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【救済】世界の真実~苦しい方へ~

哲学思考

日本の自殺者数は先進国の中でも多いものです。日本だけでも一日に60人もの方が自ら命を絶ってしまっています。つまりあなたがこの記事を読んでくれているこの時も、首に縄をかけている人、ビルの屋上にいる人がいるわけです。

私は幼少期から強迫性障害、不安障害、うつ病を患ってきました。カウンセリングで心理学を学んだり、個人で哲学に没頭したりする中で、私の中にある一つの救済思想が作られていきました。

今回、苦しみを断つまではいかぬとも大きく減少させられるであろう、その思想を、初めて世に出したいと思います。

観念論、現象学、唯識

私がたどり着いた境地は、難しい専門用語でいえば「観念論」や「現象学」「唯識論」と呼ばれるようなものだと感じています。私は大学で哲学を修めておりませんので、厳密な定義は難しいですが、大体このような思想と類似していると言えるはずです。以下、少し難しいので飛ばしていただいてもかまいません。

観念論は、物の実在、皆さんが見ている記事そのもの、私の前のパソコンなどのものを、心の「観念」を重視して思想で捉える思想です。皆さんの持っているデバイス機器(スマホ、パソコンなど)は本当にその世界に存在するのか、一度疑ってみると、外に存在すると思っていたものが、すべて「私が」捉えた事象にすぎないということが見えてきます。この私の「観念」にすぎないとするのが観念論であり、私という主体に世界を還元することを現象学的還元といいます。唯識は仏教思想です。阿頼耶識(あらやしき)と呼ばれる根源たる「識」にすべてを置き、世界には「識」しか存在せず、そして識も空(くう)であるというこの思想は、私の心を強くとらえて離しませんでした。

欲求を立てる

「われ思うゆえにわれあり」という哲学者デカルトの言葉。他の一切を疑っても、根源たる主体は疑えない、というものです。

さて、ざっくりと観念論、現象学、唯識論を登場させましたが、なかなか捉えがたいものだと思います。

我々は世界に感情や錯覚など色付けをして、世界を見ているのです。その色付けの主体はあなたです。本来の世界は純粋で、なんの苦しみもない世界です。しかしそこに欲求を立てて、それが満たされないと苦しんでしまい、満たされれば喜ぶ。情動の操り人形になってしまっているわけです。

無欲の境地ともいわれますが、確かに、難しいながらも無欲の境地に立てれば何も苦しみはないでしょう。それは欲求の否定が苦痛だからです。世界に欲求を立てた瞬間、賭博が始まり、あたり、はずれ、というゲームがスタートします。何とも恐ろしい。しかしもう苦しむのはやめましょう。このゲームは負け続けるとあまりにも苦痛の多すぎるゲームとなります。このゲームから脱することこそ救済です。

意識界全我捉象

このゲームから脱するうえで(脱さなくてもいいんですよ)大事になってくるのが「意識界全我捉象(いしきかいぜんがそくしょう)」の原理です。これは造語です。

私の見ている意識界は全て、私が捉えた象にすぎない。

あなたの意識界は誰が捉えたものでもありません、あなたが捉えたものです。ここから一つの救済の道が見えてきます。すなわち、あなたが「捉え方を変えるだけ」で苦しみは消えるということです。世界はあなたの解釈から
できている。会社がつらい方も、人間関係がつらい方も、恋愛がつらい方も、精神疾患がつらい方も、会社、人間関係、恋愛、精神疾患が苦しみを直接作り出しているわけではないのです。間に「あなたの解釈」が入ってくるのです。つまり、会社、人間関係、恋愛、精神疾患を「つらく捉えた」から苦しいのであって、あなたがその捉え方を変えて、「皆わたしが捉えた象にすぎないんだからそれで苦しむのはやめにしよう」と純粋な色付け前の世界を見れば、すべての苦痛は即座に消え去るでしょう。

※ここでの私とは我執の私ではなく、認識主体としての私を意味する。
※私がどうにでも捉えられるからと言って人を苦しめるのは、苦しみを世に与える行為で悪であるし、身体的苦痛を滅することは薬剤でなければできないし、そもそも正しくこの真理を悟った人ならばそんなことはしない。

少しでも世界から苦しみがなくなりますように。


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