見出し画像

「生きる意味」がようやく分かった理由

いつも日本に一時国すると、近所の私立図書館で本を借りるんですよね。
今回最初に読んだのは「ドラッカー・スクールのセルフマネジメント教室」という本で、返却日に一回返したんだけど、その日にもう一回借りて持って帰ってきたんです。

その本で一番学んだのは、「望む結果」と「望まない結果」を得るプロセスは真逆で、多くの人が望む結果を求めてるのに間違って「望まない結果」のプロセスで進んでしまっている。そしてその事実に気づかず、いつまで経っても「望む結果」が得られないって悩んでいる哀れな結果よ。

詳しくは本をご覧あれ…なんだけどさ、私はこの「望む結果」を得るプロセずのワークを実践してみて、バシーっと心に刺さった事実がある。それは「私が生きる意味」。生きがい Purpose of livingとでも言いましょうかね。

「人生とは?」「生きる意味とは?」系の問いって、人類が滅亡するまで永遠のテーマなんだと思う。自分の意思で生まれてきたわけじゃないのに、自分の思うように生きろ!なんて言われましても…って露頭に迷う人もいるもんね。

私もね、バンコクに来てそれまで当たり前のように得ていたものを失って、コロナで更に苦しい状況になって。これまで必死に両手で抱えてきたモノをポロポロ落として裸になっていく度に「私はどう生きたいんだろう?」って自問しては転んで、また起き上がっては転んでを繰り返してきて。

3歩進んでは2歩下がるみたいな不器用な事を何年も繰り返してきたけど、でも1歩でも進めばそれは前進だってめげずにここまで来た。おかげさまで心はボロボロで、もう見せられたもんじゃないけど。w

で、このセルフマネージメントに書かれていたワークをやって、私にとっての人生の意味というのは「まわりの大切な人との思い出作りの旅」であるということを再確認しました。

人間はいつか死ぬ。早かれ遅かれ、行き着く先は死。みんな、毎日死にむかっているんですよね

形あるものはいつか崩れるし(自分も含め)、大きな家もゴージャスな車もあの世に持ってけない。そんなもん置いて死んでったら、下手したら家族の取り合いの喧嘩の原因にだってなるかもしれない。そんなお荷物は残して死にたくない。

それよりも、私のまわりにいてくれる大切な家族や友達に、生きてる間に「私を好きでいてくれてありがとう」って気持ちを返したり、同じ時を過ごして笑い合ったり、未来について熱く語っては励ましあったり、一緒に思い出を作って、私が死んでも彼らの中に生きていたいな、子供達には感謝の気持ちや優しさを循環していきたいなって、思うんです。

そのためには予算がいるじゃないですか。一緒に旅するために飛行機、ホテル、現地の食事代、観光代。帰ったら地元の友達に彼女たちが好きそうなお土産を値段気にせず買ったり、土産話と共にランチしたり。

両親をビジネスクラスでバンコクにご招待したり、子供にもっと世界を見せてあげたり、夫のお金のかかる趣味を応援したり、私は私でもっと日本とタイを行き来したい。元上司の働くホテルに、ゲストとして宿泊して貢献できたら嬉しい。海外に住む皆さんと辛さや苦しみを共有して、ちょっとでも笑ってる時間を増やしたい。なんなら休みの日に彼女たちを訪ねて世界中どこでも会いに行きたい。

その予算を確保するために働いてるわけだけど、そもそもその予算組みが生活の中心になっちゃって思い出作る時間が確保できないんじゃ意味ないしさ、一緒に働いてる人がなんか合わなくて、神経すり減らしながら働くって、そもそもその人は私が共に思い出作りしたい人なんだっけ?って思うし、いくら時間があっても自由に動けない健康な体がないんじゃダメだし、時間とお金と健康があっても、大切な人が近くにいてくれなかったら元も子もないし…

人生は常に選択の連続だけど、何を選択するにしてもこの「生きる意味」を揺るぎない自分軸としていたら、自分にブレずに選択ができて、自分が本当に望む人生を歩んでいける気がする。現に、今月自分軸を忘れずに決断できたことがあって、自分でもGood Job!って密かに思っている。

何を選択するにも「それは私の思い出作りに必要なもの?」を軸に、これからはブレないぞ!ブレてやるもんか!もうすぐ四十だしブレてる暇ないんですけど!って、密かにメラメラ闘志を燃やしているのです(自分に)。

あなたの生きる意味は、なんですか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?