かったのだが、持って帰るのが面倒だったので1着手元に残して全て手放した。

自分の思っていた価値がここまで他人との価値と乖離していることに軽くショックを受けたが、同時に人から貰うことによる主観的な付加価値は予想以上に大きいものだと心底体感した。

財布の新入りの千円札は帰りに買った歯磨き粉と野菜であっという間に消えた。こんな日常的に消費する物と人の思いの籠った物も他者から見れば価値としては同じに見える悲しさを抱えて帰りのバスに乗り込んだ。



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