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秋田弁を笑え。

高校生の頃、同学年の所謂イケイケグループ的な奴らに喋り方をしょっちゅう弄られて馬鹿にされた。

私の訛りが強すぎるからである。

方言話者についての話を進めたい。
平成三年生まれの私の世代は、たぶん育った環境により方言の体への染み込み具合が違う。

色濃い方言が残っている農村地帯出身であるとか、家の中に爺さん婆さんがいるか、といった複合的な要因がある。

私は秋田の中でもさらに田舎の部類に入る三種町(旧・山本町)出身で、祖父母のいる環境で育った。厳密に言えば、父方の祖母と母方の祖父母。

さらに言えば、母方は能代市になるため市町村が違い、車で20分程度の距離にも拘わらず訛りがまた違う。

定義付けを細かくするならば、私は三種町・能代市双方の影響が入っているハーフの秋田弁話者だ。無論、秋田県人以外にはその微細な違いは分からない。

最近ムジカの短歌会で知り合った10歳くらい年上の秋田市内出身の方から「まったく秋田弁を喋れない」と、羨ましがれられた。

この方のように、割合に都市化が進んでいる県庁所在地の秋田市出身者となると、確かに実感として訛りが無い人が多い。若い人は特に。

また私の訛りが強くなった最たる要因が、妹との遊びだ。

家の中にいる婆さん(私の曲によく出てくる"あの"婆さん)が、言わずもがなネイティブ方言話者でずっとその言葉を聞いて育って来た。

で、いつの頃からか悪ふざけで婆さんの喋り方を真似て妹と会話するようになり、これが言ってみれば何よりの秋田弁のトレーニングになったと今になって思っている。方言の英才教育。

そのせいで未だに妹と会話する際は標準語だとどうも違和感があり、東京で会っても秋田弁でしか喋らない程なのだ。

----------最初に話を戻すと、こんな風に育った故に訛りが同年代と比べても強かった。だから、馬鹿にされた。嘲るような彼らの顔を私は未だに覚えている。

そんな"恥ずかしい"秋田弁を流暢に喋れるおかげで、私は秋田弁ブルースをやっている。ああ良かった。馬鹿にされるほど訛りが強くて。

今、楽しい楽しい秋田弁ブルースを歌えるから。


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