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父が亡くなり、半月が経ちました。

僕は家を出てからもう長いので、自分の生活が大きく変わったわけではないけれど、大きな存在がいなくなった、という喪失感が続いています。
思えば、遺伝的にも、後天的にも、自分は父の影響を強く受けているのだなぁと改めて思い知ります。

生身の肉体を伴った父という人間は亡くなりましたが、そこに宿っていた魂は、また天に還ったのだと思います。



父の死を通じて、このように現世の命には終わりがある、ということは、ありがたいことだと感じました。
歳を重ねて老化していくこともまたありがたいことだと感じました。

なぜなら、そのように命は無常だからこそ、その時その時しかできないこと、感じられないことがあると思うからです。
生身の肉体がある現世でなければ体験できないこの人生。
若く身体が元気な時にしかできないことがあれば、歳を重ねるからこそより深く見えてくる物事もある。
その時その時がありがたい一瞬なのだと思えました。



ところで、父が亡くなってから数日後に、ある夢を見ました。
僕は見た夢をよく覚えている方ですが、そんな僕にもかなり珍しい夢でした。

遠くにすごく美しい景色が広がっているのが分かるのだけど、その手前には建物なのか林なのか、何か障害物があって、全体が開けているわけではない情景が見えています。
そして、声が聞こえました。

「しっかり見通せているだろう。だから、その道を進めばいい。」

父の声とも似つかない、自分の声でもない、誰の声だったのか分からないけれど、起きた時に不思議な安心感がありました。



そして、「道」とは何だろう?と思い、その後ずっと考えていました。
思うに、道とは、人生のガイドのようなものではないかと思います。

山の中で道がなければとても不安になります。
誰かが歩いた道があるからこそ、安心して進めます。
どの道を選ぶかによって、その道中に経験することは異なってくるけれど、道はどこまでも続いています。

先人の知恵や、人や物事との出会いなど、人生の中で与えられるすべてのものが道なのではないかと思います。

僕らは色んなことを自分の意思で選び決めています。
決めてはいるけれど、俯瞰してみればもっと大いなる流れの中で生きていて、その中で決めているのだと思っています。
だから、思いもよらないことが起こったりすることもあります。
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと、色々ありますが、そのすべてが与えられた道なのだと思えば、すべてがありがたい瞬間になります。

その道は、私という身体を伴ってこの地上に降りてきた魂が、その現世で叶えたかった目的に気づかせてくれるための道なのではないかと思うようになってきました。
私たちは、色んな体験を通して、少しずつ魂が本来叶えたかった目的に近づいていくのではないでしょうか。



そうだとすれば、その目的(=生きる意味と言い換えてもいいかもしれません)と思えるものは、少しずつ変わっていくのかもしれないけれど、僕にとっての今現在の生きる意味と思えることははっきりしています。

それは、誰もが自分がただ生きているということが、それだけで素晴らしいと思える世界を作ること。
世界といっても、大げさなことではなくて、自分の身の周りを、そういう世界にしていきたいということ。
お金のあるなしや、社会的な成功や、身体的な特徴や、性別や、年齢や、話す言葉や、あらゆることを超えて、ただみんなが生きていることを肯定できる世界にしていきたい。 

なぜなら、私たちはみんなそのように祝福されて生まれてきているからです。
生まれてきたばかりの無垢で純真な赤ちゃんは、あらゆる理屈や状況を超えて、人を幸せにして、祝福される存在だからです。

僕の本分は豆腐職人なので、豆腐を作って食べてもらうというこの仕事を通じて、自分の道を叶えていきたいと思っています。

同じ年に、生まれてきた息子と、亡くなった父親に深く感謝する今年の学びでした。






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