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これからの時代は「何を」学ぶかではなく、「どう」学び続けるか。正解のない時代を生き抜くための新しい学び方【後編】

これまでにないコンセプトを掲げ、次世代の学びを追求している「地域を旅する大学 さとのば大学」。前回記事から引き続き、さとのば大学発起人である信岡良亮さんへのインタビューをお届けします。
後編となる今回は、なぜ困難なことに挑戦し続けてこられたのか、信岡さんの危機意識や原動力、そして目指す未来について聞きました。

▼前編はこちら

■環境、社会、経済の均衡が崩れつつある

――「地域を旅する大学」というキャッチコピーに表れているように、さとのば大学は地域での学びを重視しています。この場合の「地域」とは、都市・都会に対する地方、いわゆる田舎や農村をイメージされているわけですが、改めてその理由を教えてください。

僕自身そうでしたが、若い人が環境問題あるいは社会課題に関心をもち始めても、環境問題って余りにも大きすぎて、どう手をつけていいかわかりません。社会課題にしても、「自分には変えようがない」と感じることが多いと思います。

けれど、例えば人口が100人の島であれば、農家さん10人の理解を得られれば、島の農業全体を変えることだってできるんです。しかも、地域の課題にはリアリティがあるため、当事者意識を強くもって関わることが可能です。具体的なプロジェクトを通じて、手触りや手応えを感じながら、自分たちが思い描く「こうなったらいいな」という未来を、実際につくることができるという点でも、地域というサイズ感が適しているんです。
 
――確かに、そのためには都市というサイズは大きすぎるかもしれません。改めて、都市と地域の関係を整理したいのですが、人口や規模の違いということでしょうか?

それだけではありません。このことについて考えるとき、環境と社会と経済の関係を示した、この図(図1)から説明させてください。

図1

この図を僕に教えてくれた友人は、「この3つの円が重なるところが、持続可能な場所だ、と一般に言われているよね」と言います。うなづく私に対して、その友人は続けてこう言うのです。「でも、実はこの図には嘘があるんだ」と。そもそも、円のサイズが違う。まず、「環境」という大きな母体があり、その中に人間がつくった「社会」があり、さらに、その中に「経済」があるはず。だから、本当はこっちの図(図2)のほうが正しいよね、と。

図2

でも、そのバランスが今、大きく崩れ始めている。行き過ぎた経済論理の結果、母体である「環境」の持続性を棄損し始めている、という話でした。

なるほど、地球という環境があり、そこに文明社会が生まれたのが数千年前、そして経済活動が急速に発達したのが100年とか200年前の話です。なのに、つい最近できあがったばかりの「経済」というシステムが肥大化した結果、「環境」という母体さえ壊し始め、慌てているのが現在の姿であり、サステナブルという言葉が生まれた要因です。

しかも、そのサステナブルという言葉さえ、今や経済的な文脈で使われることがほとんどです。僕自身、投資家の人たちに「その事業は、本当にサステナブルなんですか?」と経済的な意味ではよく聞かれますが、「環境的なサステナブルに貢献していますか?」とか、「社会的にサステナブルですか?」と聞かれたことはありません。

■人類は絶滅危惧種!?

――環境と社会と経済の関係は理解できましたが、都市と地域の関係の話と、どう結びつくのでしょうか?

そこがポイントで、図2において、「経済」と「社会」が接続するところが都市であり、「社会」と「環境」が接続するところが地域(田舎)だと、僕は捉えているんです。

そして、「経済」ばかりに重きが置かれるようになった結果、膨れ上がってきたのが今の都市の姿であり、疲弊しているのが地域の姿です。

本来、両者にこのような優劣はなかったはず。むしろ、昔は、林業や農業など環境に密接した一次産業が生産の基軸だったため、地域の方が潤っていたとも言えます。

けれど今は、そこに価値を見出さず、自然資本をメンテする機能にもお金がついていない。その結果、「儲からないから」といった理由で、都市への人口流出が止まりません。自然環境が豊富で、人を産み育てやすい地域から、自然環境と接していない、人を産み育てにくい都市にみんなで集まった結果、起こったのが人口減少です。

連携地域の一つ、石川県七尾市。里山里海の風景が美しい。

――人口減少や少子高齢化は、国の根幹にかかわる深刻な問題です。

2050年に日本の人口は、今よりも約3300万人減少し、9515万人になると予測されています。また、2022年の合計特殊出生率は1.26。このままのペースでは、数世代で人口が半減してしまいます。生物の世界でいう絶滅危惧種のような存在です。この構造を変えない限り、地方創生どころか日本再生も叶わないでしょう。

少子高齢化についてはよく、1人の高齢者を支えるのに何人の生産年齢人口が必要か、という数値が使われます。1950年時点では12.1人で1人を支えていたものが、2021年時点では2.1人で1人を、2065年の予想では1.3人で1人を支えることになるという、かなり深刻な状況です。

もっと身近な問題として考えてみましょう。例えば、住民1000人が暮らす島にパン屋が1軒あったとします。月の売上げは100万円でしたが、5年後、島の人口は800人になり、それに伴い売上げも80万に減ることは目に見えていました。それでは、店を維持することが困難なため、経営者も従業員も必死に頑張ったことで、月額85万円を達成したとします。けれど、そのとき経営者は「みんなよく頑張ってくれた。ありがとう。これまで通りのお給料を支払います」とは言えません。給料を85%に減額しなければ、店がつぶれてしまうからです。ここに、理屈ではない恨みや憎しみが発生してしまいます。人口減少という構造問題が、人と人との関係問題にまで発展してしまうのです。

人口減少の話になると、つい熱くなってしまいますが、僕の目標はあくまで、持続可能な未来をつくること。そのためのわかりやすい指標の1つが人口の正常化であり、そのためには都市集中型社会から地域分散社会への移行が必要だというのが持論です。

――そのためには、どうすればいいでしょうか。

まずは、経済という軸だけで、「稼げている都市」と、「稼げてない田舎」という見方をやめること。それって、家事や子育てをしているお母さんの前で、「稼いでいるのは俺だぞ」とふんぞり返っている亭主関白のようなもので、時代錯誤も甚だしい。

あくまでメタファーですけど、稼ぎが得意なお父さん機能としての都市と、育むのが得意なお母さん機能としての田舎が、未来に向けた子育てを共同で行わなくてはいけません。都市と田舎は、遠く離れたものではなく、補完し合う関係です。互いの役割を、分担ではなく共創的に担うことが何より必要です。

連携地域の一つ、西粟倉村には豊富な森林資源がある。

■持続可能な社会への一歩は、それぞれが「未来関係者」としての意識を持つこと

――でも、都市にいると、そのことに気付きづらいですよね。

都市と田舎は一体なんだということに気づいてもらうために、私はよく次の言葉を引用しています。ナチスドイツに捕まったニーメラーという牧師が語ったと言われる言葉です。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。
社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。
労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

何が言いたいかというと、危機は、周辺から徐々に近づいてくるということ。また、自分のところに来てから動こうとしても遅いということ。いざ、自分が当事者となった時には、助けてくれる人はもういません。人の苦しみを、自分に重ねて考えられるようにならないと、いつか手遅れになるんです。

けれど、往々にして、困っている当事者と、その問題を解決できる能力を有している人間は違うことが多いもの。このパラドックスをどう解くかが難しいんですが。

――多分、想像力なんでしょうね。

そうかもしれませんが、全てのことに想像力を働かすのには限界があります。当事者とは言わないまでも、「準当事者」あるいは「未来関係者」のような感覚をもてるかどうかだと思います。当事者と、そうではない人を分断するのではなく、その間にグラディエーションがあるのだという感覚をもってほしい。

都市と田舎の関係もそう。「地域活性」といった言葉に無自覚的に表れているように、まるで都市が活性化していて、地域は活性化していないという上下関係ではなく、上から目線でもなく、どこかで、きちんとつながっていることを意識することです。

「大赤字の地方は切り捨てたらいいんだ」という意見も耳にします。けれど、そうやって地方を切り捨てていった先に何が残るかというと、何もない日本です。少しでも早く、周辺から手を打たないと。共産主義者が連れさられたとき、みんなが声を上げていれば、あんな悲劇は起こらなかったかもしれません。

■「学習するコミュニティ」仲間と共に未来に希望を見たい

――信岡さんの熱い想いが伝わってきました。話は尽きませんが、最後に、さとのば大学の目指す未来について教えてください。

そもそも、さとのば大学をつくろうと思ったきっかけは、打つ手もなく衰退していくばかりの社会状況の中で、前を向いて生きていくための希望が欲しかったからです。この閉塞感は、もはや一人ひとりの力では打ち破ることはできません。けれど、一人では見ることができないような未来への希望も、仲間となら見ることができると信じています。

そのための場として、さとのば大学のような、お互いに学び合う関係=「学習するコミュニティ」が日本各地で広がってほしいんです。

これまでの教育では、「何を学ぶか」が大切にされてきました。いかに早く正確に、正解に向かうが大事で、間違いが少ないことが良いこととされてきました。そのため、間違えることを恐れ、やりたいことに挑戦する第一歩さえ踏み出しにくかった。

けれど、これからは「どう学び続けるか」の時代です。そこで大切なのは、たくさんの失敗から学ぶ経験です。さとのば大学では、「間違ってもいい」ということを第一に掲げ、実際のプロジェクトを通してトライ&エラーを繰り返しながら、自分たちのやりたいことに挑戦していきます。

人口減少をはじめとする、予測のできない混沌とした世の中を、したたかに生き抜き、ある意味で楽しみながら、「こうなったらいいな」という未来を自分たちで描き、新しい価値を共に創造していく。そんな人材が増えていくことを願っています。

さとのば大学事務局スタッフ、連携地域のみなさんと

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