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「外」に出た、それから。

教育と地域の狭間にいると、いろんな人のいろんな関わり方を知ることができます。その中には参考になるものあれば、それはどうなんだ?というものまで、多種多様です。

今回、ちょっと考えたいのは教育機関が生徒や学生を地域とつなげるために、「成績」や「単位」を持ち出すことです。もちろんそれ自体は、教育機関のシステム上、いろいろと難しい部分を乗り越えて実現した稀有な仕組みとして評価されるものだとも思います。

何事も新しい世界に出ていく時には、とてつもなく高いハードルがあります(それをいとも容易く乗り越える人もいますが)。そんな中において、モラトリアム真っ只中の彼らを、いわゆる外の世界とつなげるためのきっかけとしてはとても良いと思います。地域に出た彼らがそこで自分の知らない世界を知ることは、その先の人生にとってもとても有意義な経験になるはずです。あわよくば、そこで未知の世界の面白さに魅了されどんどん外との関わりを持てる子が出てきたら素晴らしいことですね。

しかし、気をつけなくてはならないのは、そのきっかけとして出された「単位」などが、”きっかけ”なのか、”目的”なのか、どちらとして見られているか認識する必要があるということ。

きっかけとしてならまだしも、目的になってしまっていると、何を行うにせよ、本人のモチベーションにも影響しますし、地域側の人にとってもどう映るかは自明のことですよね。意識づけをするための事前の学習の場があったりもしますが、これは本人たちの考えの部分なので、どうすることもできませんね。

こういうことを考えると、言うなれば”単位や成績で釣る”のはどうか、という議論になるわけです。


でも、その議論はすでにあちこちで何度も起こっているので、そちらに任せるとして、今日考えたいことは、この「仕組み」を運営する側についてです。

子どもたちと地域をつなぐ仕組みを作り、地域に出ていく子たちが増えてきたこと”だけ”に満足をしてしまってはいないでしょうか。

この仕組みを作った目的は、きっと先述したような想いがあるはずです。

その掲げた理想は、ただ子どもたちと地域をつなぐだけで、本当に実現できているのでしょうか。学びや気づきを促し、最大化をするような”仕組み”は作られているでしょうか。

それらを知るために、運営側は感想などを集めたりしますが、子どもたちはこのような”提出物”を書くことは昔からやってきているので、大人が求める答えを書くことはお手の物です。大事なのは、その先、その気づきなどが自分たちの内面に落ち、普段の生活にどう活きるか、活かしていこうと考えられるようになったのか、だと思います。上っ面の感想なんかじゃ、何の意味もない。ただ運営側の自己満足でしかない。

ちょっと言い過ぎましたが、本来運営側が知りたいのは、こういうことだと思います。

アクティブラーニングやPBL、ワークショップなどを運営してきて思うのはただ目の前にある事象に取り組むだけでは、深い気づきは得られにくいということです。

ただ地域に出て、任された(与えられた)タスクをこなす。これだけでも十分という意見もありますが、そこまでが目的だとしたら大した意味はありませんよね。やらされ感を少しでも持ってしまったら、それはアクティブに見せかけた、ノンアクティブラーニングです。

アクティブラーニングで大事なのは、自発性や自主性、自分に紐づく感覚、自分ごととして関わっているか。難しく言えば自己原因性感覚(=自分の行動が場や周囲に影響を与えていると感じられる感覚)があるかどうかだと感じています。これのあるなしで子どもたちにとっての経験値には果てしない差が生まれます。

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では、自分に紐づく感覚を得られるようにするためにはどうしたらいいのか。つまり「学習はどのタイミングで起こるのか」ということを意識する必要があるということです。そのためには、タスクをただの”タスク”として、言うなれば「右から左へ」流しているだけではダメです。

少し逸れますが「仕事として意識させる」のであれば、

①全体像を俯瞰して
②そのタスクの前後関係を認識し
③自分が行なっていることが全体にどう影響を及ぼすのか

を理解することが大切です。

でも今回の自分に紐づく経験とするために、まず大事なのは、そもそもその活動になぜ”自分が関わるのか”を意識させることです。その活動を通して何を学びたいのか、何を得たいのか、または、どうなりたいのか、などの目的意識を持つこと。

たとえば、”おもしろそう”と思ったという意見があったとして、そのままにするのではなくて、”なぜ”おもしろそうと思ったのか、と深めることが大事だと考えます。感情面の表面だけではなく、そう感じた根拠はなんなのか、具体的にすることが大事。それはその個人のこれまでの経験値に紐づいたり、趣味嗜好に紐づいたりするはず。この言語化を通して、無意識の意識化を促すことが目の前のタスク処理を自分に紐づける一要因になるはずです。

この意識があれば、実際にタスクをこなす場面においても、「この仕事は自分自身の○○とつながっている」という感覚を持てるはず。

また、実際に活動を行なった後に振り返ることも大事です。
活動に従事している間は目の前のことにいっぱいいっぱいになっていることが多く、ゆっくり考える暇がないこともあります。少し時間を置いて体験した経験を思い起こすと、少し引いた視点で見ることができ、また違った発見をすることもできるはず。

その際に、気づきを促すため、問いを投げかける必要があります。たとえば、

①現場でどのような活動をしたのか
②そこではどんな気持ちを持った(ポジティブもネガティブも)のか
③それはなぜか
④どうすればよかったと考えるか
⑤それはなぜできなかったのか

など、問いのセレクトも大事になってきます。
さらに、それぞれの問いを”深掘りする問い”を行うことで経験がより鮮明になってきます。その輪郭がクリアになればなるほど自分に紐づく感覚もクリアになります。

また、せっかくの経験も非日常の場として捉えるだけでは意味がありません。この経験をいかに普段の生活に紐づけるかが最重要です。それができて初めて経験は個人の中で活きてきます。そのためには、上記の問いで輪郭を明確にした経験を普段の生活に紐づける問いが必要になってきます。

たとえば、

この経験で得た気づきを普段の自分の生活のどんな場面で活用できますか

といったような問いを投げかけ、ほんの少しでも、普段の生活に紐づくという意識を考えることができるとその経験は独立したものではなくて、その人の内面に紐づく経験となると思います。

外に出ることも大事ですが、その先に行くには、そこでの学びの効果を最大限に昇華するため、前後の準備も大事なのです。気づきを吸収するための思考の”土壌づくり”とも言えるでしょうね。


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