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オモチャの人生

こんにちは、DDDさとこ。です。

今回は賛否両論を巻き起こしている『トイ・ストーリー4』
を観ての感想と、自分なりの見解を述べていきます。

ちなみに僕は肯定派です。

※この記事は映画のネタバレを含みます。1-3、時系列に含まれるキングダムハーツ3についての言及もあるので、それらを未視聴/未プレイの方はご注意下さい。

ネタバレ無しで見解を話す動画版もあるので良ければどうぞ(尺は10分ほど)↓↓

目次

・『トイ・ストーリー』というタイトル
・ウッディの成長
・4が賛否ある理由
・ボニーは幼い子供
・キングダムハーツ3
・親離れ/子離れ
・無限の彼方へ
・最後に

『トイ・ストーリー』というタイトル

僕は『4』を観るまでずっと、このタイトルは
『オモチャの物語』というニュアンスなのだと思ってきました。
しかし蓋を開けてみれば(もしかしたら最新作に至る年月がそうさせたのかも知れませんが)オモチャ『の』物語でした。
僕たちのオモチャが、
知らない所で冒険したりしているかも知れない!少なくとも1.2はそういうストーリーであったし、子供心をワクワクさせるものでした。
でも3から4にかけては『オモチャ自身の選択』が非常に重要視されるようになった。視聴者の置き換える存在が『アンディ』から『ウッディ』へと移り変わり、それに伴って彼の内側へと作品の視点も変化していったのです。
その結果、僕たちから見た『オモチャの物語』から、彼らの考えや意思に重きを置く…『オモチャ自身の物語』へと昇華されました。

ウッディの『成長』

1から3にかけて、ウッディは精神的に大きく成長しました。
先ず1の『すべてがストレンジ』が流れるシーン。
バズの登場によって自分の積み上げた『リーダーの座』
や『アンディのお気に入り』というポジションが一瞬にして奪われ、彼は『歩くジェラシー』へと変貌します。

物語終盤にはそういうものを振り払い、バズと手を取り合ってアンディの元へと帰還しますが、上記のシーンこそ1でのウッディを象徴するシーンだと言えるでしょう。
そして2ではその一面が少し薄まり、優しさが前面に出ていました。
常にアンディを第一に考える彼が、ジェシーの境遇を聞いて(『ホエン・シー・ラヴド・ミー』のシーン)彼女たちと共に行こうと決断する。
結果的にアンディの元へと帰る選択をしますが、自分の欲よりも目の前の人(オモチャ)を助けようとする彼の優しい人柄が顕著に表れています。

一方3では、強いリーダーシップと大人な一面が目立つ。
保育園でのシーン、仲間たちの『ここに残る』という決断に対し喧嘩するでもなくウッディは受け止めます。その上で『俺はアンディの所へ帰る』という、相手の意思を尊重しつつ自分の芯は曲げない道を選ぶ。
最終的にはアンディから離れる決断をしますが、それもまた人を思ってこその大人な決断。
いつか彼が言っていた『オモチャは子供の為に』という信念を大切にしたからこそ。

アンディはもう子供ではなく、今オモチャが必要なのはボニーで、仲間たちもウッディが残る事を望んだ。だからこそ、彼は周りのオモチャたちと、アンディの未来の為にあの選択をしたんだと思います。

4が賛否ある理由

さて、ここまでウッディの成長について綴ってきましたが、4での彼はどうだったでしょう?僕から見れば『成長』でしたが、一部には快く受け取れない人も居たようです。
『3の続きなのだから、精神的に強い状態のはず』という前提を持って観てしまうと、確かに多少の違和感はあるかも知れません。
と言うのも、4でのウッディは『自信』が見えない。表情もどこか疲れているし、一つ一つの選択にも確固たる意思ではなく、自分に言い聞かせている様に感じられる。
外の世界を見てきた『ボー』や、生まれたばかりだからこそ常識やルールに縛られない『フォーキー』の意見に彼は戸惑い、迷います。
しかし僕はこの『迷い』こそが、ウッディの成長だと思うのです。彼が3の完成した状態のままだったら、柔軟に受け入れる事は出来なかったかも知れない。彼/彼女らの境遇や考え方に共感し感情移入し迷える事こそウッディの良さ。アンディや仲間たちから愛された彼の『本質』は、そこにある。

ボニーは幼い子供

4が一部から叩かれる理由はウッディ関係だけではなく、ボニーの変化にもあります。
3のラストシーン、アンディは自分のおもちゃについて一つ一つ説明します。そして思い入れの強かったウッディを彼女にしっかりと託しました。

だがしかし、ボニーはウッディへの興味を失っています。残念ながら当たり前です。彼女は幼い子供なのですから。
アンディにとっては大切なものでも、彼女にとっては『オモチャの一つ』に過ぎない。お気に入りだってコロコロ変わるでしょう。それはシリーズ通してそれとなく語られてきました。ジェシーの元の持ち主やアンディの妹モリーですら、成長と共にオモチャへの興味を失っています。
この描写に関して、アンディ視点でトイストーリーを観てきた人の一部は怒りを抱くのだと思います。でも良く考えてほしい。3のあの名シーンは、あくまでもアンディとウッディの別れ。ボニーはその間に居ただけに過ぎません。ボニーに対してではなく、アレはオモチャたちにアンディが言った言葉であり、それを受け取るのもボニーではなくオモチャたちそのもの。彼らのお別れだったのです。

キングダムハーツ3

ここで少し脱線してキングダムハーツ3の話へ。
時系列としては(公式に)Toy2とToy3の間に起こった事として組み込まれたキンハ3での事件。残念ながらToy4でキンハ3への言及はありませんでしたが、冒頭のボーと別れるシーンはこの辺りの時期と予想されます。前後関係は不明ですが。
『心』をテーマにするキンハーと、
『愛』をテーマにするToy4。
映画への伏線とも取れるようなウッディのこの一言が作品間の繋がりを示唆しています。

『アンディが俺たちを心から愛してくれたからな』
キンハ3では『なぜオモチャに心が宿ったのか?』という部分を少し追求します。それに対してウッディが返答したのが上記のセリフ。
『動くオモチャ』はトイストーリーシリーズに多数登場しますが、自我を持ち何かしらの意図があって行動しているオモチャは一度は『愛された』存在。
ヴィランであるロッツォやプロスペクターだって、何かしらの『愛』に触れたからこそそれを求めて彷徨ったのだと思うのです。

親離れ、子離れ

4におけるウッディの決断は、一見今までのファンを否定している様にも感じられます。見ようによっては『持ち主と仲間を裏切る行為』に見えてしまうからです。
でも言いたい『ならウッディの幸せはどうなるの?』と
否定派も肯定派も、根本には『親心』があるのだと思います。『仲間たちと共に戻ってほしい』というのは、例えば『安定した職について堅実な暮らしを』という親として真っ当な考えに近い。
しかしそれは、親側から見た彼らの幸せ。
ウッディの心にはボーへの『愛』が芽生えた。
僕はその感情を、心の声を大切にしてほしいと思った。だから肯定派なのです。

オモチャ(ウッディ)の親離れ、
僕たち(視聴者)の子離れ果たす時なのでは無いでしょうか。

無限の彼方へ

『幻の旅』のシーンにおいて、一度は失ったアイデンティティをウッディの一言で取り戻したバズ。
彼にとってのウッディは、
ウッディにとってのアンディ並みに大切な存在だった。

4で彼らが離れるのは、
3のラストシーンへのオマージュであると共に我々とウッディとのお別れを伝えていたのだと思います。
ウッディは外の世界へ、
バズはウッディ無しでリーダーとしてオモチャ達を引っ張っていく。
どちらにとっても未知の世界。
無限の彼方へと、お互い長い旅に出た。

最後に

とても長くなってしまいましたが、トイストーリー4を観た上でのシリーズ通した感想/見解を語らせて頂きました!

僕は否定派の気持ちも分かるけれど、やっぱり肯定派です。ウッディの幸せが一番嬉しい。

きっとこれからもオモチャ『の』物語は続いていくのだと思います。

彼らの未来に幸あらんことを。
そしていつか、旅を終えたウッディたちと役目をまっとうしたバズたちが、アンディと巡り会えますように。

DDDさとこ。でした!!

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