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最優秀賞をもらったという自慢と、これからの書き方について

【いいお知らせ】

rockin'on.comの音楽文に投稿したエッセイが、9月の月間最優秀賞に選ばれました、ハピ〜!やっぱりエッセイで認められるのが1番嬉しい!

特になにが嬉しかったって、講評。

一見(中略)パーソナルなエッセイに読み取れるものの、実際は高い表現力や細やかな構成力を誇っているところが見事

読んだとき、飛び上がって喜んでしまった。「やっと“私だけのもの”じゃなくなってきた」と。


ほんの数ヶ月前に書いたエッセイを読んで、首を捻ることがある。言葉の並べ方は綺麗だと思うし、決して嫌いじゃないのだけど、どうしても理解できないことがある。「私、どんな意味で書いたんだっけ?」

数ヶ月後の私にとっては、数ヶ月前の自分なんてもはや他人だ。だから、時が経って私が意味を理解できなくなってしまったとはすなわち、当時読んでくれた人にも意味を届けられていなかったということになる。


昔、師匠(18の頃から師事している作家の方)から言われたことを思い出した。

「あんたの文章は、とても綺麗だよ」「ありがとうございます」
「でもね、それだけなの」「?」
「きらきらしたビーズが砂浜のようにびっしり敷き詰められているだろう。一見“うわぁ〜綺麗だな”と思うんだけども、どのビーズを拾ってどんなアクセサリーを作りますか?と聞かれた時、浮かんでこないのよ」

つまり、言葉選び・並べ方は綺麗だが、エッセイとして成立はしていないということだった。自虐と照れ隠し半分ずつで、自分のエッセイを“ひとり悦がり”と自称していた時期があったが、それはまさに真実だったのだ。

そこから抜け出したくて、他人にも読まれる文章を書けるようになりたくて、今年の4月からWeb編集者になった。
ここ最近、あの決断は正しかったのか、遠回りではないのかと思い悩んでいたが、どうやら、そう見当違いでもなかったらしい。

(ただ当時から今まで変わらず「好きです」と言ってくれている人もいるし、そういう人にはほんとうに感謝している。変化し続ける私の文章に好意を示してくれるというのは、迷ったり悩んだりした過程も全肯定してくれているようで、力になるのだ。いつも声をかけてくれる・読み続けてくれている方へ、ありがとうございます。)


特に、編集者になる前となった後の文章では、かなり違う。

たぶん、数年後にこのエッセイを読んだとしても、わかると思う。彼女とのいい関係や、あの部屋で初めてリッケンバッカーを聴いたこと、ぬるい缶チューハイも。きっと、ちゃんと思い出せる。これってとても嬉しいことだ。

ちょっと前まで、“他人の理解”に配慮して書くなんて鬱陶しいとか、ダサいとか思っていたけれど、それは違ったのかもしれない。文章というのはせっかく、その時の思いを、他人にも未来の自分にも届けられる可能性を秘めているのだから。その可能性をプライドなんかで潰すのは、あまりに盲目。もったいない。

“ひとり悦がり=現在の私のためだけ”じゃない文章を書けるように、もっと勉強して、書き続けていこう。


(きっとハマります↓)

♪リーガルリリー/リッケンバッカー

#エッセイ  #ロッキングオン #音楽 #リーガルリリー #リッケンバッカー #邦ロック #バンド  

お読みいただきありがとうございます。 物書きになるべく上京し、編集者として働きながらnoteを執筆しています。ぜひまた読みに来てください。あなたの応援が励みになります。