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税と社会保障の一体改革(2012)

税と社会保障の一体改革
Saven Satow
Feb. 02, 2012

「人があることを知らないと言う時、偶然そうなのではなく、巧妙に仕組まれた障壁ゆえにそうであることが多い」。
グンナー・ミュルダール

 税と社会保障の一体改革は今国会の最大の課題となってしまった観がある。ところが、中身の議論に入る前に、与野党の思惑によって、政争の具と化している。確かに、この光景にはうんざりさせられる。しかし、提示される税と社会保障の一体改革が近代財政を理解した上で、作成されているのかいささか疑問である。

 厚生労働省は「社会保障と税の一体改革」と言っている。政策の名称や理念、目標などには抽象性があるため、細かな表現からその姿勢を読みとることができる。「社会保障」が先で、「税」が後になっていることは彼らにとって重要である。けれども、政府の実際の姿勢はその逆である。「社会保障と税の一体改革」ではなく、「税と社会保障の一体改革」として論じるのが適切である。

 近代財政は税と社会保障を一体化して考える。その際、そこに、国民経済を自動的に安定化させる装置、すなわち「ビルト・イン・スタビライザー」が組みこまれている。所得税の累進課税制度と失業保険がその一例である。

 景気がよくなれば、所得が増大すると同時に税負担も増す。これにより消費の増大効果が幾分相殺され、総需要の増大効果も抑制されて、乗数を小さくする。しかも、好景気では失業率が低下するので、失業保険の給付も減少する。累進課税には消費拡大による景気の過熱を抑える作用がある。

 他方、景気が悪くなると、失業率が上昇する。累進課税に基づき所得税の負担が小さくなり、失業保険の給付が増大、マクロ消費の落ちこみを最小限に押しとどめる。それらが消費の下支えを行い、景気のさらなる悪化を緩和する作用が働く。

 税と社会保障は一体となって、景気が上昇すると、総需要を抑制し、逆に、下降すると、刺激する。ビルト・イン・スタビライザーは、政府の裁量的な政策によらなくても、経済を自動的にある程度安定化させる。

 裁量的経済政策は判断や実施、効果にタイム・ラグが生じる。ビルト・イン・スタビライザーを備えておけば、突然、外発的ショックが起きた際にも、当局の動きを待つまでもなく、それを緩和する効果が期待できる。ショックが発生すれば、投資意欲は減退する。需要減によって乗数分だけGDPを引き下げる。乗数とは国民所得の拡大額を有効需要の増加額で割った値である。乗数値が小さければ、影響も弱くなる。自動調整装置はこのように効果を発揮する。

 不況だからと言って、消費を拡大させようと、政府が累進課税を安易に緩和すれば、厄介な事態に陥る。減税の一部は貯蓄に回り、その分は有効需要の拡大につながらない。貯蓄や主旨と違う消費に流れる可能性があるため、政府は現金給付につながる政策を避ける方が賢明である。公共サービスの拡充や物的補助など現物給付を選ぶべきである。かりに増税してそれを公共事業に使えば、同額だけGDPが上昇する。消費が落ちこんでも、政府支出の拡大の効果が大きいからである。累進課税の骨抜きにより景気過熱を抑制する装置が緩めば、経済は暴走しがちになる。しかも、好景気でも、税収が伸びない。不況に入れば、失業保険の給付が増えても、財源不足のため、財政を苦しくする。その結果、社会保障費を削れという本末転倒した主張が幅を利かせるようになる。

 近代以降の政府が税と社会保障を一体として考えるのは当然である。ただし、その際にこのビルト・イン・スタビライザーを組み入れていなければ、前近代的と言わざるを得ない。それは年貢の取立ての発想と違いがない。

 今進行中の税と社会保障の一体改革の論議も、反対派も同じだが、ビルト・イン・スタビライザーの発想が乏しい。国民経済を安定化させる効果からの制度設計があまり見られない。聞こえてくるのは、社会保障や国債償還の財源の捻出ばかりである。不足しているのが事実だとしても、その穴埋めに増税させてくれとか、3・11によって疲弊しているのに、消費増税は景気に悪影響を与えるとかは近代的な論議ではない。また、政治部の記者にしても、EUの債務危機で慌てたというのが本音だろうに、近代財政の理論が何たるかをわからないまま、野田佳彦首相に不退転の決意で臨めとエールを送っている姿は噴飯物である。現首相ときたら、奇妙なヒロイズムにとらわれ、増税を自己目的化する始末だ。

 以前から日本の税務当局にはとれるとこからとるという姿勢が見られる。3・11後、携帯電話に課税できないかと当時の与謝野馨特命担当大臣が口にしていたが、これがよく物語っている。今回の税と社会保障の一体改革作成にも彼が深く関与している。税務当局は年貢発想にどっぷりとつかり、インセンティブに考えが回らない。

 日本の税務当局の課税姿勢は酒税法に端的に表われている。ドイツのビール法・ワイン法と比較すると、それが明瞭になる。

 ドイツのビール法・ワイン法は、ドイツ・ビールならびにドイツ・ワインのアイデンティティを明確化する機能を果たしている。ビール法はビールの原料を厳格に定め、これが「純度保持規則」と通称されている。この要件を満たしていないものはドイツ市場では「ビール」として販売できない。EUの発足後、他の加盟国の未要件の製品はその旨を明示することを条件に、市場参入が許可されている。また、ワイン法はブドウの栽培に始まり、ワインの製造・取引、さらに販売促進に至るまでの詳細な規制を行っている。ワインは4段階の品質に格付けされ、上位ほど厳格な要件が義務付けられている。特に、最高級の第4ランクは厳密に細分化されている。その頂点に立つのがかのアイスワインである。

 両法の主旨は品質確保と格付けである。確かに、徴税の根拠にもなっている。けれども、ビール・ワイン業界は、課税の代わりに、品質保証やブランド・イメージを得られるインセンティブがある。また、消費者もそれを信頼してTPOに応じてビールやワインを味わうことができる。課税が産業・市民にとってたんなる負担に終わっていない。

 一方、日本の酒税法は、酒類の製造・販売の免許の交付および徴税を目的とした法律である。酒類を10種11品目に分類し、それぞれ従量税に応じて課税額が決まっている。従量税は対象の重量・容積・化学成分などを標準として課税するシステムである。酒類の場合、アルコール濃度が基準である。酒税法には品質確保やブランド力の後押しの機能はない。格付けが行われるとしても、品質ではなく、課税基準にすぎない。

 日本の酒税法の目的は徴税である。その精神のため、税法の穴を探して、発泡酒や第三のビールといった二流、三流のアルコール炭酸飲料が販売されてしまう。これらは「ビール類」ではなく、課税額が低い「雑酒」である。ノンアルコール・ビールはともかく、発泡酒はイノベーションの結果ではない。ビヤガーデンはあるが、発泡酒ガーデンは営業されていない。酔うためだけの酒であり、文化にも健康にもよろしくない。大切な肝機能はヱビス〈ザ・ブラック〉のために使いたい。発泡酒は酒文化の恥である。酒税法は税務当局以外にとって負担でしかない。

 こうした日本の税務当局の年貢体質が橋本龍太郎内閣での失政を招いたと言って過言ではない。回復基調を示し始めた状状況で、同内閣は、財政再建のために、消費税の税率アップを含む増税を実施する。日本経済は、これにより、再び不況に舞い戻る。加えて、増税は経済にとって負担という印象まで植えつけてしまう。

 国民経済への積極的な意義を説明すれば、納税者も増税に同意する。ところが、インセンティブの話をせず、足りないから金を出せ、あるいは子や孫の世代のツケを残す気か、税金なんてものは負担に決まってると訴えても、脅しにしか聞こえない。税務当局には法学部出身者が多くて、どうしても義務に目が行き、インセンティブに思いがよらない。彼らの意識改革が急務である。

 社会保障制度の改革が必要なのは当然である。現行の制度では、高齢化が進めば、政府の社会保障関連支出は増大し続ける。消費税はそれに対する有効な手段であるのは確かである。高齢者もある程度負担するので、所得税より世代間で公平に感じられる。また、高齢化社会では国全体として貯蓄が減少するが、消費税はそれを刺激する効果がある。消費税は消費を抑制するので、その分、貯蓄を増やす。ただ、それが投資に直結するわけではない。しかも、消費税は広く薄く課税するため、税負担の悪影響が比較的小さい。加えて、課税ベースが広く、所得税より捕捉が容易かつ安定的で、効率的である。消費税の福祉目的税化は増税の積極的な意義を当局が納税者に訴えられる。以上から消費税と社会保障は一体として捉えられる。

 このようなメリットがある消費税なので、財務省はその税率アップをしたくなる。しかし、それだけに、年貢体質が改まらなければ、消費税ジャンキーに陥りかねない。また、消費増税が貯蓄の増大効果以外に、社会保障と一体化させた場合、いかなる国民経済へのプラスの効果があるのかを納税者に説く必要がある。

 少子高齢化やグローバル化の進展、低成長といった現状で、ビルト・イン・スタビライザーを編み出しにくいことは想像に難くない。しかし、それを抜きにして、税と社会保障の一体改革を進めたところで、安定的な存続は困難である。

 好調な東(南)アジア経済だが、いずれ今の日本と同じ状況に直面する。韓国やシンガポール、台湾、上海などでは少子高齢化はすでに進んでいる。しかも、社会保障制度が未整備の国も少なくない。彼らは日本を洗礼として見ている。

 スウェーデンの経済学者グンナー・ミュルダールは上院議員を1934年~36年と42年~46年の二期務めている。その1934年に彼は、『人口問題の危機』において、人口減社会に向けた処方箋として「消費の社会化」を提案している。出産・育児にかかわる消費の量と質を国家管理するアイデアである。医療・教育分野での雇用創出・人的資本投資などが盛りこまれている。これはたんなる人口増加促進の方策ではない。人口・社会・経済政策を一体化して捉える「経済成長への福祉戦略」である。

 この提案が現在の日本にそのまま適用できるわけではない。また、常識化した部分もあれば、問題点が顕在化した部分もある。しかし、国会議員として、税と社会保障、国民経済を関連して考え、それを「消費の社会化」と要約した点には学ぶべきところがある。今回の税と社会保障の一体改革を象徴する概念は、その名称を除けば、思い浮かばない。だから、どれだけ負担増になるかに関心が集中している。

 官僚や政治家の中にも、ミュルダールには及ばないまでも、「経済成長への福祉戦略」による将来の日本像を描いている人がいる。税と社会保障の一体改革は、ビルト・イン・スタビライザーと言わなくても、少なくとも、そうした国民経済との関連から検討されて然るべきだろう。
〈了〉
参照文献
井堀利宏、『課税の経済理論』、岩波書店、2003年
寝井雅弘編、『現代経済思想』、ミネルヴァ書房、2011年
廣渡清吾、『法システムⅡ比較法社会論』、放送大学教育振興会、2007年

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