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天皇・三島由紀夫・卓越主義(9)(2022)

第9章 象徴天皇制と卓越性
 日本国憲法は1〜8条において天皇を規定している。護憲派の戦後民主主義者が天皇制を支持することに矛盾はない。ところが、彼らの中に、積極的・消極的を含め天皇制に対する不支持が認められる。平成に入ってから解消されていったが、昭和期にこのねじれが見られる。それは昭和天皇が二つの憲法の時代を生きたことに関連している。昭和天皇は、戦前、英国王室をモデルに近代的立憲君主制にふさわしい皇室にしようと取り組んでいる。そのため、母親の貞明皇后と対立する。そうした努力もあったせいか昭和天皇はかつての天皇像への郷愁を抱き続けたように映る。昭和天皇には戦争責任があるのではないか、彼は戦前を総括していないのではないか、戦後民主主義体制に積極的にコミットしていないのではないか、宮内庁は相変わらず復古主義的姿勢ではないのかなどの問いから天皇制への批判が生じる。ただ、彼らの違和は、こうした疑問以上に、歴史修正主義者が昭和天皇の在位の連続性を利用していることへの問題意識が大きいだろう。

 戦後の天皇制をめぐる言説は、暗黙の裡もも含めて、15年戦争をめぐる評価に関連していることが少なくない。その戦争を正当化する歴史修正主義者は天皇制を肯定する。しかし、それは日本国憲法の象徴天皇制ではない。彼らの天皇制についての主張は前近代、それも古代や伝説に遡って根拠を求めるものも多々ある。たんに大日本帝国憲法の天皇制を近代的に再構成したいのではない。実際、彼らが大正デモクラシーに肯定的に言及することはほとんどない。歴史修正主義者は15年戦争を正当化するために、まがまがしい言説で天皇制を利用する。彼らのグロテスクな天皇制はその動機の姿である。

 大日本帝国憲法第一条が端的に示している通り、近代天皇制は近代性を必ずしも踏まえていない。これは近代性の解釈の違いではなく、教育勅語が示しているように、当時の為政者たちの多くが明らかに理解していない。近代は、社会契約説が基礎づけた通り、社会が人為的だとする。マックス・ヴェーバーが『職業としての政治』で指摘するように、人間が作った法に基づく「合法的支配」でなければならない.。けれども、明治憲法第一条は天皇の「万世一系」を規定しており、これは「伝統的支配」に当たる。天皇は昔から日本にいるのだから従えという内容は近代に反している。しかも、それは仏事が宮中行事の中心だった伝統的天皇の姿とも異なる。非近代的・非伝統的な天皇制像が15年戦争時に特に強調される。歴史修正主義者は天皇主義者ではなく、avant-guerreにすぎない。

 昭和天皇の在位中、天皇制をめぐる議論は戦前の連続性を前提にしている。その意見の対象は戦前の天皇制である。昭和天皇は戦前・戦後に亘って在位しているから、度が変更されても、その連続性のために議論が戦前との関連に向く。天皇制に関する論議が盛んでも、象徴天皇制が取り扱われることは限定的である。

 日本国憲法下でも戦前からの天皇の活動は多くが維持される。新嘗祭など宗教性を帯びる儀式は、信仰の自由を根拠に、天皇家の私的行為と位置付けられる。また、憲法第4条は天皇の国事行為を規定している。戦後に大きく変わったのはそれ以外の活動の増加である。

 昭和天皇は、1946年、人間宣言の後、地方巡幸を行う。大元帥でなくなったのだから武士の棟梁の住まいである江戸城から出て京都に帰るべきだという主張も寄せられていたが、初の東京生まれの東京育ちの天皇はそれを受け入れることはない。むしろ、そこを外に開き、日本全国とつながることを志向する。ただし、巡幸の光景は戦前とさほど変わるところがなく、集まった国民は「天皇陛下万歳!」と叫んでいる。その後、宮城は皇居へと改称され、天皇の住まいとして引き続き使用されることになる。

 昭和天皇は手始めに神奈川行幸を実施、そこでいくつかの反省点が見つかる。その中には、写真班の行動に制限が多すぎるというものもある。それを踏まえ、46年2月末から3月初めにかけて行われた東京行幸は成功する。以後、昭和天皇は全国へ地方巡幸に精力的に臨んでいく。

 1946年11月3日、日本国憲法公布の際、昭和天皇は皇后と共に都主催の祝賀記念都民大会に出席する。実は、これには前例がある。

 1889年、大日本帝国憲法の発布式の後、明治天皇は上野へ行幸に出かける。この時、皇后も同行、明治天皇が夫妻で一緒に馬車に乗った初めての日である。

 上野で、明治天皇は日の丸の小旗が振られるなど人々から大歓迎を受ける。戊辰戦争の際、上野は、激しい戦闘が転回され、破壊されている。そのため、明治天皇を快く思っていない東京の住民も少なくない。歓待は東京が明治天皇を君主として認めた証である。憲法の内容をほとんどの人が知らなかったことはよく指摘される。しかし、憲法発布が明治天皇を近代日本の君主として人々に認知させたことは確かである。

 1946年の憲法公布記念祝賀都民大会以降、本人は改憲の必要性を認知していなかったけれども、昭和天皇は新憲法に定められた象徴天皇にふさわしいイベントに参加していく。春の全国植樹祭と園遊会、夏の全国戦没者追悼式、秋の国民体育大会と園遊会、国会開会式、日本学士院・学術院授賞式などがそうした例である。昭和天皇は立憲主義に則り、新憲法の精神や戦後民主主義の価値観を踏まえて実績を積み重ねる。

 日本国憲法は第1条において「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と言っている。象徴は抽象的概念を付帯的存在・物象によって指し示す際に用いられる。憲法1条は象徴関係が根本的な国法に維持されることを宣言しているのであって、具体的な権限が憲法から導き出されることを言ってはいない。法的措置は皇室典範や皇室経済法、元号法などによって規定される。成年年齢や陛下の敬称、即位の礼、大喪の礼、内廷費支給、刑事・民事免責、一世一元の制などがそれに当たる。この象徴関係が成り立つには、政治共同体において科の存在が主権者を統合すると共にそうだと共通認知することに基づいている必要がある。総意に立脚する国民統合のシンボルであるなら、天皇は象徴関係を明示化する実践をしなければならない。

 大日本帝国憲法は第1条で天皇を「万世一系」と規定する。これは昔から天皇がいるのだから従えと言っているにすぎない。しかし、ニコロ・マキャベリは『君主論』において君主の君臨には市民の支持が不可欠だと説く。日本国憲法が第1条で「主権の存する日本国民の総意」に天皇が基づくと述べるのは、こうした近代的理論を踏襲している。天皇はアプリオリに存在しているのではなく、それを前提にし、失えば地位も危うい。天皇はもはや「伝統的支配」でなしに、「合法的支配」体制の中で位置づけられる存在である。

 国事行為・詩的行為のいずれとも異なる活動は「供」に属している。国事行為は公、私的行為は私の領域にあり、「共」は両者をつなぐ。この「共」は社会と言い換えることができる。近代は個人が集まって社会を形成し、そのよりよい維持のため、国家に権利の一部を信託する。天皇は「国民統合の象徴」であるので、「共」の行為が問われる。また、天皇は「主権の存する国民の総意」が表出される「共」の空間、すなわち社会に象徴の実践を示さなければならない。そうした行為が増加していくのは当然である。

 卓越生は人物を通して表象される。三島はそれを戦前の微動だにしない昭和天皇に見出している。ところが、戦後の天皇は違う。それは象徴を実践するために動き回る天皇である。象徴の卓越性がそこにある。

明仁天皇 またこの次のオリンピックも目指されますか?
石井慧 オリンピックの方は目指しません。
明仁天皇 目指さない?……他の方向へ行かれるわけね?
石井慧 はい、そうです。
(『平成20年10月23日秋の園遊会』)

 明仁天皇は昭和天皇が始めたオープン指向を拡張する。皇太子時代に民間人女性とのテニスコートの恋を経て結婚、ご成婚パレードは全国にテレビ中継される。それは戦後の民主日本の皇室を端的に表わす出来事である。即位してからは、制度化されたイベントへの出席のみならず、宗谷岬から与那国島に至る日本各地を夫妻は3回回っている。加えて、災害が起きると、避難所にまで足を運ぶ。3・11後、余震が続く東北の被災地を慰問し、膝をつき被災者と同じ目の高さで話したことは記憶に新しい。

 また、昭和天皇の地方巡幸は15年戦争の慰霊の意味もこめられていたが、明仁天皇はそれを海外に広げる。サイパン島のバンザイクリフの訪問はその一例であろう。彼は新憲法の象徴天皇ならびに戦後民主主義的価値観に則り自らの発言と行動をしている。海外への慰霊もその重要な一つである。

 明仁天皇に、戦争責任の問題はない。彼が果たそうとしているのは戦後責任である。戦争責任と戦後責任は異なる。戦争責任は戦争を経験した人々の責任である。責任をめぐる権限・行為・結果・内容などに着目することで、戦争犯罪や戦争協力などいくつかに分類できる。一方、戦後責任は戦争を体験していないものにもあり得る。戦後、国内外に対してその歴史認識の教育・啓蒙や戦後賠償・補償などを果たす責任である。戦後責任をまっとうすることによって今を次の戦争前夜、すなわち戦前へとしない責任を果たすことにもなる。

 明仁天皇は戦後責任を自らのものとして引き受けてそれを実践している。戦後の象徴天皇としてそれはふさわしい。その精力的な実践に感銘を受けたり、敬意を表したりする人も多いだろう。昭和において天皇制に対してわだかまりを持っていた護憲派の戦後民主主義者の中にもそうした声が少なくないように思える象徴の卓越性をめぐる共通認知がそこにある。

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