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【読書感想文】「纏足の歴史」を読んで感じた、社会の枠組みの事


こんにちは、着物コーディネーターさとです。

中国のSNS、微博を始めて、
漢民族の民族衣装である「漢服」や、
満州民族の民族衣装と洋服テイストを組み合わせた服「旗袍(チャイナドレス)」などを愛好する女の子達と出会いました。
中国にも着物愛好者がいる事も知り、最近ではもうすっかり微博を更新するのは日課です。笑

私は前々から「民族衣装とは何か」「民族とは何か」という疑問を持っていました。
これは主に、海外出身の、着物を愛好する友人達との出会いをきっかけに感じ、考えた事です。
noteでも何回か、「社会から見た着物」というテーマについて記事を書きました。
新しい出会いは私にとっての学びの機会になりました。
それと同時に、新たな疑問や課題がたくさん生まれました。
その中の一つに「履物文化」「足元への美意識の差」もありました。

以前、浅草の老舗履物店、
辻屋本店さんに取材をさせていただきました。
今思えば足元の美意識の事が気になり出したのは、絶対この影響ですね!笑


ほどなくして、中国のレトロファッション愛好家達との交流で気がついたことがありました。
それは、履物の文化・足元の美意識は、日中での共通点が少ない事です。

和服のベースは中国の宮廷衣装だと言われています。
襟合わせ、たっぷりした袖、
足を見せず、引きずるほど長い裾などの共通点があるのですが、
履物については、こういった共通点もあまりないんですよね。

というわけで、
「中国の奇習」として名高い、纏足の書籍を読んでみました。



この本では歴史的な側面から、
纏足の定着と発展についてまとめられています。
古代の史料に至るまで結構細かく分析されていました。
信用に足りるとジャッジされてない資料の分析も多々あり、
難解な内容も多かったです。

私は、中国では古代からずっと纏足が盛んだったと思い込んでいたので、
日本に纏足が流入していないのが不思議でした。
でも、清王朝で最盛期を迎えたと知って納得しました。
そのへんの背景なんかも詳しく書かれています。

着物は中国の王朝「呉」が由来しているなどとよく言います。
中国を真似て都を作ったのは奈良時代くらいです。
日本に伝来していないのも有る意味では当たり前ですよね。
つまり、足元の価値観については、日本と中国は全く別の文化がある
と言って良いと私は思います。


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見た目で明らかに分かる事でもありますが、纏足は女性の自立との関連性もありますよね。
1920年代以降の中国で流行したチャイナドレスとハイヒールのセットは
日本に置き換えるとモダンガールのような象徴的な存在だったようです。
以前書いた「チャイナドレス大全」の記事のリンクも貼っておきます。




これは日本も同じだけど、
当時、社会の枠組みは女性達が作ることはできませんでした。
ファッションは社会を反映します。
日本のモダンガールがそうだったように、チャイナドレスの女性達や纏足の女性達も、「社会の枠組み」の中で服を選ぶ事になります。
この書籍たちは明確に書いてはいませんが、「そういう事」なのだと私は解釈しました。

1人でまともに歩く事すらできず、大変な苦痛を伴う纏足という風習を、
女性達が自ら選んだのも事実かもしれません。
でも、選ばざるをえなかったのもまた事実なのだと感じました。

ちなみに、90年代くらいまではよちよち歩きの纏足のおばあちゃんが存在していたみたいですが、
地域によって差があるようですね。


こちらの女性も、よく見ると纏足していますね。
1910年代のお生まれだそうです。


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この書籍を購入した時、
中国のSNSで「東アジアの女性は纏足の事を知っておいた方が良い」というコメントを貰いました。
恐らく、若者達にも肯定的なニュアンスでは伝わっていないのでしょう。
しかし一方で、足が小さいのは美人の条件という価値観も存在しているようです。
(これは少し年配の方に多いのかもしれませんが)

「日本にはそういう価値観はないの?」と質問された事もあるので、
「足元を見る」という言葉があったり、
靴が汚い人は出世しないというジンクスがあるという話をしました。笑
靴の話はもう少し掘り下げてみたい点です。
また機会があれば書いてみようと思います。




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