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小説「モモコ」第4章〜犬養の過去〜 【15話】

 ルンバ、いえ、ヒトシ君と呼んだほうがいいわね。昨日、ミンジョンがあなたをここに連れてきたのは本当に偶然だった。あのときはあなたの正体に気がつかなかったわ。本当よ。

 どこか既視感のある顔には思ったけれど、私はあまり人の顔に興味がないの。美容整形の外科医だからかもしれないわね。顔なんてどうとでも作り替えられるから、顔にアイデンディティじみた感情を持てないのよ。

 ほら、ミンジョンを見ていたらわかるでしょう? もう彼女の元の顔を私は覚えていないわ。だってね、顔で人を判断することほど愚かな話はないと思うの。

 あのあと、あなたが帰ってから、夜な夜なモモコちゃんについて調べたの。そこで、あなたが私のかつての同僚の息子だって気がついたわ。

 話を戻すわね。

 あなたという生命の誕生と引き換えに最愛の妻を亡くした犬養君は、それまで以上に狂ったように研究に没頭した。

「妻の死を無駄にはしない」

 それがその頃の彼の口癖だった。

 息子が無事に生まれたんだから無駄になんてなってない、って私は言ったんだけどね、彼は聞く耳を持たなかった。

 その頃、私がヒトシ君の面倒を見ていることが多かったんだけれど、覚えていないかしら?

 そう、覚えてないわよね。

 いいのよ、記憶をなくしているんだから仕方ないわ。

 ちょうどね、そんな時期だったの。

 猿丸アキヒコ。あの男が研究所にやって来たのは。

 犬養君も十分に狂気じみた研究意欲を示していたけれど、猿丸君はそれに匹敵するマッドな研究者だった。もともと生物学会ではちょっとした有名人で、研究成果はもちろんすごいんだけど、論文の執筆数が尋常じゃなかったのよ。

 私なら、たとえ起床している時間全てを研究に当ててもあんな数の論文が書けるとは思えないわ。それほどに研究者として優秀で、でもその分、まるでスカスカのスポンジみたいに、他の人間が当たり前に持っている何かが抜け落ちていて、だからこそ他の人間より知識を吸収し、賢くなり続けるような男だった。

 偏屈家で、ボソボソと悪態をついてばかりだったから、周りには疎ましがられていたけれど、研究に熱狂していたあの頃の犬養君とは気が合ったみたい。二人は文字通り朝から晩まで研究所にこもっていたわ。

 その頃から私は二人についていけないと感じ始めていて、色々脇道に逸れ始めたの。その頃の脇道からの地続きで、最終的には、いまみたいなヤブ医者の私に落ち着いたってわけ。

 え、何? 研究?

 二人が没頭していた研究とは何か、ってこと?

 そうね、それを話さなきゃね。

 いいえ、話したくないわけではないの。

 でも、そうね。

 本当は話したくないのかもしれない。そもそもこの研究の最初のアイデアを持ってきたのは私だったから。

『Delivery from the fruit having the character like uterus』。

 邦訳を『子宮性果実分娩法』。どちらも長いから、私たちは『ユーテラス・フルーツ・デリバリー』、略して『UFD』と呼んでいたわ。その分娩法の確立が、私たちが長年向き合い続けた研究テーマだった。

 現在、この方法で生まれた人間は世界に一人だけしかいない。

 彼女の名は、浦島モモコ。

 戸籍変更前の姓名は犬養モモコね。

 雉谷という愚かなヤブ医者が発想し、犬養という天才が亡き妻のために人生を捧げ、猿丸の偏屈した野心が完成させた遺伝子編集による分娩技術『UFD』。

 そのUFDによって生まれた、歪な運命を背負った女の子。

 それがモモコちゃんなのよ。

〜つづく〜

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