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風流かな、風流かな

今日は満月の日。そして、中秋の名月だ。

現代の私たちは、月が見えたら見る程度だろう。もしかしたら、全く見ない人もいるかもしれない。

インターネットと深く関わりながら生活している私たち。空を見上げる時間はまるっきりないのかもしれない。


昔の人は満月を見て、何を思っていたのだろうか。

私は月を見る度に、そんなことを思う。

地球が大昔から存在していたということは、月も大昔からあるというわけで。縄文時代の人も平安時代の人も明治時代の人も、みんな月を見ていたはずだ。「月」という認識があったかどうかは別として。

とりわけ、平安時代の貴族はそういう風流心を大切にしていたように思う。あくまでも、私の記憶上ではあるけれど。

高校時代の日本史や古文の授業で、平安時代の文化や文学に触れてきた。確か、藤原道長が月を見ながら詠んだ歌があったような気がする。『この世をば』という5文字で始まる和歌を。完全には覚えていないけれど、きっとそうだった。


そんなことを考えている間に、今年の夏のことを思い出した。京都へひとりで旅行した時、桂離宮へ行ったことを。

宮内庁によって管理されている、日本庭園の美しい場所。予約しなければ入ることを許されない、特別な場所だ。確か、皇族がお客様をもてなすのに使われていた場所だったはず。記憶が曖昧になってしまっているので、興味がある方は実際に見に行ってほしい。

案内してくださった宮内庁職員のお兄さんが、夜に小川へ小舟を出して月を眺めていた、という趣旨の話をしていた。昔の人はなんとロマンチックなことをしていたのだろう、と話を聞きながらぼんやり思ったことは確かに覚えている。

それくらい、月というのは人々の心を掴むなにかがあるのだと思う。

現代を生きる私だって、月が見えたら自然と月に視線を向けるから。ニュースや天気予報でもご丁寧に知らせてくれるわけだし。

月はただ佇んでいるだけなのかもしれないけれど、不思議なオーラを纏っていることは間違いない。私はそう思っている。


今夜の地元は、夕方から曇るかもしれない。天気予報でそんなことを言っていた。

しかも満月だというのだから、なんとか月が見えるといいのだけれど。

そんなことを願いながら、私は用事を済ませるため、愛用の自転車に跨って走り出した。

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