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After Talk 75点(基準点) 『22年目の告白ー私が殺人犯ですーの演技面とキャラクター面に関する考察』

ぼくは普段一人でコンテンツを見ながらひとりごとで違和感などがあるとツッコミを入れながら見ることが多いのですが、今回この映画を見てる途中に思ったのは、

1、最初の方で中村トオル、アナウンサーの役入ってなくない?

2、やけに藤原竜也が言うことはセンセーショナルでネット記事の表紙みたいな感じだな。

3、藤原竜也は医者のところにわざわざ挑発しに行ったの?なぜ?あと牧村さんを見た時の『牧村さんじゃないですか!!』って驚いてる感じがなんか違和感あるな。

4、映画の終盤での別荘でドキュメンタリー撮られてる時の、中村トオルなんか自己顕示欲のかたまりみたいなすました様子で喋ってる感じがする。

この映画を最後まで見た人ならわかるようにこれらはこの映画のいわゆる粗ではなく、全てに答えがついていたのだ。これはマジでびっくりした。

1、最初の方で中村トオル、アナウンサーの役入ってなくない?


1、についてだが、僕はなんかアナウンサーっぽくないなと感じた。アナウンサーというよりは刑事みたいな役作り。伊藤英明と雰囲気が似た刑事とかの世界の人なイメージがした。もっとアナウンサーだったらabemaニュースでお馴染みのテレビ朝日の平石アナみたいに深刻な事件の話をしていてもどこか"軽さ"を感じるような雰囲気がある人がイメージしやすいのに、中村トオルの雰囲気は深刻さが強すぎてテレビ番組なんだなという感じがしなかった。だが、この違和感に対しても答えはあった。あのキャラクターは、ジャーナリストという経歴をバックグラウンドにしていたということと普通のアナウンサーなら数あるうちの一つのニュースと思えることに対して、自分にとても関わっているニュースだからあの凄みが出てきてしまったのだろう。

2、やけに藤原竜也が言うことはセンセーショナルでネット記事の表紙みたいな感じだな。

2、については結末を見れば当たり前であった。センセーショナルにすることが彼の目的であったのだから。

3、藤原竜也は医者のところにわざわざ挑発しに行ったの?なぜ?あと牧村さんを見た時の『牧村さんじゃないですか!!』って驚いてる感じがなんか違和感あるな。

3、センセーショナルにすることがこの行動にも目的としてあるし、この二人はそれが安心してできる関係だったことはのちに明らかになった。

4、映画の終盤での別荘でドキュメンタリー撮られてる時の、中村トオルなんか自己顕示欲のかたまりみたいなすました様子で喋ってる感じがする。

4、彼はそもそも自己顕示欲の塊のような人間だったのだ。それは捜査の中で、上がった犯人の特徴として言葉で出ていた。ラストのシーンを予兆する振る舞いだったのだと今振り返ると本当によくできた作品だと思う。最後の箇所では中村トオルの異常な人間性として考えられそうだが、やはり彼の根幹には顕示欲というテーマが常に潜んでいる。

※WANTとNEED

WANTとNEEDというキャラクター理論がある。Wantとはキャラクターがストーリーの中で表面的に、観客にわかるように欲しているもの、目指しているものを指す。ゆえに、wantは物語の中で移り変わり続けることができる。そして、needとはその人のwantの根幹となる欲望で移り変わることはない。そして、それはみんなにとって身近な欲望を指す。

この映画の中での中村トオルのwantの移り変わりは、まず身近な人を目の前で殺されたことで、その悲しみを他の人にも味わって欲しいと思う。そして5人連続殺人をして逃げる。そしてキャスターになるも事件の犯人であることがばれて本を書こうとする。この一連の狂ってる男の行動にはみんなにとって身近な欲求である自己顕示欲が常に関わってきているのだ。彼には自己顕示欲があるから他の人にも自分の気持ちがわかって欲しいと思うようになり、他人を巻き込み殺戮をした。彼には自己顕示欲があるからそれがニュースになった時に自分がみんなの前で報道したいと思い、キャスターになった。彼には自己顕示欲があるから自分以外の人が自分の犯した美しい犯罪を横取りするのが許せなかった。彼には自己顕示欲があるから獄中も手記を書きそれを発売することで社会に影響を与え続けたかった。

最後に

こうした視点で見ていくと、この映画は時効の悲惨さではなく、報道という舞台を使ったセンセーショナルなことをする人とそれに影響される人たちの動きを主として描いた作品だと思う。その証拠にこの映画はカメラの存在が大事な場面で何度も出てくる。是非もう一度確認してみるといい。

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