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アフター3.11

3月11日。
あれから9年経った今、感じている空気感の変化があります。
それは、社会に対する不寛容さと、他者への興味のなさ、です。

9年前のことを思い出すと、当時、僕は転職のちょうど狭間にいて、2月末に前の仕事を辞め、4月頭から始まる次の仕事の準備期間でした。何度か次の職場に行くこともありましたが、割と暇だったので、どっか旅行行こうかなーとか思ってプランを考えてたりした時期でした。

その日、びっくりするような大きい揺れが来たのを覚えています。普段から地震は多いせいか多少の地震なら「あぁ…また地震か」くらいな印象ですが、この日はちょっと違った。幸い自宅にいたのですが、時間にしても普段の地震よりも長く、揺れがおさまると外には近くに住んでいる人たちがたくさん出てきている。電線の揺れもしばらくおさまらず。地震の余韻がしばらく残っていました。

震度いくつだったんだろう、震源どこかな、とニュースを見ると「福島で震度7」という報道。びっくりしてTwitterにそのことをツイートした覚えがあります。当時はまだTwitterは流行り出した頃だったので、あまりユーザーはいなかったのかもしれませんが、僕のTLでは、僕のツイートが最初の投稿でした。それから一気に「福島で震度7」というワードがすごい勢いで拡散していきました。

その後しばらくはテレビのニュースとTwitterで得られる情報をめちゃくちゃ集めては拡散しを繰り返していました。実家に連絡してもつながらず、混乱していたのを落ち着けようとしていたのかもしれません。その過程でTwitterの情報スピードの速さの凄さも知りました。みんなそれぞれ混乱している中、持っている情報を出し合って、必要な人に届くように送り合っている、そんな印象を受けました。中にはデマがあったり(真偽の確かめようはなく拡散してしまったものもありました)、あの時は、すべての人が混乱の中にいた、そんな状況でした。

そんな中、鳴り止まないあの不安を掻き立てる緊急地震速報、千葉コンビナートで大規模火災、沿岸地域では液状化現象、東北エリア超広範囲に津波、とどめのように原発事故。こんなにも畳み掛けるように起こるものかと思いました。

情報の拡散スピードはとてつもなく速い。
Twitter上では #prayforjapan というハッシュタグが作られ、世界中の人がそのハッシュタグを付けてツイートをしてくれていました。当時TweetDeckを使っていたので、いろんな種類のツイートを同時に見ていたのですが、このハッシュタグだけはとてつもない速さでTLが流れていっていました。そのスピードは処理が追いつかず更新エラーを起こすほど。なぜだか涙が出てきたのを覚えています。

地震の影響が少し落ち着いた頃、自分1人では結局何もできないなと旅行にいった時のこと、ふらふら立ち寄った京都のお土産屋さん。世間話をしていると「どこから来たのー?」「神奈川ですー」「関東は大変みたいねー」というやりとりの中に物理的距離が遠いとどこか他人事になってしまうんだなぁと感じたこともありました。

その後しばらくして、社会が落ち着きを取り戻した頃、ちょっとした変化が起こりました。人々が様々なアクションを起こすようになったのです。地域の人ともっと関わりを持とうとか、地域活動に関わるようになったとか、規模の大きいものだとデモを行う人たちが増えました。震災が原因で、物理的にも精神的にもコミュニティが分断されていくのを目の当たりにして、多くの人の心に「何か」が刻み込まれたのだと思います。この頃から他者との対話を重視する「ワークショップ」が流行り出しもしました。この現象を「つながり2.0」とか言葉がついたりもしました。

僕は大学生と関わっているので、その視点が主になってしまうのですが、この社会的意識変革で最も大きな変化をしたのが大学生たちを含む若者世代だと思います。受け身な姿勢が多かったこの世代、震災以降、何かできることはないかと、震災ボランティアに何度も何度も出かける子もいれば、自分たちでサークルや団体を作ってそれぞれの活動を始める子たちもいました。

大きい変化は、この「やりたいことを実現する土台から作り出す」という姿勢。僕が立ち上げからずっと関わっていたN.G.I.という学生団体もこの変化に乗って作られました。とにかくこの時期の若者世代の社会に対するエネルギーは凄かったと感じます。

だけど、その勢いも2015年頃から失速してきました。外の世界に向いていたエネルギーが、個人や身内メンバーなどの「内」に向き始めたように感じます。その例として、ボランティアへの参加意欲がどんどん下がっていきました。先述のN.G.I.も募集をかければ毎度数名は応募があったり、話を聞いてみたい!という子たちがいたのですが、この時期から全くといっていいほど興味を持たれない。そして残念ながら、N.G.I.も今年度をもって活動休止となってしまいます。

2011年、大学1年生だった子たちがちょうど抜けてしまう時期が2015年頃になります。やはり熱量のあった初代が抜けてしまうと、それを次世代に引き継ぐのは難しいのでしょうか。周りの大人がどんなに働きかけようと、本人たちにその気がない限り自走はできません。

結果、今の社会に漂う空気感は3.11以前に戻りつつあるような気がします。自分の手の届く範囲のみが興味対象、規模の大きいものやよくわからないものには関わらない、知ろうともしないから意見もない。ましてやよくわからないことはしゃべってはいけないという変な遠慮もある。結果、よくわからないものは排除するという偏った考えになってしまったり。

よくわからないなら、わからないということを伝えないといけないのに。
この変な遠慮を上手く使って、あえてわからないように情報を伝えているということを理解して欲しいんだよなぁ。

震災直後、後先考えずに行動する子たちのことを快く思わない人たちもいました。でも、その結果、社会にアクションを起こそうというエネルギーを吹き込んだのはこの世代の力もあると思います。実際に社会に影響を与えられるエネルギーを持っているのは、この世代だと僕は感じています。前のnoteにも書きましたが、僕個人としては、後先考えずに、まず行動するという姿勢はとても好きです。

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学生団体N.G.I.の詳細はこちらからご覧いただけます。

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