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おじさん達のファン

あれは、高校2年生の春だったと思う。私は母の誘いを受けて、六本木に来ていた。

私の中で六本木は、おしゃれなイメージ。高層ビルが立ち並び、セレブが多そうなイメージ。どこか別の場所と混同していそうな気もするけれど。

お目当ては、演劇鑑賞。「チケットの取れない演劇ユニット」だなんて謳っているTEAM NACSが、3年に一度の本公演を六本木で上演していた。母がチケットを取ったというので、観劇が好きな私が誘われたのである。


当時の私は、彼らの名前を聞いたことがある程度だった。大泉洋というもじゃもじゃ頭の俳優がいることは知っていたけれど、他の人がどんな人なのかは知らぬまま。とりあえず演目が面白そう、という安直な理由で私は母について行った。

中学時代から魅了され続けている宝塚歌劇とは異なり、幕のないむき出しの舞台。厳かな空間でぶつかり合う演者のテクニック。盛大に笑う場面もあれば、私たちが見過ごしていそうな思考に釘を刺すような場面もある。

今までに感じたことのない感情で、私の心が満たされた。こんな舞台があるのか、と感心した記憶がある。


そこで彼らに興味を持った私は、彼らが出演したファンクラブのイベントのDVDを借りて観た。彼らをもっと知りたくて。

すると、舞台で観たのとは全くの別人がテレビの画面に映っているではないか。なんてこった。別の意味で驚きを隠せなかった。

舞台で観た限りの彼らは、変幻自在の演技をそつなくこなすクールな男性。カーテンコールで個性の片鱗が見えたものの、隙のない人たちなのだろうと思っていた。俳優だし、という偏見も含めて。


テレビの画面に映っていたのは、それまで隠し通していたものが爆発したような、個性の塊だった。

画面越しでも音が割れるくらいの大声。イベント序盤からぼやきが炸裂しているもじゃもじゃ頭。すぐに下ネタを発するいぶし銀俳優。理解に苦しむほどの個性的なキャラクターもいれば、急に5歳児になる人まで。

人間には二面性があると聞いたことがあるけれど、こんなにギャップがあるのか。たかがおじさん、されどおじさん。しかし私は、このギャップにまんまとハマってしまった。


私がただ、ギャップのある人に魅力を感じるだけかもしれないけれど。まさか世間一般で”おじさん”に分類される人たちを好きになるとは思っていなかった。むしろ、心身ともに老いが進んでいる人に対して、魅力を感じることはないとまで思っていた。

ただ、彼らの内面を知り、彼らの人間性を知る。そこから彼らの魅力を見つけ出し、彼らを好きになる。他人を好きになる上で、年齢は関係ないのだと分かった。

もともと私は年齢を気にしていないつもりだったけれど、無意識に年齢を気にしていたのかもしれない。”おじさん”だから、という先入観を持つのは本当によくないね。


そろそろ、TEAM NACSの本公演があるのではないかとワクワクしている私。まだ何も発表されていないけれど。

来年は彼らが所属する北海道の事務所で、大きなライブイベントが開催されるはず。しらんけど。

これからも私は、彼らを推す所存。彼らが長生きしてくれますように。

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