「自分探しと楽しさについて」を読んで
「創るセンス 工作の思考」に引き続き、
森博嗣先生の著書の感想を書こうと思う。
読んでから少し時間が空いてしまったので、
別の本の内容と混在したことを書いているかもしれないが、
ご容赦いただきたい。
この本は「創るセンス・・・」と「自由をつくる 自在に生きる」
の2冊に対しての回答?的な位置付けとのこと(著書によると)。
前者の2冊がやや抽象的な内容であったのに対し、
この「自分探しと楽しさについて」はより具体的な内容にした
と森先生は言っている。
そのため、書かれている本質は変わらないとも言っていて、
読んだ僕自身もそう感じた。
この本では、タイトル通り「自分の楽しさ」について書かれている。
あくまでも”自分が”楽しいかどうかであって、
無駄なことであろうと周りがどう思おうと楽しければ良い
というスタンスの話だと僕は理解している。
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この本の中で、
自分探しのために海外旅行など見知らぬ地へ行く若者が多いが、
それをしなくても自分探しができるのでは、と森先生は言っている。
自分探しのために何かをすることを否定しているのではなく、
社会的なシステムや状況がそうさせるのでは無いかということだ。
過去の書籍でも一貫して森先生が言っていること(と僕が理解)だが、
自分の好きなように生きていけば(周りの意見に左右されず)、
自ずと自分というものが見えてくるのではということ。
この本では、まず「自分とは何か?」ということから始まっている。
自分と言っても結局のところ”周りから見た自分”である可能性が高い。
僕はそう感じている。
少なくとも僕はそうだった。
「僕がこうしたい」より「周りがこう思いそうだからこうしよう」。
だから、必然的に自分が何をやりたいのかた分からなくなり、
自分探しの旅に出るんだと思う。
人は家族や学校、クラブや会社など色々なコミュニティーで様々な人と会い
コミュニケーションを取ることで「他者から見た自分」を
考えるようになっていく。
自分に対しての感情や印象は他者でも人それぞれであるから、
その他者の意見などに影響される部分が多いということだろう。
だからこそ、「自分は、自分がこうする」という考えを軸に据えることが
大切だと僕は思う。
もちろん、「あの人がこう言っていたから、こうしていたから」
という理由は付けずに。
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楽しさについては、とても腑に落ちたことが書かれていた。
作られた楽しみでは本当の楽しみは得られない、ということだ。
本当の楽しさとは自分の心の奥底から湧き上がってくるワクワクだ。
人に促されて何かをしたり見たりして「楽しい」と思うこともあるだろう。
でもそれは本当の楽しみではなく、一時的な喜びや快楽的なことだと。
「創るセンス 工作の思考」に書かれていた森先生の楽しみは「創ること」。
小さな(と言っても人が座れるほどの)機関車を作り、
しかも庭に線路まで引きそれらを走らせているというのだ。
それが森先生にとっては心底楽しいことなのだ。
そういう有益か否かでは無いのだと思う。
自分が心底ワクワクして楽しければそれが1番の楽しみだと僕も思う。
楽しく無いことの中から何か楽しみを見出すことも大事だと思う。
多くの人にとって仕事へのアプローチはそうだと思うし、
僕もそうしてきた。
楽しみを見つけないで仕事をするよりは全然マシだ。
でも、やっぱりどこかで「この仕事イマイチ乗らない」と思えば、
自分の最高のパフォーマンスは発揮できないだろう。
生きていくためには仕事が必要で、
やりたく無いこともやらなくてはいけない状況の人が多いと思う。
ただそれは長期間やるのではなく単発でやるとか、
自分の興味のある仕事を掛け持ちするとかの方が健康的に思える。
少し話が脱線したが、
言いたいことは自分の楽しさに他者の評価は必要ないということだ。
だから周りがどう言おうと無駄なことであろうと、
自分が心からワクワクすることをやれば良いのだと思う。
そしてこの本にも書いてあるが、
それを発信していけば自ずと同じような楽しみを持つ人とも繋がる。
発信することに対しての見返り(リアクション)を求めすぎてはダメで、
自己満発信をし続けることが大事だと僕は考えている。
このnoteも完全にそうだ笑
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社会との関わりなど、他にもこの本には個人的に面白いと感じることが
多く書いてあったが、最後に一つだけ僕が感銘を受けた内容を紹介する。
「コンテンツを大事にする」
どういうことかというと、人とその人の発言内容は別、ということだ。
別というのは、独立しているということ。
例えば、浪費家の人が「貯金はしっかりするべき」と言ったとする。
大抵の人は「お前がそう言うなよ」「お前が言っても説得力ない」
などと言うと思う。
ただ、その浪費家の言った発言内容は(状況によっては)妥当だ。
だから発言した内容だけをきちんと受け取ると言うことだ。
人の意見=その人の人格ではない。
僕はそれがなんだか目から鱗で、
これからはそういうふうにしていけたらなぁと思っている。
これまでは、自分の意見と違うことをいう他者に対して、
その発言によって他者自身を否定することも多かった。
もちろん、意見が合わないことが多くて
性格的にも不一致な部分が多い人はいると思う。
でもその合わない人の人格を否定する必要はない。
「あぁこういう人もいるんだな」と思って離れればいいだけの話だ。
頭ではわかっていてもなかなかできることではないけれど、
意識するとしないでは違うと思うから僕は実践してみるつもりだ。
繰り返しになるが、こ
こに書いていない面白いこともたくさん書いてあるので、
興味があればぜひ読んでみてはどうかと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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