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『人はなぜ物を欲しがるのか』 成熟からの逃走

 『人はなぜ物を欲しがるのか』,ブルース・フッド著,白揚社発行,2023年刊行

 何かを所有したいという欲望を、著者は「悪魔」と呼ぶ。だが同時に、それが「あらゆる動物の中で人間だけが持つ、人間を人間たらしめる要素」でもあるとも述べている。
 所有、そして所有欲というものを、心理学や動物比較学や歴史など様々な観点から解きほぐす本である。例示される様々なエピソードが面白過ぎて、それをひたすら追いかけていく雑学本のように読むだけでも純粋に楽しい。
 何しろ冒頭のエピソードが、借金で足を切り落とすことになった男と、その足をひょんなことから手に入れた男が、足の所有権をめぐって裁判で争うというものである。面白い、そしてえぐい。

★★★

 豊富なエピソードに幻惑されそうになるが、著者の主張は一貫していて、
所有という概念は、完全に形而上的な存在であって、何らかの実体に基づいたものではない
人間にとって所有という概念は本性に根差す非常に強力なものだが、決して最善のものではない
ということである。
 それゆえ、著者は所有を最後に「悪魔」と位置づけ、それを祓う方法を見つけなければ人間は滅びるだろう、というかなり厳しい結論を告げるのだ。そして祓うことは困難であろうけど、決して不可能ではない、とも。

 人間にとって所有という概念が何故強力なのかといえば、そもそも「自己」という概念そのものが、「自分が排他的にコントロールできるもの」という概念と結びついているからだ。つまり所有するものは自己そのものと結びつけられがちであり、所有物への攻撃は自己への攻撃に感じられるのである。
 そして、自己を拡張したい、社会的比較の中で自分を優位に立たせたいという欲求(あるいは優位でなければならないという強迫)が、「持ってないものを求める」という終わりのないロングウォークに人を追いやっていく。
 いわゆる「コト消費」でも「自分は人と違うということを必死に示す活動」の射程に入ってしまっている限り、同じ活動であるとも指摘している。そう、所有は実体に基づかない概念なのだから、物質ではない存在に対してもその効力が及んでいくのだ。

★★★

 とはいえ、この本は「所有という悪魔」の存在は指摘するが、それを祓う方法までは教えてはくれないし、「この悪魔を祓うことは簡単ではない」とまで釘を刺している。
 所有という概念が悪魔的だからと言っても、この概念自体を消失させることは不可能だろう。できたとしても、それがいいことなのかはわからない。
 たとえば、世界には「所有権は、その人が今触れているものだけにある」という所有概念で構築された文化圏もある(少なくとも過去にあった)。そういう人たちと旅行したことのある人の話を聞いたことがあるが、日本から持ち込んだものは、手と目を離した瞬間に次々と盗まれ、あっという間に全部なくなったそうだ(といっても彼らの概念では別に盗んでいる訳ではない、野の花を採集するのと同じである)。そういう話を聞くと、さすがにちょっとそこで生きていくのは厳し過ぎるな……と感じる。
 そして同時に、彼らは彼らで、やっぱり「目新しいモノを手に入れたい」という所有欲には抗えなかったんだな、とも思う。

 だから所有という概念はそれとしてある程度大切にしつつ、一方で「ほどほどに、足るを知り、今あるものを感謝して味わうことを大切にする」ということを思い出すこと……が、悪魔を祓う唯一の道なのだろう。
 だがこれは、なかなか見栄えの良くないお説教臭く見えてしまう道であるのは否めない。というか、それを「見栄えよく」しようとすると、社会的比較の泥沼に落ち込んで、所有レースに巻き込まれてしまう。

 だからこそ、「所有という概念に、実体は何もない」という言葉に横面を張り飛ばされるのは結構不快で辛い体験だけれど、その痛みを味わうことも重要なのだろう。

★★★

 基本的に、人間は生まれながらに「自分は望むもの全てを手に入れる能力と権利がある」という根拠のない全能感を持っていて、それがあるからこそ生きていけるし様々な可能性にチャレンジできる。
 そして人生のどこかで、その探求に見切りをつけて、見つけたものを確定し、愛おしむ方が大切に思えるようになる、あるいは否応なくそうせざるを得なくなる時がやってくる。
 たぶん、可能性にチャレンジする方が大切に思えることが「若さ」であり、探求よりも見つけたものを愛おしむ方が大切に思えることが「成熟」なのだろう。
(もちろん心はすべてグラデーションだから、どんな子どもにもぞっとするほど老成した視点が隠れているし、どんな老人にも新奇性に目を輝かせる貪欲さは残っているけれど)
 所有欲に突き動かされ、それを追い求める姿には、どこか成熟を拒否するピーターパンのような色合いがある。
 現代の大半の先進国に生きる豊かな人々が、老いを拒絶し若さを追い求めアンチエイジングの旗の下に集う現象と、「今持っていないものを持ちたい!」と所有に駆り立てられる姿には、もしかしたら共通の底流があるのかも知れない。

 著者は、これまで蓄積されたあらゆる心理学メタアナリシスが「物質主義の追求は、幸福感と負の相関にある」という結論になった事実の提示で、この本を締めくくっている。所有を追い求める気持ちは、怒りや憎悪や破壊欲と同じく、人間の本性に根差すものだが、決してどんな状況でも最適な心の状態、という訳ではないと。
 そういえば、若い頃の私は、今より欲しいモノがたくさんあって、楽しくはあったが正直幸せではなかった。今の私は、不満も絶望も欲しいモノもあるけれど、あの頃より幸せな気がする。
 もしかしたら、私も少しずつ、所有という欲望が緩んできて、その分老いて、幸せに近づいているのかも知れない。

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