見出し画像

【短編SF小説】ナオミの鳩

 ついに勝利の日は来た。
 全ての人類が待ち望み、想像を絶する努力と犠牲の末に、勝ち取った勝利だった。
 何に対しての?と、問われればそれは人類自身に対する勝利としか言いようがない。その敵は、まさに人類の性である恐怖と猜疑、そして欺瞞が産んだものに他ならなかったからだ。
 核兵器。
 その、最後のひとつである弾頭が今日廃棄された。
 あまりにも永い戦いの末の、あまりにも遅い勝利ではあったが、それでも遂にその日は来たのだ。

 老人は、朝から数えて何粒目かの涙が頬を伝うのを感じ、その勝利の重さを噛み締めた。
「おじいちゃん…また泣いてるの?」
 孫娘の声に顔を拭い、無理に笑顔をつくって見せる。
「いや、もう泣き止んだよ。しょうがないおじいちゃんだな。もう大丈夫だよ、ナオミ」
 ナオミと呼ばれた少女は心配そうな表情を崩さない。
 老人は、孫娘が祖父のことを案じているだけではなく、これからの計画に支障が出ることを恐れているのだということがわかっていた。
「屋上に出るの、どうする?無理なら明日にしようか?」
「いやいや大丈夫だ。約束通り、一緒に行くよ。大人がついていかなければならないし、許可が出てるのは今日一日だけだからな」
 老人は立ち上がり、少女を伴って部屋の外へ出た。
「パムは連れて来たかい。ちゃんと飛べそうかな?」
 ナオミはようやく笑顔を取り戻し、ケースに入れた鳩を持ち上げて老人に見せた。
「うん、元気よ。きっとどこまでも飛んで行ってくれるわ」
 鳩の頭には、赤ん坊の手形のような形のマーキングがついていた。だから手のひらパーム…パムという名なのだ。
 祖父と孫娘は金属製のドアをくぐり、長い階段を昇り始めた。
「だが、本当にいいのかね?大事に育てていたパムを放してしまって…」
「もう、決めたの。核兵器がなくなったってことを、天国の人たちにも教えてあげるの。ニュースはプリントして、ちゃんと足につけたカプセルに入れたのよ」
 平和を祈って鳩を空へ放つという古風な儀式のことをナオミに話したのは、老人自身だった。そして核兵器廃絶達成の報を聞いたナオミは、その話から報せを鳩に託して放つという考えを思いつき、彼に手伝いを頼んだのだ。
 屋上へ出るための。

「おっと…」
 長い階段の半ばまで来たところで、老人は蹴つまずいて膝を打った。
 金属製の義足が嫌な音をたてる。
「大丈夫?おじいちゃん」
「あ、ああ…壊れはしなかったよ。もう歳だな。長く使っている足なのに、うまく動かせんとは…」
「もう古い足なんでしょう?新しいのに替えてもらったら?」
「おじいちゃんは歳を取りすぎとるんだ。新しい足にする手術にはもう耐えられないんだよ…」
 足だけではない。
 老人の身体はそのほとんどが人工物だった。
「かわいそう…」
 孫娘の言葉に、老人は苦笑した。
 かわいそうか…本当にかわいそうなのは、お前たち…子供たちの方かもしれないのに…
 老人は、近ごろよく感じるようになった憂鬱な感情を押し殺し、カラ元気を出して孫娘を励ました。
「さあ、もう少しで屋上だぞ!早くパムを連れて行ってやろう!」
「そうね。急ぎましょ。肩をかしてあげるから」

 やがて二人は、下で潜ったそれよりもはるかに重々しい金属製の扉を開き、外へ出た。
「着いたぞ。地上だ!」
 老人は「屋上」という言葉を忘れて、かつてそう呼んでいた世界を眺めやった。
 地下都市の屋上…すなわち、地上の光景を。
 空には灰色の雲が流れ、無人の荒野もまた灰色一色だった。
 所々から、かつて建築物だったものの亡骸ともいうべきものが顔を出している以外、そこには何もなかった。
 あるものといえば、吹き渡る風。そして、生身の人間であればものの数時間しか耐えられないであろう、致命的な放射線の見えない波だけだった。
「なんて広いんだろう…」
 ナオミははじめて見るその景色に心を奪われたように立ち尽くした。
 老人は、少女が感慨にふけるに任せて待った。今日一日とはいえ、せっかく市長に直談判して獲得した地上への外出許可を活かし切りたかった。
 こんな世界でもそこは、本来人類がいるべき場所…子供がのびのびと暮らすはずだった場所なのだ。
 やがて少女は本来の目的を思い出し、手にしたケースを地面に置いた。
「さあ、パム。お前の出番よ」
 ナオミはケースから鳩を取り出して胸に抱えた。
 確かめるように祖父の顔を振り返り、彼が力強く頷くのを見てその手を空に向かって高々と広げる。
「お行き!」
 パムは、フェザースチール製の翼を広げて大空へと飛び立った。
 与えられたコマンド通りに、太陽があるはずの雲の向こうを目指して、規則正しく翼をはためかせてゆく。
「もっと高く!もっと高く!」
 ナオミは人造鳥の後を追って走り出した。
 サーボモーターを唸らせ、センシング・ファイバー製の腕を振り、エモーション・ラバーの顔を笑みに輝かせながら…

 度重なる核戦争の末、人類が地下都市に定住して半世紀。
 老人は、生身の身体で成長した最後の世代だった。
 今では子供は人工授精の試験管から生まれ出ると、すぐに放射線から隔絶するために人工の身体〈リブスーツ〉を与えられる。リブスーツは成長の度合いに合わせて都度交換されるが、脳を保護するアンチレディオカプセルでも放射線の影響を完全に防ぐことは出来ず、脳腫瘍によって最初の交換まで生きられない子供も多かった。
 その点、ナオミは恵まれた健康状態であると言えた。
 だが、生まれながらの自分自身が脳だけという状態が健康と言えるだろうか…
 老人は、こんな世界を作り出してしまった自分の世代の責任を噛み締めると同時に、彼らをかわいそうと思う気持ちもまた欺瞞に等しいと考えた。
 とにかく彼らは生きている。
 生きている喜びを享受する彼らの権利を、なんとか守ってやらねばならない。
 核兵器の完全廃絶は、そのための一歩でもあるのだ。
 たとえ遅すぎた勝利だったとしても、この勝利は揺るがせにしてはならない。
 もう老人の目からは涙がこぼれることはなかった。補充してあった涙液が尽きたのだ。だがそれは彼の心中も同じだった。

 灰色の雲が少しだけ割れ、微かな陽光が走る少女の行手を照らしていた。


今日、8月6日。
広島原爆投下の日に、さまざまな人の言葉を読み、聞き、こんな物語を考え、2時間ほどで書き上げました。
かなりペシミスティックな話になってしまった気がしますが、感想などありましたら是非お聞かせください。

この記事が参加している募集

SF小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?