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【掌編】僕たちが生きる世界は物語ではない。

去年の前半に書いた掌編です。漠然と「幸せになりたい」とぼやいていた時期が僕にはありました。僕たちが生きる世界は物語じゃないけど、物語の世界でも「幸せになりたい」と言っても幸せにはなれないのではと思ったりする次第です。けど、幸せになりたいって気持ちは結構大事な気もしています。

 スーパーマーケットに短冊が飾られていた。願いごとが書かれた短冊が笹に吊るされていて、この願いを何人が本当に叶うと思っているのだろうと疑問になった。
 もし仮に僕が短冊を書くなら「幸せになりたい」だと思った。そうすると、書かなくてはいけないような気持ちになって、僕は桃との買い物の後に店員に短冊について尋ねた。

 店員は無料で書けること、短冊の色は緑・赤・黄・白・紫から選べることを教えてくれた。短冊の色に意味があるのだろうと思ったが、店員に説明は求めなかった。

 僕は黄色の短冊に「幸せになりたい」と書いた。
 桃は「別にお願いとかないなぁ」と言ってなにも書かなかった。せっかく桃という名前なのだから赤色の短冊になにか書けばいいのにと思ったが、なにも言わなかった。

 僕の部屋に向かう道すがらに桃は「私、貯金が尽きたら別にこのままお墓に入っても良いからさ」と何十回と聞かされた話をシニカルな笑みを浮かべて呟いた。
 僕はそう言われる度にうんざりした気持ちになった。最初はなんと嫌なことを言うんだろうと思ったし、それに対し僕はなんと言えば良いのだろうと首を捻った。

 彼女の主張をよくよく聞くと、社会に出て自分の思い通りにならない環境に身をおくくらいなら、いっそのことお墓に入りたいというものだった。
 桃は僕と同い年で、一人暮らしをしていた時期もあったが、ここ五年ほどは実家で暮らしていた。今の彼女の環境は自分の思い通りになるのだろう。

 スーパーマーケットに飾られた短冊に「幸せになりたい」と僕が書いたのは、桃と一緒にいても幸せになれないという自覚があったのかも知れない。
 少なくとも、お墓に入ってしまった桃と幸せになれる未来は僕には見えない。
 もし、短冊の願いごとが本当に叶うのだとしたら、それはどういう形なのだろうか。

 桃の幸せは自分の思い通りになる世界だ。
 そこに僕の幸せはあるのだろうか?

 ●

 短冊に「幸せになりたい」と書いてから訪れた七夕の日に、上司の猪田から飲みに行かない? と誘われた。とくに予定もなかったのでオッケーした。

 僕と猪田は同じ路線に住んでいて、仕事の終わりが被るとたまに飲みにいく仲だったが、一年ほど前に猪田は結婚したので少々疎遠になっていた。
 店は僕の最寄り駅で良いと言うので、ネットで美味しいとあった串焼き屋を予約した。

 仕事を定時に終わらせ、猪田の奥さんの話を聞きながら電車に乗った。天気は朝から不安定で、夜になっても厚い雲が空を覆っていた。僕も猪田も特別、星に興味がある訳ではなかったけれど「七夕なのにな」と軽く笑い合った。

「というか、七夕って奥さんと空を見ながら団子とか食べる日なんじゃないですか?」
「この曇り空にか」
「まぁ、確かに」

 猪田はハイボールを頼み、僕は生ビールと店員に言った。料理は串焼き欄にあったマグロねぎま、もも梅しそ、豚バラ、つくねの明太チーズと言い、続いて単品のつぶ貝わさび漬け、明石焼風だし巻きも頼んだ。
 飲み物がきて猪田がグラスを上げるので、僕もジョッキを持って「乾杯」とグラスにジョッキを近づけた。
 ぶつける寸前で止め、猪田が「お疲れ」と言ってグラスを煽った。

 それから「不発弾の撤去日さ、電車が運休になるんだってな。知ってたか?」と猪田は言った。
「そうなんですか」
「らしいぞ。昼から夕方までだったかな」
「平日ですか?」
「いや、七月最後の日曜日」

 僕たちの住む市では四月の終わりに米国製の不発弾が見つかった。太平洋戦争のものだと発表された為、少なくとも七十年以上は僕たちの住む市の下に爆弾が眠っていたことになる。
 不発弾という響きは現代においては不思議な響きにも、近づきつつある日常の一部にも感じていた。

「撤去作業の時間ってめちゃくちゃ真夏日の昼間ですけど、爆弾って熱によって爆発したりしないんですかね」
「どうなんだろうなぁ。けど、今まで爆発しなかった訳だし、熱にも強いんじゃないか」
「一応、埋まってた訳ですよね? 地面の中なら温度は一定に保たれてたんじゃないですかね」
「あー、確かに不発弾が発見されたのって工事現場なんだよな。正直、見つけた人はまじでビビっただろうなぁ」
「これで爆発したら正直、洒落にならないですよね」
「そうなっても大丈夫なように電車止めたり、付近の住民を避難させたりするんだろうな」
「猪田さんは近所ではないんですよね」
「全然、違うな。けど、路線は使うからな。日曜日は家で奥さんと一緒にアニメでも見るよ」
「僕は一人で昼から酒でも飲もうかと思います」
「あれ。椎名、彼女は? せっかくの土日だし、前日から部屋で会えば良いんじゃないの?」

 ビールを飲んでから、桃の言う「このままお墓に入っても良い」について喋り、それに対する自分のもやっとした気持ちも猪田に伝えた。
 その間に、頼んでいた料理が運ばれてきて猪田は頷きながら豚バラを食べた。

 僕の話が終わると「まず、」と猪田は串を皿に置いてから言った。「自殺したいって言う奴ほど、実際には死んだりしないもんだよ」
 頷けなかった。
 数年前なら、そうかも知れないと思った。けれど、今は死にたいと言う人は言葉通りに死んでしまうんじゃないか、という恐れがあった。

 パンデミック、戦争、テロ。世界は平和な日常から離れていく。誰かが悪いなんて簡単な話でもない。そういう世界が巡ってきている。
 猪田は店員を呼んで、ハイボールのおかわりを頼んだ。僕はまだ半分ほどビールが残っていたので、大丈夫だと伝えた。

「彼女、可愛いじゃないか。椎名に甘えてるんだよ。そう言って、気を引きたいんだろ」
「そうなんですかね」
「仕事でもそうだけど、椎名は人の言葉を真っ直ぐ受け止めすぎじゃないか。言葉には裏があるよ。恋愛なんて、とくにそうだろ? 常に本音を伝えていたら関係はすぐに破綻するよ」
「そりゃあ、そうでしょうけど。彼女が言ってたのは、そういう話なんですかね?」

 ああ、なるほどね、と猪田は笑った。僕は猪田のその反応が不服だった。

「椎名は彼女の自殺するって話に傷ついたんだな。まぁ、普通に解釈するなら、彼女は椎名と一緒に生きていく気はないって言ったようなもんだし」

 残りのビールを一気に飲み干して、店員さんにおかわりを注文してから「そうなのかも知れません」と素直に認めた。

「僕は彼女と一緒に生きていきたかったから付き合いたいと思ったんです。けど、彼女は社会に出て自分の思い通りにならなくなるのが嫌だから死ぬって言っちゃうことに僕は幻滅したんです」
「それはもう話し合いしかないだろ。絶対、その子、本気じゃねよ。というか俺からすれば、そんなことが言えちゃう時点で幼稚に思えちゃうな」
「出会った頃は自分の意見をしっかりと持った大人に見えたんです」
「年を重ねることで人も世界も見え方は変わってくるもんだよ」
「とはいえ、変わらないものもありますよ」
「地面の中に眠る爆弾とかな」
「それも今回の撤去作業中に爆発するかも知れませんけど」
「爆発して欲しいか?」
「全然。ずっと不発弾としてあって欲しいです」

 ――物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはいけない。

 物語の中にある小道具の必然性とは、そういうものだと古い小説家は言っていた。
 では、太平洋戦争時の不発弾は物語内の小道具なのだろうか。もし仮に爆発したのなら、拳銃なんかよりも大きな影響があった。
 その影響は小道具の範疇なのか、と僕は考える。
 分からない。ただ、今の僕が確信を持って言えるのは不発弾はそれが使用された瞬間は爆発しなかった、ということだ。

 ●

 不発弾処理作業の当日は午前十時から警戒対象区域の住民の避難勧告があった。
 十一時頃から警戒区域と周辺道路の交通規制が開始され、その後十二時から不発弾処理がおこなわれた。十三時三十三分に警戒対象区域への立ち入り制限が解除されたと発表。
 七十年以上眠っていた爆弾は結局、その意義を果すことなく処理された。

 僕たちが生きる世界は物語ではない。当たり前のことを改めて突きつけられる。どこかで僕は物語の中を生きていたいと思っているのかも知れない。
 だとすれば、桃の言う「このままお墓に入っても良い」にも意味はある。物語に意味のない出来事は起こらない。

 市のホームページの更新が止まったことを確認してから、僕はスーパーへ買い物に行き、明日からの仕事の弁当のおかずを選んだ。レシピは鶏肉の照り焼きとなすの煮びたしにした。ついでにハイボールの缶をカゴに入れた。

 そういえば、桃は「私はお酒が強い」と豪語していた。飲めるお酒を訪ねると、チューハイのみだった。そこは流石に焼酎のソーダ割りくらいは飲めるべきでは? と思ったが、口は挟まなかった。彼女の中で自分はお酒は強いのだ。それで良いではないか。

 家に帰り着いて、グラスに氷を入れてハイボールを注いだ。お酒を飲みながら弁当作りをするのが僕は好きだった。小一時間ほどで三日分ができたので、僕はそれで良しとする。

 スマホを開くと桃からメッセージが入っていた。
 内容は前に会った時の僕の言動に対する疑問だった。簡単にまとめれば、私の方が正しいのに何故、貴方はあんなことを言ったんだ? というものだった。

 すでに僕は桃と会った時の会話を殆ど忘れてしまっていた。彼女の言う話題について喋ったことは微かに覚えている程度だった。
 けれど、何にしても桃は自分の意見が正しいと思っているのだから、僕はそれを聞くべきなのだろう。

 不発弾は爆発しなかった。僕がわざわざ爆発させる必要もない。ここは物語の世界ではないのだから。
 だから短冊に「幸せになりたい」と書いても、幸せになれる訳でもない。分かっている。

 それでも僕は来年も短冊に「幸せになりたい」と書く。
 そう決めて、僕は桃への返信メッセージを打ちはじめた。


            了


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