文体って、一体なんのことなのか

2018年がもう直ぐ終わるけれど、この一年で最も素晴らしかった出来事は、文体とは何か、がわかったことだと思う。
ごめん、ちょっと興奮して、言いすぎた。
文体とは何か、の、片鱗がわかったことだと思う。

これから書くことは、ひょっとしたら、ライター1年目の人にとっても常識なのかもしれない。え、そんなことも知らずに20年近くライターやってたの?と言われるかもしれない。

なんだけど、わたしにとって、

文体とは何か、が、自分の細胞にちゃんと浸透するレベルで理解できた感覚は
10年テニスに明け暮れた結果、「ああ、これから打つサービスは98パーセントの確率でミスしないな」とわかる(それは、わかるものなのです)完璧なフォームを身につけた感覚に近くて、
とても感動的な出来事だったので、書き残します。

きっかけは、スコットランドのアイラ島に行った時のこと。

この時のことは、ここに詳しく書いたけれど、ざっくり言うとわたしは、村上春樹さんのエッセイをなぞるように旅をした。


旅行中に3回、短いエッセイを読み返したからわかったんだと思う。
しかもそれが、村上さんの文章が、おそらく最もキレキレだった時代の文章だったせいもあると思う。

旅の終わりのころ、

あ、この人、書きたいことを書いてるんじゃなくて、文体に合わせて書くことを決めてるんだな、

ってことに突然気づいた。

つまり、物語を進めるために文体があるのではなくて、文体に沿って書いた結果、物語が生まれるんだということ。

これは、結構衝撃だった。つまり、結論はどっちに転んでもどうでもいい、というわけだから。
文体を最優先して書くと、その先に結論があらわれるということだから。

そういった目線で見ると、ストリクトな(堅固な)文体を持っている書き手も、そうじゃない書き手もいることに気づく。
村上春樹さんはネジがキリキリ締まりきった文体の人だし、糸井重里さんはその対極にいて現存する日本人作家さんで最も確固たる文体を持っている人だと思う。昨今の書き手さんだと、ジェーン・スーさんなどはやはり、文体が物語を連れてくるタイプの作家さんではないかなと想像する。

極端なことを言うと、文体に導かれて書き進めた結果、だから自分はAが好きだ、となる場合も、だから自分はAが嫌いだになることもありえるということ。
自分の主張以上に、文体が、その人の主張を(つまり生き方を)決める。

いま「文体はその人の生き方を決める」と、さらっと書いちゃったけれど、

文体は、その人の生き方である。わたしはそう思う。
しかも、「文体がその人の人生をあらわす」のではなく、「文体がその人の思考、すなわち人生を作る」のだと思う。

私は糸井重里さんの文章が好きです。でも一方で、ほぼ日のスタッフさんたちが書く、ほぼ日的な文章が、なぜか受け付けなかった。
書かれている内容には共感できるにもかかわらず、なぜか苦手なのだ。
その理由も今ならわかる。

文体は、生き方を規定するものなのにもかかわらず、スタッフさん(の多く)が書く文章が、糸井重里さん的だからだ。
そこにある不協和音的なもの。それは、薄く薄ーく、黒板を爪で引っ掻いた音を聞いたような感覚にさせられて、落ち着かなくなる。
ほぼ日には尊敬する友人もいるし、それぞれの仕事もとても尊敬しているのだけれども、そこに掲載された文章を読むことだけが、苦しい。

不協和音、といえば。

こんな話を、久しぶりにあったエンジニアの友人にした。
私は私で、自分のクレジットで書く原稿には、かなり頑固な文体があると思う。
そして、って書くか、しかしながら、って書くか、どっちが気持ちいいかを選んで、それに続く言葉を探すんだよね、と言ったら、

「それって、メロディのある音楽に歌詞をのせる感じ?」と聞かれた。

ああ、それだ。
まさにその感覚に近い。
音が先にあって、それに言葉を乗せている。そんな感覚。

文体のことを、リズム感だという人がいる。たしかに文体は、リズムだと思う。でもそれは文体の一部分に過ぎない。

ある書き手のファンになる時、読者はその物語ではなく、文体に惹かれていることが多いと聞いたことがある。もし、それが本当ならば、読者が受け取り好きだと感じているのは、言葉ではなく、音楽なのかもしれない。

そんなことを、ライター18年目に、大発見したと思った私ですが

ひょっとしてこれ、常識でしたか?

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