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高橋幸宏、あるいは三枚目のダンディズム(2023)

高橋幸宏、あるいは三枚目のダンディズム
Saven Satow
Jan. 30, 2023

「僕の映画のですね、『四月の魚』という映画に主演していただいたのですが、これがもう見事な三枚目のダンディズムですね」。
大林亘彦『スタジオL 高橋幸宏・石津健介』

 彼が表現しようとするとき、メンバーが協同、音楽史を刷新する比類なき創造性を促進する。それがYMOにおける高橋幸宏の存在意義である。しかし、彼はリーダーシップやカリスマ性によってバンドをまとめていたわけでもなければ、気配りを欠かさず調整役として翻弄していたわけでもない。幸宏は前面に出ることなく、斜に構える第3の男に徹していただけである。

 幸宏はYMOの結成により3人の中で最も進化している。彼は、ガロやサディスティック・ミカ・バンドなどで活動、音楽業界でドラマーとして高く評価されている。その技量はSMBの『黒船』の収録曲「黒船(嘉永六年六月二日)」が示している。けれども、それまでボーカルをとったことがほとんどなく、作曲の経験も乏しい。ボーカリストや作曲家、プロデューサーなど多彩な才能をすでに発揮していた細野晴臣や東京芸大で作曲を学び、アレンジャーとして活動していた坂本龍一とは異なっている。

 イエロー・マジック・オーケストラは西洋人のオリエンタリズムに対するユーモアという細野晴臣によるコンセプトに基づいて誕生している。欧米人は日本人と中国人の区別がつかないし、両者をごちゃ混ぜにして認知している。細野はそれに抗うことをせず、そのイメージのパロディをバンドとして具現する。また、当時は音楽が国や地域ではなく、都市と結びついて語られている。近代化・ハイテク化が進みつつも、江戸情緒が残る東京に彼はそのオリエンタリズムによって形成されたTOKIOを見出す。YMOはこうしたTOKIO音楽のバンドとして登場する。

 赤い人民服を身にまとい、もみあげを剃り落としたヘアースタイルをして無表情で、東洋風の雰囲気のあるコンピュータ音楽を演奏する。メンバーはいずれも目鼻立ちが整っているわけでもなく、スタイルがよいわけでも大柄な体躯でもない。メガネをかけ、カメラを首からぶら下げた彼らは「東洋人」である。しかし、そこにはコンプレックスなどなく、ユーモアがある。そんな彼らは新しい音楽を待っていた国内外から熱狂的に歓迎され、小学生まで魅了している。

 YMOは、先のコンセプトが物語るように、主知主義的バンドである。ピンク・フロイドを始めとするプログレやニューヨーク・ニューウェーブのトーキング・ヘッズ、アヴァン・ポップと称された初期のロキシー・ミュージック、YMOに接近した後期のジャパン、YMO的理想を極限化したスクリッティ・ポリッティなど欧米のポップ・ミュージックには少なくないが、日本では比較的少数で、J-POPに至っては皆無である。

 こうした特徴上、YMOを通じて坂本が最も社会的知名度・影響力を獲得したことは当然だろう。主知主義者の彼は知的でオシャレな時代だった80年代のカリスマの一人である。一方、細野は、神秘主義に傾倒したように、主意主義者である。それは、中沢真一がニュー赤の一人と見なされた通り、80年代の非主流、すなわちもう一つの流れである。後に、細野はアメリカ先住民の人類学的知見と出会い、神秘主義から脱却している。主知主義者と主意主義者は対立せざるを得ず、YMOにそれがしばしば深刻な危機をもたらしている。

 それを何度となく救ったのが幸宏である。彼は、知情意で言うと、「ニューロマンティック(Neuromantic)」を提唱したように、情である。知と意の間に情が入ることによりYMOは協同活動ができている。と言うよりも、情が中心にいる時、知と意が協力を惜しまない。それは、幸宏が表現を試みる際に、最もYMOらしさが表われることを意味する。

 ボーカルを入れるのであれば、本来、担当すべきは細野だろう。彼ははっぴいえんど時代に名曲『風を集めて』をよく響く低音で歌い、ボーカリストとして既に知られている。しかし、細野がこの新バンドでボーカルを担当したら、個性が強すぎて、せっかくのコンセプトがかすみかねない。

 実際、細野も当初YMOをインストバンドと想定している。必要な時はゲストに参加してもらえばよい。しかし、『中国女』に幸宏のボーカルを使ったらどうかとの坂本の進言を試し、考えを改める。YMOをインストバンドに限定する必要はない。

 テクノサウンドには腹式を用いない浮遊するようなボーカルがうまくはまる。ロキシーのブライアン・フェリーやトーキング・ヘッズのデヴィド・バーン、スクリッティの・グリーン・カートサイドもそうしたタイプである。幸宏もこれに含まれるが、少なくとも英語を歌う射場合、彼らと比べて発音が聞き取りにくく、個性が弱い。反面、ボーカルが入っていながら、突出しないので、テクノサウンド的な楽器の一つとして曲になじんでいる。

 また、幸宏は作曲法を知らないまま、バンドに加わっている。そこで、幸宏が鼻歌を歌い、坂本が楽譜にする。この共同作業が名曲を生み出し、その代表が『ライディーン』である。これはYMOのみならず、日本のロック史上の最高傑作の一つである。

 さらに、「スネークマンショー」が面白いと幸宏が勧めると、細野が危機としてそれを取り入れ、彼らのコントも収録したアルバム『増殖-×∞』が生まれている。これは、日本ロック史上、最もユニークなアルバムの一つである。

 YMOでの幸宏のドラムは全般的に控えめである。ドラムセットの組み方は右利きの標準程度だが、椅子が低く、スネアを叩く際に左腕が左腿にあたるほどだ。モーラー奏法で、ストロークの動きも小さく、軽く叩く。また、アクセントとしてハイハットオープン・クローズを用いる。さらに、バスドラムは必要最低限、派手なタム回しはしない。フィルインさえ抑制的で、ドラム・ソロはしない。極力熱気を出さないようにドラミングしている。

 YMOでの幸宏のドラムのスタイルがよく表われているのが『増殖-×∞』の収録曲である。それらはテクノポップと言うより、R&BやR&Rだ。自己顕示などあか抜けないが、地味では野暮ったい。重くては場をしらけさせかねないけれども、陽気すぎても浮いてしまう。あまりに正確では肩ひじを張っているし、汗を飛び散らせた野放図ではだらしがない。軽い緊張感を持ちつつ、さりげなく、オシャレという塩梅で幸宏はドラムを奏でている。

 細野や坂本にとってYMOはキャリアの一つだが、幸宏にはアイデンティティである。彼の認識上、YMOは永遠に活動している。幸宏は、YMOにおける自身の位置づけについて「細野さんは天才、教授は奇才。僕は凡人で、2人の太鼓持ち。ま、ドラマーだし(笑)」と言っている。これは、その意図はともかく、彼をよく言い表している。YMOにおける第3の男としての意義はすでに見てきたとおりである。加えて、この「太鼓持ち」という自覚を聞き逃すべきではない。

 「太鼓持ち」はたんなるおべっか使いではなく、実は、遊びのプロデューサーである。彼らは概ね道楽がすぎて勘当された元遊び人だ。一流の太鼓持ちは社交に長け、お客に粋な遊び方をそれとなく指南するのが役割である。その際、お客より目立ってはいけない道化だから、必要とされるのは三枚目のダンディズムだ。

 幸宏がYMOに持ち込んだものはこの三枚目のダンディズムである。YMOはコンセプチュアルなバンドだ。ファッションもそれに沿っていなければならない。その担当が幸宏で、彼は制服を踏まえるなどパロディによって表現している。散開ツアーの際にはナ、「非アーリア人」であるにもかかわらず、チスもどきの制服をデザイン、全体主義を招くカリスマへの警告を表現している。その模様は、タイトルに不定冠詞のついた映画『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』(1984)で見ることができる。

 この三枚目のダンディズムを最も物語るのはスネークマンショーやSETとのコラボである。本格的コントをアルバムに収録し、YMOのメンバーも共演している。これを通じてロックに興味のない子どもたちまで彼らのファンになっている。落語を始めとするコメディ好きを公言するミュージシャンは少なくない。だが、コメディアンとアルバムで共演することはほとんどなく、やはり二枚目になりたがる。その意味でも、幸宏の三枚目のダンディズムは音楽市場における画期的出来事である。

 言うまでもなく、そうしたコラボには社交性が不可欠だ。幸宏は三枚目のダンディズムがあるからこそ、人脈が広がっている。それはYMOの社会関係資本を蓄積させ、新たな可能性を用意する。

 三宅裕司や彼の率いる劇団SETは、YMOとのコラボ以降、知名度が上がり、今や彼らの人気も定着している。それは幸宏の発見なくしてあり得なかっただろう。しかし、彼はそのことをひけらかすことなどない。自己顕示は三枚目のダンディズムに反するからだ。

 時代の風潮も影響していたが、YMOを通じて知的好奇心を刺激された若者は当時少なくない。中でも、三枚目のダンディズムの幸宏は最もとっつきやすい。けれども、それは深みがないということではない。控え目であるため、再発見されることを待つものだ。

 幸宏は、1981年、三枚目のソロアルバム『NEUROMANTIC』を発表する。タイトルの「ニウロマンティック」は “Neurotic(神経症)”と”Romantic(ロマンティック)”を合成し、”New Romantic(ニューロマンティック)”もかけている。彼はそれを「ロマン神経症」と和訳している。また、幸宏は、同年、鈴木慶一とのユニットTHE BEATNIKSを結成、『EXITENTIALISM 出口主義』をリリースする。それらは「ビート世代(Beat Generation)」や「実存主義(Existentialism)」のもじりである。

 これらの述語は、当時、さほど流布してはいない。1981年は日本社会がポストモダン状況を迎えつつあり、ポスト構造主義の流行する前夜である。幸宏のタームはそうした時代風潮と必ずしもかみ合っていない。しかし、彼は、自らを笑う三枚目でありつつも、時代に距離を取ってセンスのよさを示すダンディである。彼の提示するものが時代を熱狂させることは背理でしかない。

 けれども、その概念が魅力的であることは確かである。時代の文脈との結び目を見つけられるのなら、示唆的なキーワードとなる。

 幸宏はダンディであるから、時代に対し距離をとる。そのため、同時代的流行とはなりがたい。文脈の下で再発見されることをさりげなく待っている。1984年、ウィリアム・ギブスンがSF小説『ニューロマンサー(Nueromancer)』を刊行する。これはサイバー・パンクの傑作であり、文学界のみならず、現代のネット社会の予言の書でもある。「サイバー・スペース」や「アクセス」などのIT用語はこの作品に由来している。こうした革命的小説のタイトルは幸宏の「ニューロマンティック」にインスピレーションを受けたとされている。

 ただし、ギブスンは神経症ではなく、ニューラルネットワークとして述語を読み替えている。「ニウロマンティック」は「ロマン神経症」より「神経網ロマンティック」が今日では望ましい訳語だ。それはAIにも拡張できる。

 これは「出口主義」にも言えるだろう。現在、パンデミックや戦争、インフレ、党派対立、金融政策など「出口」が政治・経済・社会における重要な関心事の一つである。ただし、それは個人の実存ではなく、グローバルな出来事に関わっている。この文脈への読み替えが「出口主義」には必要で、それにより現代のキーワードとなる可能性がある。

 幸宏の術後は、彼がダンディであるため、個人に関連しているが、それを社会的に拡張するならば、時代を物語るものとなり得る。それは彼の姿勢では本来ない。けれども、三枚目のダンディズムはその後に再発見されるものだ。幸宏は再発見されることをさりげなく待っている。

 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などで活躍したミュージシャンの高橋幸宏さんが11日に70歳で死去した。YMOのメンバーで、ミュージシャンの細野晴臣さん(75)が今回、高橋さんへの思いをつづった追悼文を朝日新聞に寄せた。
 高橋幸宏さん(左)と細野晴臣さん。2018年の細野さんのイギリス公演では、ロンドン公演で高橋さんと坂本龍一さんが飛び入り参加した。その後のブライトンでの公演も高橋さんは観に訪れたという。この写真は、公演翌日にプライベートで食事をしたときに撮影した=飯田雅裕撮影
 全文は以下の通り

    ◇

 喉(のど)に引っ掛かってのみ込めない違和感とともに、自分の生死に向き合うことになる。それが友の死だ。感情は死を拒絶し理性は受け入れる。この悲痛な葛藤から逃げることはできない。
 人の一生は一冊の本のようだ。いま「高橋幸宏」という本を読み終え、多くのファンがあとがきを書こうとしている。物語は終わったが本は消えず、ずっとそこにある。
 幸宏の死は世界に反響を及ぼした。彼が海外のミュージシャンに与えた影響の大きさを今更ながら知り、高橋幸宏が実は大スターであることが判明した。
 初めて幸宏と出会った時の彼は16歳、ぼくは21歳だった。それから半世紀の付き合いになる。軽井沢で知りあい、軽井沢でお別れしたのは不思議な縁だと思う。
 高橋幸宏にとって自分はどんな存在だったのか。多分それは縁戚の「変な伯父さん」だろう。彼の厳しい審美眼はぼくをずっと観察していたに違いない。ある時期から少しずつ認めてくれたようだ。その審美眼は自己にも向けられ、ついに世界一お洒落(しゃれ)なミュージシャンになってしまった。
(定塚遼、『「高橋幸宏」という本はずっとそこにある 細野晴臣さん、友を追悼」』)
〈了〉
参照文献
定塚遼、「『高橋幸宏』という本はずっとそこにある 細野晴臣さん、友を追悼」、『朝日新聞デジタル』、2023年/1月20日19時00分配信
https://www.asahi.com/articles/ASR1N5R91R1NUCVL01T.html

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