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地獄の果てまで徹底討論シリーズ②「みんな遊びって,やるべき?」編

 教育現場では,賛否が大きく分かれるものも多々あります。一つテーマに対して様々な立場から,様々な意見や考えを交流できる場があれば,より自分の考えを洗練させることができ,多様な意見に触れることで自分の考えの幅広げることにもつながっていくはずです‼️ということで,「地獄の果てまで徹底討論シリーズ第二弾」です👋賛否両論あるテーマに対して,多種多様な考えを知りたいと思っています。

第二回のテーマ「小学校でみんな遊びって,やるべき?」

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私は「小学校でみんな遊びをやるべきではない」と考えます。根拠は3つです。

 一つ目は,休憩時間は子ども自身が何をして過ごすかを「自分で決める」べきだからです。子どもたちにとって,学校生活は楽しい方が良い。ですが,思考停止で楽しく過ごせているならば,それは違うと思います。休み時間をどう過ごせばより良い学校生活を送れるのかを,自分で考え行動できる力を身に付けさせる事も,楽しく過ごす事と同じくらい大切なのではないでしょうか❓

 二つ目は,クラス内に同調圧力を生んでしまうからです。全員が強制参加のイベントは,「いやだけど,参加しないといけないのかな❓」というマインドが生まれ,拒否する事は,「空気を読まないやつ」になってしまうので,参加します。いやいや,強制ではない‼️「やりたくなかったら教室にいてもいいよ」と声をかけています。と返ってきそうですが,先生のこの声かけは,子どもたちにとっては「強制」とほぼ同じです。自分の意見より,空気を読むことを優先して行動するのは,教育の観点から考えるとずれてしまっているように感じます。

 三つ目は,子どもの主体性を鈍らせてしまうからです。一つ目と少し重複する点はありますが,私が「みんな遊びをやるべきではない」と考える根拠で,ここが最も大きいと思っています。当たり前のように,前のクラスでみんな遊びをやっていた子どもは,新学年の序盤に「みんな遊びがないから,休み時間することがなくてヒマです」と言うことがしばしば。中には,「なんでみんな遊びやってくれないの❓」なんて言う子もいます。これって,個人的にはめちゃくちゃヤバいと思っています。自分は何もしなくても,おにごっこやドッジボールができると知らず知らずのうちに,思い込んでしまっているからです。何かを得るには,必ず同等のリスクや責任が生じることを知らないと,自分にとって良くない現状に陥ったとき,環境のせいにしてしまいやすくなり,最終的に自分の成長を制限することに繋がってしまいます。

 以上,3つの根拠から,私は「小学校でみんな遊びをやるべきではない」と考えます。クラス替え後,みんな遊びを通して,友達同士で繋がるきっかけを得ることだってあります。誰にも話しかけられずにいる子は,みんな遊びに参加することで新たな友達と繋がる事ができるようにもなります。クラスみんなで遊ぶ時間はとても楽しくて重要な時間です。しかし,それは学級活動等の時間に設定することがあるべき姿だと思います。

 皆さんは,どのような考えをお持ちですか❓あなたの考え,知りたいです✨素敵なご縁に感謝します!😊ぜひコメント欄に残していってみませんか❓

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