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他人と接するのが苦手な話

私は、大人数で行動するのが苦手だ。子供の頃は、友人数人に執着するように生きてきたけど。大人になってから、それさえも煩わしく感じるようになった。

苦手だと感じる理由を考えてみると、そこまで深い理由は出てこない。他人の行動に合わせるのが面倒くさい、とか。大人数で騒いでいる様子が鼻につく、とか。たいてい、自己中心的な理由ばかりだ。

それゆえ、たとえ友人であっても、自分を含め4人が限界。仲のいい人だけが集まるのであれば、5,6人いてもまあ許せるんだけど。1人でいた方が、精神的にも肉体的にも楽なのである。


そんなわけで、単独行動が日常の大部分を占める私。とはいえ、外出すると必ず人とすれ違う。それがなんともストレスになりやすい。

今年の春にメンタル不調をおこしてから、他人と接するのが怖くなった。圧迫感や不安を感じるから。目に見えないものだから、それがなんとも恐ろしい。薬を飲んで、今はなんとか落ち着いてきた。でも、人嫌いは相変わらずである。

家に引きこもれるものなら、ずっと引きこもっているんだけど。そうすると、今度は外に出たいという衝動に駆られる。自分でも呆れてしまうくらい、わがままな人間だ。自分自身と付き合い始めて24年と少しが経つけど、未だに自分自身をよく分かっていないのである。


調子を崩してからずっとお世話になっている、クリニックの先生がいる。その先生としか接していないから、他の先生がどうこうとは言えないけど。私のとりとめのない話をずっと聞いてくれるので、他人と接するのが苦手な私でもスッと心を開きやすい。そんな先生だ。

定期的に先生と会っていて、だんだんと分かってきたことがある。私が他人と接することを苦手としているのは、他人の行動や感情に敏感だから、ということだ。

どういうことかというと。たとえば、私が何かに怒っている人とすれ違った時。家の中で家族が怒っているのを見た時。その人が後に起こしうる行動、その人がその時に持つ感情、その人が発する機嫌、オーラ。私はその全てに反応してしまうのだ。私が怒っているのではない。あくまでも、怒っているのは他人だ。


特に、怒りの感情に私は弱いと分かった。他人が怒っていると自分も怒るわけではない。他人から受け取った怒りのエネルギーを、無意識に悲しみのエネルギーに変換する。そして、ひとり勝手に落ち込む。その繰り返し。

さらに、自分の中で湧き上がった怒りも、気づけば悲しみのエネルギーに変わっている、なんてこともしばしばある。おかげで、他人と接することが億劫になってくる、疲れてくるわけだ。

怒っている人が自分の周りにいるとどうなるか、というと。その人を怒らせたのは自分のせいだと錯覚してしまう。その人の機嫌を直そうと、ひとり奮闘してしまう。その結果、なぜか自分が疲れ果てる。なんでやねん。


そういうわけで、無駄にエネルギーを消費しない意味で私は他人と接することを苦手としている。おしゃべりは好きなのに。相変わらずのわがまま人間だ。

私が生きやすい過ごし方、人との接し方を模索する日々は、これからも続く。

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