「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」行ってきた


はい。こんなにおそくなってしまいましたが、フェルメール展の感想かんそうを書きたいと思います。下見したみしといて良かったです。とても混んでいたので、前日にコンビニで当日券とうじつけんを買っておいたのですが、そのおかげであまりならばずに、入れました。

今まで「フェルメールてん」と、書いてきましたが、フェルメールの作品は一点だけでした。
タイトルを、あらためて見てみると、

フェルメールと17世紀オランダ絵画展



なるほどなるほど……

と、いうことで、中に入ると、フェルメール以外のオランダ絵画が、ずらっと並んでいました。
私が一番好きだったのは、《緑のカーテンから顔を出す女》(バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト 1652年)という作品です。その名の通り、緑のカーテンからおばさまが顔を出している絵なんですが、その描写びょうしゃみょうにリアルで、引き込まれてしまいました。

それから、おもしろかった絵は、ヤン・ステーンという人の描いた《母子像》です。お母さんが、赤ちゃんにスプーンで何か食べさせようとしているのですが、その赤ちゃんの顔がなんとも言えずブサイクで、かわいい。絶対に、ねらって描いてるだろ……という表情をしていて、どの時代でも、ユーモアのある人は、いるんだなぁ。と、思いました。

今回は、家族で見に行ったのですが、混雑こんざつしていたので、それぞれバラバラに、いてる所から見ていくスタイルでした。
たまたま父がとなりにいた時に、私をつついて、一つの絵の中に描かれた、レモンをゆびさして、こう言いました。「これ、お母さんのき方と似てないか?」それは、分厚ぶあつく皮を剥かれて、中味もちょっとけずれているレモンでした。私はあまりピンとはこなかったのですが、母の性格なら、ありえるかも。と思いました。
あとで、何も知らない母が、売店ばいてんでその絵のポストカードをっていて、ウケました。
「おとうの話、聞いてたの?」と私がくと、「いや。」と言っていました。他の絵と間違まちがって買ったらしいです。しかも、「家の剥き方と似てる」と、母も思っていたそうです。
私は同じ絵を見ても、レモンの隣にあったぶどうが、おいしそうだな〜と思ったぐらいだったので、やはし夫婦のきずなって、すごいんだな。と、思った瞬間しゅんかんでした。

さて、いよいよメイン展示のヨハネス・フェルメール作《窓辺で手紙を読む女》についてです。
今回は、2019年に大規模だいきぼ修復しゅうふくえたばかりの、絵が展示されました。
修復前しゅうふくまえには、手紙を読む女の人の背景はいけいには何もなかったのですが、そこには元々もともと、天使の画中画がちゅうが(絵の中の絵)が描かれていました。それが、フェルメールの死後しごりつぶされていたことが分かって、その上塗うわぬりを除去じょきょする修復が行われたのです。

展示室には、修復前の模写もしゃも、展示されていました。それと見比みくらべて、私が思ったことは、

あら。この背景をりつぶした人、センスあるんじゃ……?

手紙を読んでいる女の人の背景にある、大きな天使の絵。それが、あまりにもばかでかいので、主人公の女の人が目立たなくなっているのです。
そしてもう一つ、私がどうしても気になったこと。

それは、天使の絵の額縁がくぶち
ナナメっていることです。

黒い額縁なのですがたての枠は真っ直ぐなのに、下の枠は、右上に向かって、斜めに上がっているので、絵が、壁に対して斜めに取りつけられているかのように見えるのです。おおげさに言うと、下の図のような感じです。

上から見た図


けれど、絵の中の天使は真正面ましょうめんからとらえられているので、どうしても、ゆがんでいるように、見えてしまいます。

これは、たんなるミスなのか。それとも、意味があるのか。とてもとても気になりました。
あと、天使のおなかのぽてり具合ぐあい不自然ふしぜんだし、額縁のはしっこが、窓枠まどわくとかぶっているのも気になるし……ほんとにこの画中画は、フェルメールが描いたんだろうかとさえ、思ってしまいました。

同じフェルメールの作品で、『青衣せいいの女』という、この絵と構図こうずが似ている絵があります。その絵を見てみたら、手紙を読んでいる女の人の背景にかけてある地図ちずが、あきらかに斜めにかたむいているように、描かれていました。

もしやこれは、『窓辺で手紙を読む女』で、線が斜めになってしまったことに対しての、自虐じぎゃくネタでしょうか。それとも、やっぱり斜めになっていることに、意味があるのでしょうか。それは、わかりません。


このように、初め、この絵を見たときは、修復前の方がスッキリしてていいじゃない。と思っていましたが、修復後の絵をじっと見ていると、またちがった感想も出てきました。修復しゅうふくまえは手紙を読んでいる女の人の心象風景しんしょうふうけいみたいであるのに対して、修復の方は、ごちゃごちゃしていて生活せいかつかんがあり、背景の明るさともあいまって、まさに今ここに、手紙を読んでいる人がいるような現実げんじつかんがあるのです。児童文学じどうぶんがくでいうなら、ハリー・ポッターです。まるで自分も、その世界の中にいるような。
なので、これはこれで良いのかも。

展示には、修復作業の様子ようすうつした動画もありました。
綿棒めんぼうで、絵の上に塗られたニスをき取り、顕微鏡けんびきょうのぞきながら、解剖刀かいぼうとうで、少しずつ、表面をけずっていく。
これを見て、私は、あー、楽しそう。やってみたい。こんな仕事だったら、どんなに良いだろう。と、思いました。
静かな場所で、一人黙々もくもくと作業する。心の上下じょうげ運動うんどうが、あまりなさそうで、いいなぁと思ったのですが、やったらやったで、神経しんけい過敏かびんになって、小さな心の上下運動が、それこそ顕微鏡で見るみたいに拡大かくだいされるだけで、結局けっきょくは今と変わらないのかなとも思いました。


以上、私の感想でした。フェルメールのナナメの、なぞけていないので、これから色々いろいろ調しらべてみたいと思います。

とりあえず、天使の絵が、カーテンを描く前に描かれたのか、それとも後に描かれたのか、それを知りたいと思います。