見えないものの価値

何故,現代人は偽情報に右往左往し,日本を貶めるプロパガンダを信用してしまうのでしょう?
コ口ナも,💉も,露とウも,米大統領も,デジタルIDも,“彼ら”の誘導したい方向への施策と報道ばかりで,それらに反する報道が一切されないことに疑問を抱かず,明らかに論理が破綻している話を信じてしまう。
これまでも日本人の民度の低下が懸念されていましたが,非接種者差別やマスク至上主義者で溢れる市中を見ていると想像以上に深刻ですね。

最大の要因はGHQが推進した日本の共産化政策です。
戦後80年近く経ってもGHQの亡霊に従う官僚,大陸・半島人に牛耳られたメディア,中国のプロパガンダ組織の日教組,米国傀儡の財務省,近隣諸国条項を頑なに支持する親中新韓政治家たち。その効果は絶大で,正しい歴史を教えない教育の劣化も著しい。
そして,今もなお日米安保条約日米地位協定などの不平等条約と外交問題評議会(CFR)三極委員会(TC)日米合同委員会に牛耳られ,年次計画要望書を押し付けられる米国の植民地政策と,土地・水源の買収や政治家の懐柔など中国による静かなる侵略(Silent Invasion)は継続中。

さらに,ビッグテックによる様々な仕掛けも大きな要因です。
ネットの普及で,瞬時に世界とつながり様々な情報を手に入れることができるようになったことは大きな進歩です。特に,スマホの普及は生活を一変させるほど便利になりました。誰でもいつでもどこでも,どんな情報でも容易に手に入れることができ,財布にも身分証にもなる。
しかし,便利になるほど馬鹿になっていくことは,人類の歴史を見ると明らかです。
簡単に答えが得られるようになると,短絡的に情報の表面だけを見て,深く思考もせず,その背後に隠されたものを見ようとしなくなります。
そして,難しいもの,複雑なものが敬遠され,考えなくても良いもの,分かりやすいもの,単純なものばかりが生き残り拡散されるようになり,その結果,ニュースやSNSでは価値のない情報が溢れ,本来注目すべき情報が埋もれ隠されていきます。

だからこそ,情報の文字面を追うのではなく,その背景にあるものを考えながら読み,一つの出来事を深く考えることが必要になります。
何故,起きたのか。世界や日本にどんな影響を及ぼすのか。これで誰が得するのか,儲かるのは誰か。
すると,ある瞬間,点で存在していた様々な情報がつながり,線となり面となることで全体像が見えてきて,そこにメディアが報じない真実があります。
当然,考えても分からないことも多々あります。というか分からないことの方が多いけれど,分からなくても考え続けることが重要です。
安易に手に入るものではなく,そうやって手間暇かけたものにこそ価値があるはずです。それは,目の前に形として見えるものでも,誰かが教えてくれるものでもなく,自分で感じ取るものです。

しかし,現代は,目に見えないもの,数値化できないものよりも,見えるもの(物質)の方が価値が高いと信じ込まされています。
いつの間にか物質的豊かさが幸福であると錯覚させられ,普通に働いてもまともに生活できない社会を作り出され,「金こそ正義。マネーファースト」という欧米の価値観がまかり通る。
金儲けが悪いわけではありませんが,金儲けのために本来人として大切にすべきものを失っていませんか?
金は生きていくための手段であり生きる目的ではないはずです。

古来,日本人は金銭的に裕福であることよりも誇りを大切にしてきました。貧しいことが恥ではなく,人の道に外れること,誇りを失うことを恥じる人々でした。
かつて日本を訪れた外国の知識人に「質素だけれど美しい」「貧しいけれど高貴である」と言われた日本。目に見えるものではなく見えないものを大切にしてきた,世界で最も感性の優れた民族です。

日本語という言語にそれが表れています。美しい響き,感性豊かな表現は世界的に見ても突出しています。
日本語の表面的意味合いは外国語に訳せても,その言葉の持つ背景やその言葉から自然と察せられるもの,日本人の持つ独特の感性は他の言語に訳すことはできません。五感のすべてでその瞬間を感じ取ることができる民族だからこそ,他国にはない感性から生まれた言葉があります。海外の人が日本や日本語に魅了される秘密がそこにはあります。

そんな素晴らしい言語の国に生まれているのに,何故,小学校で英語を必修化する必要があるのでしょう?(それぞれ考え方があるので,各ご家庭で英語を学ばせることを否定はしませんが,必修化することでは無いと思います)

言葉はコミュニケーションの道具でもありますが,思考のための道具として進化しました。多くの言葉の意味と使い方,そして感性を身に着けることで深い思考が可能となります。
今はスマホが通訳してくれますし,AIが普及したら英語力を求められる職業はAIに取って代わられるでしょう。
なのに,今,なぜ子供に英語?
幼少期は,しっかりと日本語と日本の成り立ちを学ぶことの方がよほど大事です。学習開始を早くしても学習方法を変えなければ英語の苦手な日本人は減りません。

と,話が脱線してしまいました。
目に見えるものだけに価値があり,見えないものに価値を見出さなくなるとどうなるのでしょう。
確実に民度が下がります。顕著に現れるのが犯罪です。
見えるものが全てなら,法律に書かれていることだけが正しいと考え,法で規制されていないこと,法に触れないことはやっても良いと考えるようになります。さらには,証拠が残らなければ,罪に問われなければ,誰も見ていなければ,何をやっても良いという風にエスカレートしていきます。
民度の高い民族は法など無くても自律できますが,民度が低い民族は法で規制されなければ社会秩序が保たれません。監視カメラの数は民度の低さに比例すると言えばイメージできるでしょうか。私の幼少期は田舎だったので,買物に行くときに鍵など掛けませんでしたし。

まさに,「学問のすゝめ」にあるとおりです。

西洋の諺ことわざに「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。

欧米中は殺戮と略奪の歴史であり,そういう文化の上に社会が成り立っているので,信用・信頼ではなく法律・契約が必要になります。
しかし,明治維新以降,日本より1000年遅れたそれらの文化を取り入れることで,言葉に表れないことを大切にする文化,言葉の奥にあるものを察する文化が衰退し,日本人全体が大きく劣化しました。特に,万葉集などの古典は,文字だけ追っても表面的意味しか分からず,察する力が無ければ,書き手・詠み手は何を表現しているのか,何故その歌が現代まで語り継がれるのかは理解できません。
これが現代日本の実態であり,"彼ら"の洗脳工作,プロパガンダの成果です。

物質的豊かさを追い求めた結果,2000年間受け継いできた日本人本来の価値観,感性,誇り,魂というものがほぼ失わてしまいました。
見えないけれど,目に見えるものなどより圧倒的に価値のあるものなのに,価値が無いと思わされて,見えないもの(空気,自然,人との繋がり)を感じる力,物事の行間を読む力,未来を想い描く力,生き抜く力,自分以外の人や生き物,自然を思いやる力を喪失させられています。

子供達が笑顔で暮らせる日本の未来のために,今を生きる我々が,日本人が本来持つ価値観を取り戻さなければなりません。
人の道に外れる行為を恥とし,先祖に恥ずかしくない生き方をせよと教えを受け,「お天道様が見ている」という観念は日本人特有のものです。現代を生きる日本人にも,そういう感性が心のどこかにまだ残っているはずです。
「今だけ,金だけ,自分だけ」という利己主義を捨て,目に見えないものの価値を再認識し,物質的豊かさではなく精神的豊かさが得られる世界を作り上げていかなければ,日本の未来は厳しいものになっていきます。

本当か嘘かわかりませんが,一説によると,約2000年続いた物質中心の時代が2020年に終焉を迎え,世界は次に来る精神中心の時代に移行中だそうです。だとすると,現在の"彼ら"の攻勢は時代の変わり目の試練なのかもしれません。
であれば,縄文以降,精神を中心とし,目に見えないものにこそ価値を認める文化を1万年以上継承してきた日本が真っ先に次の時代に移行し,試練を乗り越え,"彼ら"の侵攻を阻止できるはずです。

今,全ての日本人の覚悟が問われています。


追記-過去記事をご覧いただければ,日本が危機的状況にあることがお分かりいただけると思います。


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