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自己紹介Part3 過去を振り返りながら

読者の皆様こんにちは^^

私事ながら第二子の妊娠がついに臨月を迎えまして、お腹の張りや睡眠障害等により体調が優れない日が続き前回の投稿から少々時間が空いてしまいました。

いよいよ出産や二人目の育児が始まり忙しくなるにつれ、投稿がまちまちになっていくと思いますが隙間時間を使い期間が空きすぎ無いように少しずつ記事を書いていこうと思いますのでどうか気長に更新を待っていただけると嬉しいです。

さて、本日の投稿内容は、前回に続き過去を振り返りながらの自己紹介Part3になります。

本投稿は、Part1,2までにお話しした17歳になるまでの色々過酷な経験を経てたどり着いてしまった*鑑別所。
そこから始まる、今に繋がる最も重要な体験をした内容がメインとなるお話をさせていただきます。

一般の方ではまず足を踏み入れることはなく、名前を聞いたことがある程度だったり、中々実態を知れる機会もない世界で過ごした期間のお話になりますのでどうか新しい知識としても読んでいただけたらと思います。

それでは本文に入らせていただきたいと思います。

生い立ちから現在へ至るまでPart3
~17歳、1月終わりからその後~
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・17歳、1月終わりのことだった。
・鑑別所は一人一部屋のいわゆる独房内が主な生活を過ごす場だった。
・風呂は週に2回、脱衣から着衣まで制限時間は15分間の基本集団入浴、タオルはハンドタオル2枚、衣類は下着や肌着・靴下以外全て貸し出されたものを着用。
・一日三食、見た目や味はともかくしっかりとお腹にたまる量の食事があり、飲み物の支給もある。
・生活に不自由は特にないはずだった。
・体を動かせる運動の時間、土日祝日には「教養DVD」とし映画を見る時間、図書を借りられる日、領置金から菓子を購入できる日もあったため、限られた中ではあるがそういった多少の癒やしもあった。
・ただやはり、監視されている感は当然拭えず閉塞感や孤独感から息苦しさを感じることがあったのも事実。
・事情聴取のために警察の方と面接の時間も多かった。
・私の収容事案の中には「反社会的組織との関わり」も含まれていたため、県警本部の警部補であり、俗にいいう*マル暴刑事(暴力団員に対応する刑事)と女性警察官の二人が担当となり取り調べを受けていた。
・男性警察官は非行少年や暴力団員対応をしてきたベテランが故なのか、やけにフレンドリーに会話をする方で少々言葉遣いも荒いところがあった。
・鑑別所内では刃物は全て危険物と見なされるため眉や体毛等のムダ毛処理も許されず、かみそりなんて貸し出しも当然無かった。
・女性とはいえど、産毛の処理もできないとなるとやはり多少体毛が目立つのは仕方にないことだった。
・私は気にしていた。10代後半、見た目にも気を遣う年頃の女性では気にしない人の方が少ないと思う。
・ある日の取り調べで、開口一番、男性警察官から「おう、ひげが濃くなってきたんじゃないか?」と言われ私はかなりショックを受けた。
・今までいろんな家庭事情や個人的な話まで割と包み隠さずしてきたし、性被害の話などもしてきたから心が知れていると思ったのかはわからないが、それにしても失礼極まりないし女性に対し言っていい言葉ではない。
・ショックと同時に怒りも湧き、そのときは涙が出そうになったが堪えて曖昧な笑顔でその場を乗り切った。
・後日、また取り調べ時間が来た。
・男性警察官から今度は「肉付きがよくなったなあ。少しふっくらしたんじゃないか?」と言われ、恥ずかしさとショック、そして怒りはかなり大きくなった。
・前回の発言といいこの発言といい、あまりのデリカシーのなさに流石に私はセクハラと捉えた。
・法務教官にこの事実を訴え、次回取り調べからはその男性警察官の面会拒否をし女性警察官のみに取り調べの対応を受けるようにした。
・拉致監禁及び性被害から始まった収容のため、性被害についての事情聴取をこんな男性警察官にされるのは精神が保たなかった。
・男性警察官から不遇な対応を受けたと言うことでしっかり書面に事実を書き残し署への提出もした。
・その後女性警察官のみからの取り調べを受ける際、男性警察官からのセクハラについても話を聞かれ話したが、「悪気はなかったと思う」「フランクに話してくれようとしただけであり、気遣いの一種だったのではないか」などと言われ私の気持ちはあまり理解してもらえなかった。
・そんなこんなでメンタルがかなりやられていた私は貸し出されている筆記用具を使い自傷行為をしてしまった。
・*遵守事項違反にあたり、*保護室へと部屋を移されることになった。
・保護室は自室の天井に監視カメラが設置されており、部屋の中に備え付けのトイレには本来あるはずのカーテンはなく、下半身が隠れるほどの衝立のみだった。
・監視カメラやほぼむき出しのトイレに、気が狂いそうだった。
・毎日反省文として指定枚数ありの作文を書かされ、教官指導の面接を受け、うんざりだった。
・面接内容と言えば「あなたの身体はあなただけのものではない」「親からもらった大事な身体」「先生たちも悲しい」こんなありきたりの綺麗事をつらつらと並べ説教されるだけだった。
・自傷行為がなぜ怒られるのか私には理解できなかった。
・限られた狭い空間で、声を出すことも何か好きなことをできるわけでもない中で、自分で気持ちを静めるためにしただけの行為。それを気持ちを理解してもらえることもなくただ責められるのではどこでどのようにストレスを発散すればいいのか。
・あれもだめこれもだめ。制限ばかりする割に ”じゃあどうしたらいいのか” そこを教えてくれる大人は社会にもここにもなかった。
・ただダメだと言い、どう気持ちの処理をしたらいいかは自分で考えろといい、処理のしようが無く自分に当たればそれはいけないことだと責め、こちらが理解できるように何故自傷行為がいけないことなのかを教えてくれることは無かった。
・何度それを訴えようが、どうしたらいいか方法を求めようが答えてくれることはなかった。
・面接にて指導を受けることにうんざりし腹が立った私はついにキレた。
・また怒られた。
・感情の制御ができなくなり、荒々しい言動をとってしまった私はそれに怒られ更にヒートアップ・・・つまり、暴れた。
・面接室から保護室に何人もの人に押さえつけられながら押し込まれた。
・無事私を部屋へ押し込み鍵をかけると、教官たちは私の声から耳を閉ざし、無視をしていなくなった。
・大声で何度呼ぼうが、*報知版を下ろそうが、教官が私の声を聞きに来てくれることはなかった。
・怒り狂った私は部屋の壁、扉を殴ったり蹴ったり、ものを投げてみたりした。
・騒ぎ立てたおかげで教官がやっときたと思ったら、そこには扉の外からただ私に向けてビデオカメラを回してる教官に加え何人もの教官がまるで見物客かのように集まってきた。
・ものを投げれば落ち着きなさいと言われ、怒鳴れば静かにしなさいと言われ、私の言葉は聞かずにただただ責められ撮されているだけで、馬鹿にしているのかとさえ思い、落ち着くことなどできなかった。
・最終的に私は怒りと悔しさでどうにもできなくなりその場に泣き崩れた。
・その日はもう、食事すら摂る気になれず放心状態で就寝時間までを過ごし次の日を迎えた。
・当然のことかも知れないがまたもや指導面接を受けなければならないと言われた。
・同じことを繰り返したくはないが、自分自身に対応できるだけの気力はないとの判断で断った。
・無駄だった。「指導に従わないのでは今後の*措置に影響が出る。」「次暴れたら警察に通報する。」そう脅され自分の気持ちを押し殺して面接へ向かい、思ってもいない反省や謝罪の言葉を並べその場をやり過ごした。
・後日、精神科の医師の診察を受けるよう言われた。
・初めて会う上に鑑別所にいる期間だけの精神科医に自分の気持ちや現状を話す気など1ミリも無かったので私が口を開くことはほとんど無く診察を終えた。
・理由や何故そういうことが起きたかの背景なんて関係なしに、ただ暴れたから情緒不安定と見なされ精神科に見てもらえなんて、「あー。ここの大人たちは本当にクズで失礼な奴らだな。」そう思った。
・私は改めて大人に失望し、半ば投げやりな気持ちでの生活が始まった。
・鑑別所内から、外部宛てに親族以外にも手紙を書けることを思い出した私は収容前共に過ごしていた二人宛に住所を何とか思い出して手紙を書いた。
→書いた手紙には検閲が入り、内容に問題がなければ発送が許可される。
・発送してしばらくすると、一通の手紙が私宛に届いた。
・差出人は、同居人B(現旦那)からだった。
・私かの手紙が無事届いたことへの安心、そして返信が来たことが何よりも嬉しかった。
・20を迎えたばかりの若い男の子が、ましてや厄介だったはずの家出少女からの手紙に対しまさか返事を書いてくれるなんて思ってもいなかったからだ。
・手紙を開けてみると、子供が書いたような汚い字で
人生で一度も手紙というものを書いたことがないから何を書いたらいいかわからない。
私がイラストを描くために買った紙にティッシュ箱で線を引いています。
だなんて少しほっこりする説明まで書かれた手書きの手紙は私の心を底から癒やし、救ってくれた。
・手紙を読みながら感極まった私は自分でも後から思うと恥ずかしいくらい声を上げ大泣きをしていた。(隣の部屋の人からうるさいとクレームがきたほど)
・すぐに返信を書き、発送した。
・実は私はA,B二人と生活をしているうちに、Bのことが好きになっていた。
・でも、自分が身体を売るような仕事をしている以上、人を好きになることは許されないし相手に対し失礼だと思っていた。
・自分は元はと言えば家出少女。身体を売るくらいしか仕事もできない。そして恋をしてしまった相手はまさかの恋愛経験一度も無し。
・困らせたくなかったし、自分を好きになってくれるわけもないし、もし仮に告白しても信用なんかしてもらえるわけもない、何よりも私なんかのせいで彼の人生を汚したくなかった。
・そんな彼からまさかの手紙。そして追伸に「お前(私)とAは喧嘩をよくしていたが自分はお前と喧嘩なんて一度もしたことがなかった。喧嘩をできるということはお互いに気持ちをぶつけ合えているってことだから俺は二人が羨ましかった。」との内容が書かれており、胸がはち切れそうになるくらい苦しくなった。
・好きという感情が爆発し、完全に、彼へ恋に落ちた。
・二通目の手紙の返信が来るかドキドキしながら待っていたが、返事が来る前に私は*審判の日を迎えた。
・正直、初めての鑑別所だし逮捕もされていないし家へ帰れると思っていた。
・家庭裁判所には久々に顔を見る母親も同席し、審判を受けた。
・そこで言い渡された結果は ”少年院送致”
・まだ理解が追いついていないはずの私も母も、同時に涙が溢れ出し、止まらなかった。
・気がついたら私は、あんなにも逃げ回り憎み嫌いだったはずの母に、「ごめんね。行ってきます。待っててね。」と涙をこぼしながらハグをしていた。
・母もまた、堪えようとも溢れる涙をこぼしながら「頑張ってきなさい」と私を抱き返し答えてくれた。

・現実を受け入れるほか無かった。
・4週間の鑑別所生活を終え、私の身柄は少年院へと移されることになった。
・鑑別所から少年院への移送時、私は人生で初めて手錠をはめられた。
・手錠は鉄製でヒンヤリとしていてずっしりと重く、腕が抜け出せてしまわないようキツくはめるため手首が少し痛かった。
・手錠をつけ、手首と胴体にロープを巻かれ法務教官と繋がれた状態で移送用のバスに乗り込んだ。
・この時初めて私は、まだ現状を理解できていないながらも「私はとんでもないことをしでかしてしまったのかも知れない」と事の大きさを実感した。

・そしてついに女子少年院へ到着


少年院へ着いてから初めの手続きや院内生活についての詳しい内容は、センシティブな局面や個人個人で処遇による待遇の違い等があり、私一個人の体験談という形になるため読者様へ "少年院" に対する知識の誤解を生んでしまう可能性も懸念されますので本投稿記事での掲載は控えさせていただきます。 
また、今後発信をしていく中でもし、少年院の実態や院内生活の様子などについて詳しくお話しする機会がありましたら、その際は無料公開か有料公開かも含め検討を重ねた上で慎重に掲載を進めていこうと思います。

※少年院入所経験について詳しくお話を聞いてみたいと言う方がもしおられましたら是非、コメント欄にてその旨をお伝えいただけると全ての希望にはお応えできかねますが読者様からのお声として今後活動の向上に向けとても嬉しいです。(可能であればどんな内容を知りたいか、何故知りたいかも含めてコメントを残していただけると非常に助かります。)


少年院ってどんなところだと思いますか?

~一般的な社会からの印象~
・罪を犯した子供が収容される、いわゆる ”未成年者の刑務所”
・罰を受け、罪を償う場所
・いじめがある。
・食事がまずい
・怖いところ
・牢獄のようなところ

こんなところだとイメージを持つ方が多いでしょう。
では実際はどんなところなのか、私が入所した経験から私が感じた印象を含めながら少しお話ししたいと思います。

まず初めにお伝えしたいのは、
”少年院は罰を受ける場所では無い”と言うこと。

一言で説明するとすれば、罪を犯したあるいは今後罪を起こす可能性のある非行少年を一時的に収容し、自立更生に向けて今後社会で生活をしていくための導きをする*更生保護施設です。

少年の過去からじっくり向き合い、なぜ非行に走ってしまったのか、少年が生きてきた環境・社会からどんな心理的な影響を受け、それと非行にはどのような関係性があったのか、そういった深い視点から少年と向き合い自分の存在・自分の行いについて見つめ直す機会を与えてくれる場でした。

そして、社会生活を送っていく上での必要なジョブスキルや人間関係についても学べる場でした。(実際私も少年院に在園中、仕事に役立ついくつかの資格を取得しました。)

私が想像していたよりもかなり環境は整っており、生活もしやすく割と暖かい雰囲気を漂わせていたことに正直驚いたほどです。
確かにつらい事も、大変だった事も、逃げ出したくなったりしたこともありました。それでも少年院で過ごした期間は確実に今の自分にとって貴重且つ重要で、よい経験をさせてもらったと思っています。

少年院で私は初めて人としての愛情を受け取る経験をしました。
人として本気で向き合ってくれて、対等な人間として話を聞いてくれ、話をしてくれる。それまで生きてきた中ではそんな経験はありませんでした。

心を開くまでには時間がかかりましたが、それでも教官は私自ら心を開けるまでゆっくりと面接を重ねてくれました。そして私よりも私のことをよく考え、観察していてくれたため教官が私はどういう人なのか、どんな時どんな表情を見せどんな行動・発言をするのか、そんなところまで教えてくれました。

感情とは裏腹な言動を取ってしまったときには私よりも先に気付き「それ、本当にそう思っているの?」「本当のあなたは違うんじゃないの?」などと優しく語りかけてくれたおかげで徐々に自分の感情と言動の不一致や無自覚での感情の押し殺し、また自分がいかに自身の核心や深い心に踏み込まれないように虚勢を張ってしまっているかにまで気付くことができました。


こうした経験を経て無事仮退院をした後、成人(20歳)まで*保護観察を受け本退院をしました。


本日はここまでにしたいと思います。
やっと、今に繋がるほんの一歩手前までをお話しできたのではないでしょうか^^

次回投稿内容は、少年院を出院後から現在までにあったことについてお話ししたいと思います。
少年院を出院後の生活での経験や家庭を持つまでにあった出来事などをお話しし、私の長い長い自己紹介を終わらせたいと思いますので是非お読みいただけたら嬉しいです。

長くなってしまいましたが本日も最後までお読みいただきありがとうございました。


P,S ついに第二子の妊娠が正期産へと突入致します!!
母子ともに健康で安産であることを祈り、あと少しのマタニティ生活を楽しみながら誕生を待つのみです❤

それでは皆様、今週もお体に気をつけてよい日をお過ごしください^^

2023.02.20 しちゃ。


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