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相手を尊重する、とは

最近、しみじみ思うことがある。

「相手を尊重する」って、かなり難しい。


「尊重」の意味を改めて知りたくなって、調べてみた。

価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。

goo辞書より

ということは、「相手を尊重する」というのは「相手の気持ちや意見を価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと」となる。

私は、この「相手を尊重する」気持ちを大切にしている。自分の意見だけを押し通しては、世の中でうまく生きていけないから。どうせ世の中で長期間生きていくなら、他人と調和しながら生きていきたいし。

ただ、本音を言うと。自分の幸せとか気分とかはともかく、相手が幸せだったらそれでいいと思っている節がある。相手の意見が本気でいいと思っていることもあれば、自分の意見が信用できなくて相手の意見に乗っかっていることもあるわけだ。


そもそも、私は自分よりも相手の顔色をうかがう性格を持つ。相手の機嫌に敏感で、相手が喜んでくれれば私も嬉しい。いい意味でも悪い意味でも、周りの意見に流されやすいのかもしれない。

ただ、自分の意見もある程度発信していかなければ、私にとって不利な世界になってしまう。生きづらさが先行してしまうのは、たまったものじゃない。


と、ここまで考えて、私はあることを思った。

「相手を尊重する気持ち」がもっといろんなところに広がれば、世界はもっと優しくなるのでは?

我ながら、かなりの暴論(?)を持ってきてしまった気がしている。でも、私の考えに嘘はない。今よりももっと優しい世界が、私の目前に広がるのではないか、と思うのだ。

ただ、相手を想うことに重きを置くがゆえに、自分が周りに流されすぎる可能性は否めない。ある物事に対して自分事に捉えすぎるか、他人事としか思えなくなるか。どちらかに終着するだろう。

そして、自分よりも相手を優先してしまうがゆえに、個性が消え失せる可能性もある。自分はこうしたい、こういう理由があってこれを選んだ、という意志が一切湧き起こらないから。

自分なりに分かりやすく言えば、「なんでもいいよ」の世界になってしまう。人々が物事に対する興味を失ってしまうような、無色のもの悲しい世界だ。


自分に素直になりたい気持ちと、相手を尊重する気持ち。これらのバランスをとるのは、かなり難しい。私が死ぬまでにバランスの黄金比は見つかるのだろうか。

わがままかもしれないけれど、自分にも相手にも優しくありたい。どちらも尊重したい。何事も、塩梅だね。

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