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失恋から始めるわたしのはじめかた㊶~第四章~女優になる(終)

ここまでの話
🌸第一章(①~⑬)社会人から大学院生になるまで(スタートライン)
2016年。26歳、自己肯定感が低く恋愛依存の私はW失恋してボロボロになり、自分の心の穴を発見し、心理学に出会う。もっと勉強し臨床心理士になりたいという目標を持ち、仕事をしつつ大学院受験に挑戦。そして、6年間務めた検査技師の仕事を退職して、東京の大学院へ入学する。

🌸第二章(⑭~㉒)大学院時代(気づき)
2018年。28歳、大学院の相談室で二週間に一度カウンセリングに通い自分と向き合った。父方の祖母の死を経験し、好きなものに好きと言える自分になろうと決意。そして、幼い頃から夢だった事に挑戦することが自分の人生を生きなおすことではないかと考え女優を志す。そして、芸能事務所に入った、が、時代はコロナ真っただ中。

🌸第三章(㉓~㊲)大学院卒業後(成長)
2020年。30歳、仕事は非常勤、女優活動も恋愛もうまくいかない。母方の祖母の葬式では、親は自分を守ってくれないことに気が付く。ついに心が限界に達し、精神科へ通い始めた、2021年10月。しかし、それは悪いことだらけではなく、私が私らしく生きるための成長過程であった。

🌸第四章(㊳~)精神科卒業後(女優になる)
2022年。33歳、一年間の精神科通院を経て、心の中の自由を楽しむ心を取り戻したわたしは、再びお芝居と向き合いだす。そして芝居が上手くなるために、まだやるべき自分の心の整理があると気が付きだした。そして、両親に話したいことがある、と伝え、ついに積年の思いを話しだす時が来たー

↓前回の続きから

2023年2月24日。
私は両親への手紙をもって実家に帰った。

あれほど緊張して実家に帰ったこともなかったと思う。
父が車で迎えに来てくれて、母が今なんだか調子が悪いとか、今日はステーキだとか、なんてことない会話をしてくれる。だけど全然笑えない。

話しているのは確かに私の父だけど、どこか知らない人のようで、
私がほとんど話したことがない他人のように感じた。

今からわたしは、今まで向き合ってこなかった親の部分に、今まで見せてこなかったわたしの姿を見せるのだ。

家の良い長女としての私ではなく、自己否定と親子間葛藤と向き合い続けて、もがき続けた私の姿を。

そんな自分を出したら親が発狂すると思っていた。
大事な家族のバランスを壊してしまうと思っていた。
だから、隠し通したけど、

家族よりも自分を大切にしようとやっと思えた。
自分の人生を生きようと思えた。

だから、それをもうなかったことにするのはやめたのだ。

この苦しみをあるべき場所にお返しする。
わたしの心に刺さった槍を抜いてお返しする。
そしてもう刺さないでってお願いする、だけ。
わたしの為に。
娘としての私の最大のわがままだ。

もう言うって決めたんだ。
ガンバレ、わたし。
くじけそうになる自分に何度もエールを送る。

手紙があってよかった。
これがなかったら言葉が出てこなくなってしまう。
くよくよしないように、手紙の色は蛍光グリーンにした。
暗くならないように最善の注意を払って。

家につくと、父が「飯の前に話すか」といったが、私は「ご飯前はお勧めしない」と断った。しかし、父はご飯前に終わらせたいとのことだったので、私は「重い話だよ」と念を押して、両親の部屋にいった。

両親の部屋では、母がとてもきれいな海の絵を何枚もかいていた。

母の姿を見て、なんだかすごく切なくなった。
こんなキレイな絵が描ける人をわたしは今から傷つけようとしている。
そんなことしていいのか…。

すごくひどいことをしようといている気がした。
丸裸の親に、武装して槍を刺しに行く気分だった。
また心が折れそうになりかける。

でも心の声が
ガンバレ、わたし。
というので何とか奮い立たせる。

父「座りなさい」

と父が促し、父は先に正座をして話を聞く姿勢になっている。
思えば、何か真剣に話があるときはいつもしっかり正座して聞いてくれる人だった。私が手紙を取り出す。

父「ん?」
わたし「てがみ。自分で話せないから」
父「ああ、そういうことか。ほいじゃ、まずお父さんが読もうか」
わたし「いやいや、私が読むの」
父「ああ、文章にしたわけか」
わたし「そう」

母「はい、もうこんでおわり」

母は絵の作業に一区切りつくと、父の隣に正座して座った。

父「じゃあ心して聞くよ」
母「はい」
父「二人で大分覚悟したでな」
母「うん」

ふたりで何を覚悟したんだろう。
虐待の話をわたしが言うのを分かっているのだろうか。

二人がちゃんと向き合て座ってくれているのを見て、なんだかすごく今、親と子であることを感じた。

私は大きく深呼吸した。
頭がぼーっとして、全然頭が回らない。
読むだけにしてよかった。
闘争心と罪悪感で、押しつぶされそうになる。

ガンバレ、わたし。

手が震えて、声が震えて、全身がまるで無いように感じた。
もうわからないけど、全身に色々なホルモンが出回っている感じがした。

わたし「すごい、震えちゃうけど、がんばって話します」
父「うん」

わたし「お父さんお母さんへ・・・(手紙の内容は㊵で。)」

読み始めてすぐ、涙があふれてきて、怒りや悲しみや苦しさや希望があふれてきて、大変な状態になった。
でも、とにかく書いてある文章を読めばいい。

読む、読む、読む。最後まで読む。

相談業務で、いつも何も言えない子に、「そういう時は手紙を書いて読むといいよ」って言ってた事、本当にその通りだと思いながら読んだ。
今度からもっと確信をもってお勧めできる。

・・・・・・・・・・・

わたし「私の言いたいことは以上です。」

わたしが手紙を読み終わった後、
父は難しそうな顔をして、
母は黙ったまま下を向いていた。

言った、言ってしまった。
今までなかった事をあるものにしてしまった。
パンドラの箱を開けてしまった。
どうでる?親はどう反応する?

父「よくわかりました。まず・・・」

父の口から出た言葉は、いつもの家族の調整役としての言葉だった。
正直ショックだった。
え?聞いてた?と思った。
けど母が下を向いて黙っているということは、わたしはちゃんと言えたということなんだろう。

私は、一旦自分の部屋に帰ることになり、両親が気持ちを整理をする時間となった。

私は、ベットに倒れ掛かって、自分に対して、
とりあえずお疲れ様、と言った。
頑張った・・・。やっと言えた。

しばらくたって父が来て、再度両親の部屋に向かう。

また先ほど見た正座の姿勢になり、私も姿勢を正して二人の言葉を待った。二人はちゃんと謝ってくれた。

父「え、じゃあ、まず、俺から謝る。えーと、お前たちにしたことね、特にお前に、たたいていく回数が多かった、それは私たちの教育方針でやったことだけど、俺は、それを、ま、助けてやれることが出来んかったので、本当に申し訳なかった。」

母「・・・叩いた事実は、消えてない。私の心でもやっぱり残っていることは事実です。だから、忘れたわけじゃないです。だから、でも、き、嫌いだからってやってた訳じゃないってことだけは、やっぱり、つたえ、て、しっかり謝ります。ごめんなさい。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なのに、いったんパンドラの箱が開いてしまうと、今まで抑え込んでいたものが一気に爆発したように、怒りが急に湧いてきた。

今までの事をぶちまけるように、あの時、私はこうだったのにあなたはこうだった!と話し始めた。祖母の葬式の日の事だ。

母「ごめん、あの時は私がそうしたほうがいいと思ったで・・・。」
わたし「でもあの時、わたしは…!」
父「もうそれ以上は、お前が壊れるでやめろ!」

父に言われて、はっと我に帰り、怒るのをやめた。
今回の目的は、親に分かってもらうことだ。
不平不満をぶつける事ではない。

でも、本当はもっともっと他にも言いたいことがたくさんあった。
全部怒りが収まるまで、今まで我慢してきたこと全部言いたかった。
でも、言わずに終わった。

うーん、どっちがよかったんだろう。

今思うと本当は止められても言うべきだったのかもしれない。
なんだかわだかまりが残ってしまったから。
でも、あのままだととめどなく話し続けてしまうのかもしれない。

うーん、積年の思いを言ったはずなのに、なぜかあまりスッキリせずその時を終えた。

・・・・・・・・・・・

で、その後はというと、なんと普通に父と祖父とステーキを食べた。(笑)
(わたしはもう既に、実家の近くのホテルの部屋とってあったので家を出ていく気満々だったが、父が「それはあかん。」と言って祖父とステーキを食べるように言ってきたので。)

母は、私が来る前からおなかの調子が悪かったから、ステーキを食べずに部屋にいると言って、リビングへは降りてこなかった。
うん、母の反応の方が正常だ。。

わたしは、父と酒を飲みながら、いつも通り、哲学の話とかをする。
謎な時間だ。。

本当はステーキなんて思いもののどを通らない。
でも、親は私の話を怒らず受け入れてくれたんだ。
今日は親のしたいようにしてあげたい。
ちゃんと聞いてくれただけでとっても感謝だから。

でも、楽しそうに話す父を見て、この人はサイコパスかなんかなのか・・・と思っていた。(後で妹が言うには結構くらってたらしいので、父も頑張っていたのだろう。)

父の事なかれ主義はすごい。。

しかしまぁ、わたしは、その日、人生でとても大事なイベントを無事終えられたのだ。それだけで、もう私も100点だ。
自分一人で心の中で乾杯した。

翌日、朝ご飯を食べたら、妹家族の家へ。
目に入れてもいたくないほどかわいい姪甥と戯れ、妹に一連の報告をした。

わたし「わたし、親に虐待のこと話したよ。」
妹「え?え?ええ?どどどどどういうこと?!」
わたし「親に話したいことあります、ってLINEして、手紙書いて読んだ。」
妹「・・・・・・・えっ!!!マジで??」
わたし「うん。読む?」
妹「読ませて!!」

手紙を書くことは、最愛の妹にも言わなかった。
言ったら、決意がぶれると思ったし、妹を不穏にさせたくなかったからだ。
だから、全部を終えてから、妹に話した。

妹はじっくり手紙を読み終わると、
妹「がんばったねーーーーさっちゃん!!!!(;_;)」
と抱きしめてくれた。

姪甥の前で色々話したくはなかったので、二人が寝てから話そうね。と妹と話して、夜、妹と親の事、家の事、自分の事を話した。
親の反応がそれはないとか、でも頑張ったよねとか、とにかくお姉ちゃんがすごいとか、お姉ちゃんがすごい頑張ってえらい!とかたくさん褒めてくれた。(笑)

妹「お姉ちゃんの第二章の始まりだね!」


この言葉を聞いたとき、「失恋から始めるわたしのはじめかた」のラストは、ここだな。と思った。

(終わり)

≪ 次回はその後の女優活動や、その後の私の心の変化など書きます! ≫


🌸こぼれ話🌸(こっからがかなり長いよ!笑)

失恋から始めるわたしのはじめかたをここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。

とりあえず、一応のラストとしてはここまでにしようと思うのですが、この後の事などもう少し話したいこがあるので、「失恋から始めるわたしのはじめかた」は次回をラストにしようと思います。

あとがき編です。^^

このブログは、とにかく私の心の整理の為に書き始めたようなもので、誰も読んでくれなくてもいいやと思い書き始めましたが、意外と読んでくださった方から感想をいただいたり、読んだ方の人生を思ってくださったりして、ご感想やDMにとても勇気づけられました。

よくそこまで書くね。とよく言われており、書きすぎて人に迷惑を掛けたりもして、本当にいろいろと気をつけなきゃいけないな…と反省したところもたくさんあります。

虐待や自分を大切にできない人に届けられたらいいなと思って、途中から書いていた思いもあり、少しでも誰かの心に届けられたらいいなと今は感じています。

私自身、このブログと向き合った一年半で、親に対する思いや自分に対する思いが日々変わっていたので、最初の方と今とで違ったことを書いているかもしれません。

今日書いたものも、今はちゃんと聞いてくれた親への感謝が強いため、今の気持ちが結構反映されて、攻撃性が大分削がれているようにも感じます。(笑)

でも、今の私はこうしか書けない。

本当はその当時に書ければよかったのかもしれないけれど、わたしは心の整理に時間がかかるので、、、とりあえずここまで書ききれて今は安心しています。

わたしが手紙を書いてしたかったことは、親と自分とまっすぐに向き合いたい、という事だったように感じます。

ぐちゃぐちゃに絡まった大切な大切なネックレスをまっすぐに戻したかったって感じです。

虐待を受けてきた人って、親が大嫌いになる人と、それでも親が大好きな人がいると思うんですが、私はどちらかというと後者の方で、結局は私の中の幼い自分の「おとーちゃんだいすき、おかーちゃんだいすき」を取り戻してあげたかったように感じます。

「謝ってください。」と言えたことは、最大の親への甘えだと思う。

で、言った結果は「おと-ちゃんだいすき、おかーちゃんだいすき」が戻ってくるとかではなくて、「どっちでもいいんじゃない?」って感じで落ち着いています。

親にも親の当時の事情があるのは分かっているし、(もちろん祖父の世代だって)、私が幼かった平成初期の頃は、まだそういうしつけで暴力があるのはあるあるの時代だったし、特に私の地元の愛知県では管理教育という文化があって、それが教育上認められていたのもあって、しょうがなかったんだと思います。

でも、私が傷つき続けたのは本当の事であって、それを大人になっても抱え続けていたのは疑いようのない事実なので、同じような思いをしている人たちが、今更どうにもできないだろうと思わず、ちょっとでも今からでもあの当時の気持ちを話してもいいんだ、と思ってくれたら嬉しいなって思っています。

わたしの場合、幼いころ親が怖かったとはいえ、今はほとんどの時間優しくなっているし、それが勿論言いにくい原因だったのもあるけれど、謝ってもらえるだけの親の体力があったのは、本当にありがたいことだったと思っています。

親に本当の気持ちを話そうとしても、もう亡くなっていたり、物理的に会えない状況だと言えないから。。大人になって、ようやくあの頃はおかしかったと怒りが湧いても、ぶつける相手がいないとその怒りがまた充満してしまって自分を苦しめるかもしれない。そういう時は、誰かに頼ったり、専門家に頼ってほしいなって思います。

さて、今の親との関係はどうかというと、なんかちょっと恐れられている感じがあります(笑)
今までは、かねこは何を言っても我慢できるものとして扱われていたのだけれど、わたしが悩んだり怒ったりするのを知ってからは、ちょっと腫物を触るような感じになりました。
わかんないですもんね、わたしのこと(笑)

でも、いつかもっとちゃんと、人間としてのかかわりあいが出来たら面白いなって思います。親と子としてではなく。

父は哲学や宇宙が好きで話が合うし、
母は本当に多才でかわいらしい人だと思う。

親としてではなく出会っていたら、普通に出会っていたら、人間として好きになる人たちだと思うのです。

うーん、ちょっときれいに書きすぎかな(笑)
私の希望的観測です(笑)

いつか、「あの時実はこう考えてたんだよね」「お前はなんとかなるだろうと思って放ってた」「当時は私もいっぱいいっぱいで私だって苦しかった」とか、いつか腹割って話せたら、もっと仲良くなれる気がするので、機会を狙って過ごします(笑)

そして、母側からの「失恋から始めるわたしのはじめかた」が書きたい。
母はどう考えてそうなったのか、知りたいし、私の手紙でひどい目にあったのは私ではなく母だから。

でも、それはできたら、でいいから。
とりあえず、わたしはわたしの人生を豊かにする方法を考えます。

お芝居は大好きだけど、やめたくなるほど大変なこともたくさんあるし、自分の不甲斐なさで消えたくなることもたくさんあります。

でも、本当にお芝居から学べることが本当にたくさんあって、自分の身体を楽器にしていかなきゃいけないから、自分の機嫌を取るのも仕事のうちで凹んでらんないし、メンタルも大分鍛えられるスポーツです(笑)

ふと自分の為におしゃれできるようになった私に感動したりしています。

自分の人生をイージーモードにするか、ハードモードにするかも自分次第で、やっとハードモードにしていかなきゃこの業界生きてけないなと分かって、人生のモード転換ボタンを押そうとしている所です。

このブログは「わたしのはじめかた」なので、始めるところまで書くけれど、これからは、「わたしのそだてかた」になるし、いつかは「わたしのおわりかた」になるでしょう。

一度しかない人生、どう生きるのか、まだまだ考えたいし、考えたことをアウトプットする場所が欲しいのでnoteは書いていきます。

是非今度ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

『失恋から始めるわたしのはじめかた~第四章~女優になる~終』

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