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#144 読書録 金閣寺編vol.2 今の自分にはまったく理解できない世界観の存在に気づけた話

こんにちは!けーたです。

今日は前回金閣寺の読書録を途中まで読書メモ化しましたので今回は続きをvol.2として残したいと思います。

自分にとって正直一生読むことはないのでは?と思っていた三島由紀夫作品を初めて読んだのが今回の金閣寺になります。

金閣寺読書録vol.1はこちら

ただ、まったく何を言っているのか?何度読み返しても日本語だけど理解できないという哲学書の読書とはまったく違うのですが、なんだか同じ結論にたどり着いた気がしました。

それは、今の自分ではまったく理解できない世界観の存在に気づけた。です。

この本はこの主人公の思考回路、ひいては三島由紀夫さんが紡ぐ人間の思考の奥深くを抉り出している表現が、自分の創造力ではまったく理解できないレベルで深すぎて???となってしまうのです。

きっとこれは、自分の人生経験であり、本との出会いがすくなく表現神経が鍛えれれておらずうまく受け切れ、咀嚼できていないことが原因だと思っています。ここ数年読書にはまっているので、もう少し筋トレしてから再度トライしようと思わされました。

前置きがながくなりましたが、ネタバレしない程度にもう少し読書メモを残します。


全体的な読後感(第5-7章)

まず、人の心の隙間に入り込むすべを知っている人の描写が描かれており、この点は正直なぜ、この部分が5章として差し込まれているのか?よくわからなかった。全体感が理解できていない事が起因しているのだと思うが、ここら辺の人間の心の機微がどのように効いてきているのかつながりが理解できず、この辺りだけ浮いてしまっているように感じた。

そして、ココロの動き以外にもカラダと心が動くさまが金閣寺をもとに描かれている所が私の本質的な世界観の理解がまったく進まずに何度も読み返してもわからなかった。

で、結局この金閣寺ってのは何なの?と思わされて一つ一つの文章と表現をしっかり味わいたいという心と、結局結論はなに?とはやる心が常に2つ存在しているという読書時間でした。

読書メンターとここら辺の表現などについていろいろ語って今よりも少しでもこの深い世界観の奥の方までのぞき込んでみたいと思わされました。

金閣寺にでている人たちが抱えている一種の闇の側からそのフィルターを介して覗き見て理解するということも、できもしないのでおこがましい!と突っぱねられる気がしたので、わからない世界せんがある事。ということでとどめておこうと思いました。

相変わらず、具体の文章に触れないので何が何だかわからなくなった乱文ですが、だれかの参考になれば幸いです。

気になったフレーズたち

今回も時間がないので、なんでこのフレーズが気になったかは週末にver1.1として追加したいと思います。なので気になったフレーズそのものだけを載せておきます。

私が金閣であり、金閣が私であるような状態が可能になろうとしている

またもや私は人生から隔てられた!誰よりも地獄の消息に通じた男

それにしても悪は可能であろうか?


まとめ

本当は、vol.1を書いていた時には一日での一気読みはさすがに難しいなと思い急遽前編とういうnoteのタイトルをつけていました。

上記の前編というタイトルの流れを受けると、今日は金閣寺読書後編になる予定でしたが、何度もなんども文章表現や登場人物の心の機微にふれようと思い読んでは戻りを繰り返ししてみると、読書の進みが遅くなり、今日でもまだ読了できていない状態です。

いやいや本当にこれまでに出逢ったことが無いぐらいの圧倒的な心の内側の動きを金閣寺が出てきて表現する。正直規格外すぎて理解できないのです。

なので、前編をvol.1に変更し、今日は後編ではなく、vol.2となり最終的にはvol.3で最終読書メモまとめとして投稿したいと思います。

だれかの選書の参考になれば幸いです。

ではでは


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